2005年1月12日水曜日

「憲法9条はいまこそ旬」

 昨 1 月 11 日午後 6 時 30 分から、堺市長曽根町・じばしん南大阪で、「1・11 憲法 9 条を守りいかす講演の夕べ」が、同実行委員会の主催で開催された。講演は小田実氏による「今、この時代に、このごろ考えること」。立ち見も出る 850 名の聴衆が会場を埋め尽くした。演題には、いやに同義語が多い気がするが、講演の題名は、随筆や論文の題名とは異なって、響きのよさが問題なのだろう。

 小田氏の話は、阪神・淡路大震災の際に氏が知ったわが国の地方および中央の行政における災害対策の欠如の話から始まり、氏が大阪で受けた空襲の体験談、終戦直前にニューヨーク・タイムズ紙が報じている連合軍は天皇の命をおびやかさないとの決定と、それがわが国ではほとんど知られていないという事実、と続き、憲法 9 条の話はいつ出るのかと、やきもきさせた。しかし、終盤約 1/3 の時間で 9 条に触れ、津波難民の救済などにこそ、憲法が生かされなければならない、「憲法 9 条はいまこそ旬」である、と力強くいわれた。

 講演に先だって、ESPERANZA グループ(奥田良子、奥田勝彦夫妻)によるフルート演奏があったが、私は呼びかけ人の一人として楽屋裏に待機していて、モニター・テレビを通しての鑑賞だったのは残念だった。開会挨拶は呼びかけ人を代表して、大阪いずみ市民生協理事長・榎彰徳氏と私が5分程度ずつということだったが、榎氏が 10 分程使ってしまったので、私はごく短く、物理屋としての憲法 9 条への思いを述べるにとどめた。せっかく、5 分ほどの話の要点をメモして行ったのだったが。

 「たとえば、宇宙物理学では宇宙の出来始めであるビッグバンという現象の起こったのが、137 億年前だったということが、わずか 2% の誤差で推定されるに至っており、これは人類のすばらしい英知の一端を示すものである。しかし、この狭い地球上での紛争の解決に人間同士が殺し合う野蛮な戦争をしていたのでは、このような英知と全くバランスが取れない。戦争放棄をうたった憲法 9 条こそは、人類の英知のバランスを保つものであると感じている」と。

 講演会のあと、会場近くの居酒屋で、実行委員・呼びかけ人の有志が小田氏を囲んで懇談会を持った。小田氏は得意の毒舌を大いにふるい、その中で次のようにいわれた。「君たちは『通販生活』を読んでいるか。いま広く読まれているこの雑誌の読者層を捕まえないでは、9 条を守る運動などできないぞ。福岡県のパート社員、42 歳の女性が、私の本 [1] について立派な書評を投稿している。『冬ソナ』のビデオ全巻と本書のどちらかをもらえるとしたら、選ぶのは後者でしょう。ヨン様許して! 比べる対象が違うよと、怒るかもしれない小田実さん、ゴメンナサイ、と書いてある。」帰宅して『通販生活』最新号を見ると、一言一句違いのない書き出しの書評 [2] が載っていた。

  1. 小田実『随論 日本人の精神』(筑摩書房, 2004).
  2. 上田奈々子、読者のおすすめ本:随論 日本人の精神、『通販生活』春号、p. 242 (2005).

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

四方館 01/12/2005 13:10
 私としては、国家概念などに拘りなく、地球上のある地域の一市民としてのアイデンティティーを有するのみでよいと思っているのですが。然りながら、世界がなお国民国家体制の枠組みのなかにある限り、日本もまた国家としての形が要請されるのはやむを得ず、そのなかで、戦後 60 年の間、憲法の一語一句も不変のまま、解釈の変容のみで国として国際関係を維持し、体裁を繕ってきたことは異常の極みではないかと思わざるを得ないのです。9 条論議も、個別的自衛権、集団的自衛権など立法府も行政府もずいぶんと時宜に応じて勝手な解釈をしてきたこと、そのこと自体が大変問題であって、すでに 9 条の条文自体が空文化されてしまっている状況で、9 条を守ろうというのは運動としてどうして成り立つのかが不明だと思うのですが…。

S 01/12/2005 14:04
 Ted さんがおっしゃりたいことは、特措法の名のもとに、憲法を骨抜きにしている動きを合法化させないように、憲法改悪を許してはならないということだと思います。

Ted 01/12/2005 15:44
 まさに、四方館さんのおっしゃる「勝手な」解釈で、憲法違反の疑いのある現実を作りだしておきながら、憲法が現実に合わないとの歪んだ論理で「改正」をしようというころに問題があります。「改正」をしてしまえば、これまでのような歯止めは全くなくなり、戦争をする国へまっしぐらに突進するでしょう。
 1999 年にオランダで開かれた世界市民会議では「あらゆる議会は、日本国憲法第 9 条のような、政府が戦争を行うことを禁止する決議を採択すべきである」というよびかけが行われました。また、2000 年に出された国連のミレニアム・フォーラム報告書も、「各国は、日本の憲法第 9 条のような戦争放棄条項を、憲法に盛り込むべきである」と述べています。このように、世界が手本にしようとしているものを、日本の国民が自ら葬り去れば、大きな愚行として世界史に残ることになるでしょう。
 紛争の解決もテロの防止も、武力ではなく、対話によってこそなされなければなりません。

Ted 01/12/2005 16:16
 私の先の返信は、四方館さんのご意見とうまくかみ合っていなかったかも知れません。四方館さんのご意見が、9 条を守る運動より、勝手な解釈を正すことが先決だという意味ならば、筋道としては、その通りだと思います。
 しかし、政治に関わる運動は、過去の流れやその時の状況も、考慮すべき重要な要素です。過去 5 件ほどの自衛隊違憲にかかわる裁判が、地裁で一旦違憲判決の出たものも、すべて上級審では、憲法判断見送りというような結果となり、勝手な解釈を正すことが残念ながら、たいへん困難な状況にあります。また、目下、自民党を始め、野党・民主党までが改憲を検討している現在、改憲が本当に必要なものかどうかをこそ、国民一同が考えなければならないと思います。

Ted 01/12/2005 16:29:04
 講演会用チラシのプロフィル欄で読みながら忘れていましたが、小田実さんはイラク派兵違憲訴訟にも関わっておられ、わが国の平和運動全体を見渡すならば、「勝手な解釈を正す」運動も、なおいくつか粘り強く行われているようです。

Y 01/12/2005 17:12
 四方館さん、S さん、Ted さんの書かれていること、それぞれに適切で、難しい問題だと思うし、政治・法律音痴の私はただ勉強させていただくだけなものですから、まったく自由に一市民としてコメントさせて頂きますね。
 とりあえず Ted さんが記事の 4 行目で大笑いさせてくださった、いやに同義語の多い演題、何とかなりませんかね。850 名も真面目な聴衆が集まっているのに、演題のひとつぐらいもっといいものを考え付かないでどうしますかね…。
 それから、私にとっては憲法 9 条や憲法の前文を読む心地よさ(雑な表現ですみません)は、哲学者カントの素晴らしく誠実な文章を読む時の心地よさとかなり似たようなもので、やはりまだまだ、私たち国民は憲法を大事に尊重していってよい可能性があるように感じます。
 「冬のソナタ」は大好きな韓国ドラマだったんですが、『通販生活』と筑摩書房から出てる(悪いけれど、私、まず出版社で良い悪いがだいたい判りますので)小田氏の著書とが直結されてるあたり、とてもよいと思います。この次の市民レベルとの結びつきを、Ted さんの言われる「対話」で強化し、9 条問題に対応していく道筋を作っていくのは、もう小田氏や Ted さんなどの役割で、ご発言や行動の力量が期待されます。『通販生活』の彼女は、もうその投稿で、十分頑張っているんですよ。

Ted 01/12/2005 19:40
 元気づけられるコメント、ありがとうございます。

四方館 01/13/2005 09:49
 Ted さん仰るような、国際的レベルにおいて、一部、日本の憲法 9 条が評価されていることや、度重なる違憲訴訟における最高裁の姿勢など、を含めて申し上げている心算です。憲法改定へのハードルが高すぎることもあって、この 60 年間というもの解釈論議だけでやってきた。これはいつかガラガラポンとやらなきゃならないと思うのですがね。平和を恒久の念願として戦争放棄をする憲法精神が、条文としてでなく、慣習法のようにあるのならともかく、条文化されている限り、実態と矛盾乖離することなく時宜に応じてその細部は明確に変更されてしかるべきだと。
 私などはずっと自衛隊の存在自体、最初から憲法を逸脱した存在であると思っている訳で、そう受け止めている大衆は結構多い筈で、それなのに日本の立法府や行政府は、解釈議論だけですり抜けていくという泥縄をやる。そういう政治感覚を許容する国家というものに、国民としての権利と義務を云々すること自体がリアリティーをもって迫ってこない。そんな感覚を蔓延させるから、国としての意識も希薄な、国民意識も育たない、浮遊するような大衆が多数派になってしまうのだと。
 だから、いま、改定論議が喧しいけれど、それを本気でやってごらんなさい、ちゃんと国民の前に出してきてごらんなさい、それで国民投票が断を下すことになっているのだから、逃げ回ってばかりいないで、やれるものならほんとにやってごらんよ、って言いたいですね。

Ted 01/13/2005 17:50
 「やれるものならほんとにやってごらんよ」とおっしゃるのは、日本の立法府や行政府のいままでの行き方からすれば、実現出来ないだろう、ということかと思いますが、まさに「浮遊するような大衆が多数派になって」いるとおっしゃる現状からは、実現してしまう恐れがあり、9 条を守る運動は、それを阻止したいということです。

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