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2008年7月28日月曜日

せめぎ合い

 水素分子イオンというものがある。いま流行の怪しげな「健康」飲料の一種ではない。1個の陽子と1個の電子が結びついた水素原子に、もう一つの陽子がくっつき、電子が陽子2個に共有された状態のもので、プラス1の電荷をもっている。湯川博士は原子核の中で陽子と中性子がどのようにして結びついているかについて、中間子の交換で核力が生じているという理論を提唱したが、それより先に、ドイツのヴェルナー・ハイゼンベルクが、この水素分子イオンをモデルにして、陽子と中性子は、中性子が含む(と想像した)電子を交換して結びついているという説を唱えた。また、『ファインマン物理学 (5)』(量子力学編) [1] には、2状態系という近似で理解できる系の一例として水素分子イオンが取り上げられ、続いて核力の説明がある。したがって、私たち「湯川秀樹を研究する市民の会」(湯川会)にとって、水素分子イオンは重要な話題である。

 湯川会の会長の T.H. さんは、かねがね、中間子の交換で核力が生じるという湯川博士の考えを分かりやすく説明する方法はないものかと思っていて、先日の7月例会で、水素分子イオンが安定であることのファインマンの定性的な説明が参考にならないかと、紹介した。その紹介には、少しばかり誤解があったようで、分かり難かった。そこで私は翌日、『ファインマン物理学』の原書 [2] の、その部分を読んでみた。T.H. さんは、水素分子イオンの安定性に、クーロンポテンシャルと不確定性原理による効果の「せめぎ合い」が関係していると紹介したが、ファインマンの説明はそうではなく、次のようなものであった。

 ファインマンが「せめぎ合い」(balance) といっているのは、単一の水素原子(1個の陽子と1個の電子)についての話である。電子が陽子に近づけば、位置エネルギーは下がる。しかし、近距離内に閉じ込められる(位置の不確定さが減少する)と、不確定性原理によって、運動量の不確定さが増大する。これは、電子がより大きな運動量、すなわち、より大きな運動エネルギーを持ち得ることを意味する。そこで、全エネルギーを小さく保つように、両者がバランスするところに安定状態が存在することになる。

 次いでファインマンは、不確定性原理を水素分子イオンへ応用することを、水素原子の場合との比較で行っている。2個の陽子が近くにあるときには、陽子が1個のときと同程度に低い位置エネルギーをとり得る電子の存在範囲が広がる。したがって、電子の運動エネルギーの全エネルギーへの寄与は下がることになる。つまり、1個の水素原子と陽子がばらばらに存在するよりも、水素分子イオンを作る方が全エネルギーのより低い状態になり得ることが、これによって理解できる、というのである。

 しかし、これだけでは完全には理解できない。陽子間の位置エネルギーは、水素原子と陽子がばらばらに存在するときと、水素分子イオンを作っているときでは、後者の場合の方が高くなっているはずである。電子の運動エネルギーの減少分が、この位置エネルギーの増大分を上回っていることを詳細な計算で確認しなければ、水素分子イオンを作る方が全エネルギーのより低い状態になるとはいえない(ファインマンはこのことを、上記の説明に先立って別途述べている)。しかし、水素分子イオンが安定に存在するからには、電子の運動エネルギーの減少分の方が上回っているはずだとして、その原因を不確定性原理を使って定性的に理解できる、というのがファインマンの説明であろう。

 「せめぎ合う」の語は、1970〜80年代頃から流行し始めたように思う。「せめぐ」は、漢字で書けば、「鬩ぐ」である。「鬩ぎ合う」の語が、漱石そっくりの文体で書かれた水村美苗著『續明暗』の一カ所で使われていたのには、ちょっと首を傾げた。しかし、最近の流行語だからといって、昔全く使われなかったということはないのだから、一カ所でのみ使われていたのは、問題ないというべきであろう。私には、"balance" を「せめぎ合い」と訳す発想はし難いが、『ファインマン物理学 (5)』の訳者は、流行語を敏感に取り入れたのだろうか。

  1. ファインマン著, 砂川重信訳, ファインマン物理学 (5) (岩波, 1986).
  2. R. P. Feynman, R. B. Leighton and M. Sands, The Feynman Lectures on Physics, Vol. III, Quantum Mechanics (Addison-Wesley, 1965).
(2008年7月28日)

2008年7月23日水曜日

湯川博士と原爆研究

 2008年7月18日付け朝日新聞(大阪版)に「湯川教授 原爆研究に関与せず」の題名で、「米国立公文書館に保存されていた資料から、第2次世界大戦中、京都帝国大が行った原子爆弾研究に、湯川秀樹博士はほとんど関与していなかったと、連合国軍総司令部(GHQ)が結論づけていたことがわかった」という記事が掲載された [1]。その概略は次の通り。

 関連の資料は、政池明・京大名誉教授(素粒子物理学)らが見つけたもので、GHQの科学顧問だったフィリップ・モリソン氏らによる機密解除報告書などからなっている。モリソン氏は、米の原爆計画であるマンハッタン計画に参加した核物理学者で、日本の原爆開発能力を調べるため、日本に派遣された。終戦翌月の45年9月に京都で、旧海軍の委託による原爆研究、「F研究」の実験を指揮した荒勝教授と、理論の責任者だった湯川教授に尋問し、湯川教授が不在のときに研究室の本や資料を調べた。報告書は「湯川教授は中間子論の研究にすべての時間を割いており、原爆の理論研究はほとんどしていなかった」と結論づけている [2]。F研究のチームは終戦直前、旧海軍との会議を開き、湯川氏も出席している。ウラン鉱石の入手が困難なことなどから、「原爆は原理的には製造可能だが、現実的ではない」との結論を出したとされている。


 日本の原爆研究そのものが、これといった進展を見せていなかったことから、湯川博士が原爆研究に関与しなかったことは、米国の資料によるまでもなく、ほぼ自明のことと思われるが、資料はこのことを裏付けたものといえよう。

 しかし、GHQから客観的に「原爆研究に関与せず」と認められても、湯川博士自身の内心では、『源氏物語』を読んでいるといって(原子爆弾の基礎になる原子核関係の論文の講釈をしていたものと思われる)、一週間に一度、軍の研究所へ通い、戦争に協力する仕事をしていたこと [3] は、戦時中の拒否できない状況下だったとはいえ、自責の念に耐えなかったであろう。そして、それが博士の後の平和運動への一つのエネルギー源ともなったのではなかろうか。

 なお、上記の記事はワシントン発となっているが、記事中に名前のある政池氏(大学で私の1年後輩)は、日本学術振興会ワシントンセンター勤務を終えて、今春すでに帰国している。ワシントン滞在中に報道機関に渡した資料のコピーによって、いまようやく記事が作成されたか、あるいは、氏とともに資料を見つけた仲間が最近報道機関に知らせたのであろう。

  1. インターネット版(asahi.com)での題名は「ユカワは原爆研究に関与せず」。
  2. 新聞記事には、モリソン氏の報告書の一部と思われる文書の写真が、説明なしでつけてある。その文は次の通り。

      "3. Information about Yukawa is somewhat harder to be certain of than about an experimenter. From his own account, and from papers I saw in his office dated in late 1944, he has spent all his time on the mesotron theory, highly abstract work in which he has maintained a worldwide fame since 1938. He showed no interest in question I asked on diffusion theory, in which he would have been engaged if he were on project work to any . . . "

  3. 「湯川博士と源氏物語」Ted's Coffeehouse (2007年2月8日).

2008年7月13日日曜日

「湯川先生はネット上でまだお元気」

 法橋登氏が『教育通信』2008年6月号に書かれた湯川博士関連の随筆、「ネット上の素領域」のコピーを送って下さった。氏の許しを得て、その概要を「湯川秀樹を研究する市民の会」のウエブサイト『湯川 Wiki』に掲載した。以下は、それと同内容のものである。




 随筆は「1. 湯川先生の宗教対談」、「2. ネット上の湯川秀樹」、「3. ネット上の素領域」の3章からなっている。第1章は、先に『大学の物理教育』2007年3月号に書かれて紹介済みの「湯川先生のラジオ放送と宗教対談」という話に、インターネット関連の考察やネットから知ったことをつけ加えたものなので、紹介を省略し、第2、3章の内容を紹介する。

 第2章では、ネットで「湯川秀樹」を検索すると、『湯川秀樹著作集』に収録されなかった著作や湯川とのインタビューをもとにして素領域論のエッセンスをとらえた、京都生まれの編集・著述者、松岡正剛の解説が出てくることと、西田幾多郎と岡潔も、湯川が高校時代から影響をうけた哲学者、数学者として、松岡が紹介していることを述べている。

 岡によれば、問題の発端と結末が同時に分かるのが情緒(仏教用語では無分別智)で、発端と結末を論理の鎖で結ぶのが理性(分別智)の働きであり、西洋人は論理型、日本人は情緒型が体質にあっているとのことである。湯川も、キリスト教大聖堂の堅固な石造建築を見て同じことを感じたそうだ。著者は、「中間子論も素領域論も湯川には問題の発端と結末が同時に見えたのだと思う」と述べている。

 岡は著書『春宵十話』の中で、相対論から40年で原爆を仕上げた物理学者を指物師(大工)と呼び、証明に400年かかったフェルマーの予想のような将来発芽する種子を土に播いておく数学者を百姓(農民)と呼んでいるとのことで、著者は「湯川の素領域論もそんな種子の一つと思う」と記している。

 さらに松岡正剛によれば、湯川は中国大陸から渡来した浄土的・出離的平安仏教の正統派最澄には違和感をもっていたが、最澄と並ぶ平安仏教の開祖でありながら渡来仏教を日本の土着・基層文化である縄文文化に結びつけた空海には関心があったこと、また、日本のニュートンと呼ばれた江戸中期の自然哲学者・教育者三浦梅園と身分制限のない日本で最初の給費制総合私学「綜芸種智院」を創立した空海の思想的関連性を指摘したのは湯川が初めてだということも紹介している。

 第3章では、松岡が、非局所場や素領域のアイディアは火焔土器に象徴された縄文文化の原初的生命エネルギーから発しており、「点粒子の奥にはハンケチで畳めるほどの空間がある」という湯川の言葉をネットで伝えていることを紹介している。法橋氏は、「『ハンケチで畳めるほどの』は、『代数構造をもつ』という意味と思うが、プランク・スケールの時空間を考える物理学者もいる」と述べている。

 ネットには、さらに「物理学者はミンコフスキー空間の受け入れに無批判である」という湯川の不満と、「時空連続体も素粒子のように可能性と現実性の間を往き来しているのではないか」という湯川の考えが伝えられていることを述べ、「湯川先生はネット上でまだお元気なのである」と結んでいる。




 「ネット上の素領域」をここに紹介したことによって、湯川先生のネット上のお元気さは、ますます伝播する。