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2008年6月25日水曜日

湯川博士のノーベル賞講演 (3)

 湯川博士のノーベル賞講演の和訳 [1] のことを記した湯川会会員の方のメールには、「訳が3人がかりでなされているところを見ると、湯川博士の英語は難解らしい。内容の理解を優先させるため、和訳で勉強をしては」という趣旨のことも述べられていた。私は返信に、「折角2ページ近くを英文で読み進めて、あと3ページ半ほどなのだから、このまま原文で進めるのがよい」旨を書いた。理由はここに述べただけで十分だっただろうが、つい次のようにつけ加えた。

 私は著名な物理学者たちの和訳力を必ずしも信用しません。中間子第1論文の片山泰久訳 [2] にも、「場を伴う量子」という誤訳がありました(accompany の用法や『旅人』中の記述から考えても「場に伴う量子」が正しい)。[なお先般、S. W. ホーキング著、佐藤勝彦・監訳『時間順所保護仮説』(NTT出版、1991)が誤訳だらけであることをブログに書きました(http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/tttabata/eid/568366)。]

 著名な物理学者たちの和訳力を信用しないためには、ここに挙げただけの理由では不足な感じがする。しかし、そのあとで湯川博士のノーベル賞講演の和訳を見たところ、最初の訳文が次のような拙いものであり、理由がさらに裏づけられることになった。

 中間子論の起源は、重力や電磁気力の場合の力の場の概念を、核力にもあてはまるように拡張する試みから始まった。

 この訳がなぜ拙いかに気づかない方は、「起源」とは「始まり」の意味であることに注意し、「彼は馬から落ちて落馬した」という文と比較されたい。なお、ノーベル賞講演の和訳者たちの名誉のために、最初の文以外には、このような迷訳はなさそうであることを付言しておく。

(完)

  1. 湯川秀樹著, 中村誠太郎, 福田博, 山口嘉夫訳, 発展途上における中間子論, 湯川秀樹自選集2 (朝日新聞社, 東京, 1971) p. 335.
  2. 湯川秀樹著, 片山泰久訳, 素粒子の相互作用について I, ibid. p. 261.

2008年6月24日火曜日

湯川博士のノーベル賞講演 (2)

 ローリー・ブラウンが「acceptable な英語」と書いていたことから、私は湯川会のグループメールに生意気にも、自分も湯川博士中間子第1論文の英語が必ずしも上手ではないと思った、とまで書いた。それで、その証拠を示す必要があろうかと、中間子第1論文の代わりに、目下勉強中の、博士のノーベル賞講演 [1] の始めの3センテンスの書き換えを試み、その結果をまたグループメールで送った。ノーベル賞講演の原文の冒頭部分は次の通りで、129語ある。

The meson theory started from the extension of the concept of the field of force so as to include the nuclear forces in addition to the gravitational and electromagnetic forces. The necessity of introduction of specific nuclear forces, which could not be reduced to electromagnetic interactions between charged particles, was realized soon after the discovery of the neutron, which was to be bound strongly to the protons and other neutrons in the atomic nucleus. As pointed out by Wigner1, specific nuclear forces between two nucleons, each of which can be either in the neutron state or the proton state, must have a very short range of the order of 10−13 cm, in order to account for the rapid increase of the binding energy from the deuteron to the alpha-particle.

 私はこれに手を入れて、以下のように、もう少し短くて読みやすくしてみたのである。112語になっていて、約1割短縮されている。

The meson theory was started to extend the concept of the force field by adding nuclear forces to the gravitational and electromagnetic forces. Soon after the discovery of the neutron, it was noticed that protons and neutrons were strongly bound in the atomic nucleus by the forces irreducible to electromagnetic interactions between charged particles, and the necessity to introduce specific nuclear forces was realized. To account for the rapid increase of the binding energy from the deuteron to the alpha particle, the specific nuclear forces between two nucleons, each in either the neutron or proton state, must have a short range on the order of 10−13 cm, as pointed out by Wigner.1

 学生時代の私にとっては、あらゆる面で神様のような存在だった湯川博士だが、ノーベル賞講演をされたのは博士が42歳のときで、いまの私より31歳も若い。博士の英文を添削できるようになったのも、年の功というものだろう。なお、原文の "a very short range" 中の "very" は主観的な表現であり、現今の科学論文にはなじまないので省いた。"Very" short かどうかは、数値を見れば分かる(講演では "very" を入れて強調するのも悪くはないが)。

(つづく)

  1. H. Yukawa, Meson theory in its developments, Nobel Lecture, December 12, 1949 (available at http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1949/yukawa-lecture.pdf).

2008年6月23日月曜日

湯川博士のノーベル賞講演 (1)

 湯川秀樹を研究する市民の会(湯川会)では、さる6月15日の例会から、湯川博士のノーベル賞講演 [1] を英語の原文で勉強し始めた。その題名 "Meson theory in its developments" について早速、「Development は抽象名詞だと思うが、複数形になるのだろうか」という意味の鋭い質問が出た。その場では、はっきりした結論が出なかったが、帰宅後、英英辞典 "Longman Dictionary of Contemporary English" で "development" を調べてみると、この単語は意味によっては可算名詞にも非可算名詞にもなるのである。意味は5通り挙げられていて、そのうち2通りが非可算名詞、3通りが可算名詞になっている。

 1番目の意味は "the gradual growth of something, so that it becomes bigger or more advanced" とあり、「成長、発展」の意のようだが、このときは非可算名詞。3番目の意味として、"the act or result of making a product or design better and more advanced" とあり、このときは可算名詞。ここで『ランダムハウス英和大辞典』で、これに相当すると思われる訳を探すと、「(発達の)成果、結果」というのがあり、その用例として、"recent developments in the field of science" が挙げられている。

 そこで、私は湯川会のグループメールで、湯川博士がこの3番目の意味で使ったとすれば、複数形でよいわけで、題名 "Meson theory in its developments" の和訳は、私が当日言った「発展中の中間子論」でなく、「成果に見る中間子論」、あるいは意訳して「中間子論の成果」とするのがよさそうだ、と書き送った。

 すると、別の会員から、『湯川秀樹自選集2』[2] の中に、「発展途上における中間子論」として、ノーベル賞講演の和訳が収められていて、その本の「まえがき」に、湯川博士自身が「『発展途上における中間子論』は、一九四九年のノーベル賞受賞講演で、…」と書いているので、博士自身は "developments" を「発展」の意として用いたようだ、とのメールが届いた。

 私はこれに対して、次の趣旨のメールを返した。

 湯川博士が「発展途上における中間子論」の意味で "development" を複数形にしたのならば、はっきりいって間違いである。外国の学者の誰かが、「湯川は中間子論を acceptable な英語で書いて発表した」と書いているのを読んだことがある。「acceptable な英語」とは、上手な英語という意味ではなく、読める英語、通じる英語、といった意味である。私も中間子第1論文の英文を、TEX版をチェックするなどして熟読した結果、必ずしも上手ではないと思った。

 「Acceptable な英語」と書いていたのが誰だったか思い出せなくて、湯川博士について触れてある私の所有洋書を片っ端から調べたが、見つからない。ふと思い立って、"Google Book Search" で Yukawa と "acceptable English" のキーワードを使って検索したところ、すぐに [3] と分かった。そこには次のように書いてある。

 Yukawa had made an attractive unified theory of nuclear forces and published it, in acceptable English, in a widely available journal. . . .

(つづく)

  1. H. Yukawa, Meson theory in its developments, Nobel Lecture, December 12, 1949 (available at http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1949/yukawa-lecture.pdf).
  2. 湯川秀樹, 湯川秀樹自選集2 (朝日新聞社, 東京, 1971).
  3. L. M. Brown, Nuclear forces, mesons, and isospin symmetry, in "Twentieth Century Physics Vol. 1," ed. by L. M. Brown, A. Pais and A. B. Pippard, Page 383 (Institute of Physics Publishing, Bristol, 1995).