2015年9月28日月曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -5- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -5-)

[The main text of this post is in Japanese only.]



『水彩画とキルト 親子展』会場風景、その 3 と 4。
A View of "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition" Nos. 3 and 4.

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -5-

5. その他

 多くの台風に見舞われて天候不順であった梅雨時から観測史上猛暑記録が日毎に更新された暑さの夏に、3 回の小旅行(「諏訪と磯部への旅」、白浜への旅(7 月 24 日付け記事を飾る写真として記載)、郷里・金沢と七尾への旅(「旧友への手紙1」中に記載)をして、美しい風景や街並みなどの写真やスケッチと合わせて語られています。元気にお暮し様子に感服したしました。「諏訪と磯部への旅」では帰途、「東京ステーションギャラリーで開催中の金沢出身の画家・鴨居玲の展覧会、『没後 30 年 鴨居玲展 踊り候え』(北陸新幹線開業記念)を鑑賞し[…]具象を超える具象の域に達したと思える作品は見応えがあった」とのこと。私はこの言葉に気を引かれました。どのような絵だろうかと。

 「午睡の友」には、昼寝中のパンダの写真を掲げ、「暑い日が続く。このところ、岩波の『図書』誌 8 月号を友として午睡をした」として、同誌から翻訳家・石井登志子、作家・髙村薫、作家・高橋源一郎、地理学者・諏訪兼位の 4 氏の文章を選び、それらを簡潔に興味深くまとめています。髙村薫が、「私のような還暦を過ぎた独身者には、集団的自衛権の行使も[…中略…]、影響は限られているが、代わりに直接の影響がある自衛隊員[…中略…]の不安に思いを馳せ、[…中略…]政治への真剣な怒りを募らせる。これが真面目に生きるということだ」と述べていることを紹介し、筆者はこれを「戦争法案」に対する鋭い批判を展開したものと評価しています。粋な午睡だと思いました。(完)

2015年9月27日日曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -4- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -4-)

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『水彩画とキルト 親子展』会場風景、その 2。
A View of "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition" No. 2.

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -4-

4.「平和を求める人たちは幸いです」、そして与謝野晶子の言葉
 友人 A 氏からの暑中見舞い葉書には、毎年『聖書』の一節が毛筆で記されている。先般届いた今年の葉書には、「マタイ 5 章 9 節」の「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは『神の子』と呼ばれるからです」の言葉があった。A 氏にはこのところ何年も会う機会がないが、彼がいまこの言葉を選んだのは、保守的な考えの持ち主のように見える彼も「戦争法案」には懸念を持っているからだろうと想像している。
という書き出しで、さる 7 月に堺市で開催された『戦後 70 年 平和をつなぐパネル展・堺〜戦争をふりかえる〜』展のパンフレット最終ページに掲載されている、歌人・与謝野晶子の「何故の出兵か」という文を紹介しています。晶子は
 日本人の上に今や一つの大問題が起っております。[…]それは西比利亜(シベリア)へ日本の大兵を出すか出さないかという問題です。[…]
 さて我国は何のために出兵するのでしょうか。秘密主義の軍閥政府は出兵についてまだ今日まで一言も口外しませんから、私たちは[…]想像する外ありませんが[…]
と、わが国が第一次世界大戦当時、日英同盟に基づき連合国の一員として参戦したことに関して、意見を述べています。

 筆者は
「簡略な説明」に対して抜粋を重ねても、晶子の炯眼が十分に伝わるであろう。そして、シベリア出兵[…]前夜の状況が、いまの「戦争法案」国会提出の事態に酷似していることにも注目しなければならない。いくつかの言葉を書き換えれば、晶子の文はそのまま「戦争法案」反対に適用できる。敗戦から満 70 年、わが国の外交政策を武力に頼る方向に逆戻りさせてはならない。[引用時の注:「戦争法案」は 9 月 19 日、参院で可決し成立した。私たちは今後、違憲の法案を多数の力で成立させた安倍政権の打倒と、同法の廃止を目指すことが必要である。]
と記しています。全くその通りと思います。

 このような歴史的事実に照らして、私たちは安倍首相の「積極的平和主義」が何を意味するか深く考えることが重要です。8 月 26 日の朝日紙オピニオン欄に、積極的平和主義という言葉の元祖である、ノルウエーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士へのインタンビュー記事(北郷美由紀・記者)が掲載されていました。記事には、「軍事同盟は不必要。東北アジア共同体創設に向け協力を」、「米国追従なら植民地主義加担。独自外交で臨め」という見出しが掲げられています。ガルトゥング博士は、
私が日本に初めて来たのは 1968 年ですが、9 条を『安眠まくら』にしている点は今も変わりません。そうしているうちに安倍政権による解釈変更で 9 条 1 項の精神が破壊されようとしています。『安眠まくら』はもはや存在しないことを自覚すべきでしょう。
と指摘しています。また、
国際紛争を解決する手段として武力を放棄した憲法 9 条 1 項を堅持すると、国連総会の場で表明することです。条文と矛盾する政策は改め、攻撃力の高い武器は手放す。そのうえで各国に 9 条の採用を呼びかけてほしい。1928 年のパリ不戦条約を実現することにつながるからです。
と、具体的な提案をしています。北郷記者は「取材を終えて」の文を、「博士の指摘や提案を理想に走りすぎ、浮世離れしている、と遠ざけてしまうことは簡単だ。その方が頭も心も乱れないですむ。けれども、それこそが思考停止なのではないかと思う」と結んでいます。(つづく)

2015年9月23日水曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -3- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -3-)

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『水彩画とキルト 親子展』会場風景。
A View of "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition."

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -3-

3. 藤岡由夫から荒勝文策まで政池君の調査が朝日紙記事「湯川博士の手帳、何語る:原爆研究史に向き合う学者たち」に

 「藤岡由夫から荒勝文策まで」には、「先般、インターネットの質問サイト Quora で、アメリカのフリー・ジャーナリストから私へ、藤岡由夫が唱えた原子の fluid drop model がなぜ "ekiteki" と呼ばれるかという質問があり、それに答えたところ、次つぎに質問が来た。後日、同ジャーナリスト氏から、『荒勝はベルリン大学で、アインシュタインのもとで学び、その親しい友人仲間の一人となった』と記された本があるとの、追加の連絡があった」というようなことが述べられています。

 液滴模型に関しては、古くから物理の学習書には原子核の統計的模型の項に気体模型と原子核を液体のしずくになぞらえて取り扱う液滴模型の二つの模型についての説明がありますので、私は今更どうして上記のような質問がなされたのかと思っていました。[引用者注:藤岡が唱えたのは「原子」についての模型で、のちに提唱された「原子核」の液滴模型とは別のものです。]

 「政池君の調査が朝日紙記事に」のブログ記事には、
先日「藤岡の原子液滴模型からアインシュタイン・荒勝関係まで」という記事を英語版のブログサイトに載せた折に、政池君にそれを知らせたところ、彼から忠告の電話を貰ったばかりである。彼も以前、その記事に登場するアメリカのフリー・ジャーナリストから接触を受けたが、日本でも原爆研究が行われていたことを喧伝して、アメリカの原爆投下をあくまでも正当化しようとする修正派歴史家の一人と思われるので注意するようにとのことだった。いわれてみれば、そのジャーナリストと私のやりとりの間にもそうした危険性が確かにうかがわれた[…]。
と付記されていました。これを読んで私は合点が行きました。

 米国においては原爆投下の正当化について、一部の退役軍人の間で強く主張されています。1995 年にワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館で被爆資料などを含めた展示が計画されましたが、退役軍人らの反対にあい、事実上中止されたとのことでした。7 月 30 日の朝日紙に「原爆投下何を伝える マンハッタン計画跡地公園化案を公表 米『歴史見せ方』意見募る」という記事が掲載され、以下のように解説がなされていました。
米国の国立公園局とエネルギー省は 28 日、第 2 次世界大戦での原爆の製造・投下につながった『マンハッタン計画』の跡地に関する『基本計画書』の案を公表した。年内に国立公園が正式に誕生するが、[…]マンハッタン計画を歴史的にどう位置づけるかなど『歴史の見せ方』は今後も広く意見を集めていくという。
核抑止力、核廃絶などの相反する考え方がある中、これらの施設を見て正しく歴史を認識できることは大切なことです。

 「政池君の調査が朝日紙記事に」では、
大学研究室の同窓生で友人の政池明君(京都大学名誉教授、高エネルギー物理学)は、かねてから核開発の歴史について調査しているが、このほど、ウラン 235 の遠心分離装置開発に関する資料を、清水栄・京大名誉教授の遺品のノート中に見つけたことが報道された。『朝日新聞』大阪版 8 月 4 日付け夕刊記事に政池君は朝日紙記者の取材に対して、「真理を探求すべき科学者が、原爆開発にどうかかわったのか知りたい。すべての科学者は、自分の研究がどう使われるのか真剣に考える必要がある」と語っている。
と述べられています。この点について以下にコメントします。

 政池君は「第 2 次世界大戦下の京都帝大における原子核研究とその占領軍による捜索 (3) 原爆研究の記録―その1」(『原子核研究』Vol. 57, No. 1, Sept. 2012)の「4. ウラン濃縮」の項に、米国公文書館で極秘から公開となった文書を引用して、
 その後ファーマンの報告では前述のように「荒勝は実験用の遠心分離器を設計したが、その遠心分離器を建設していた工場が破壊され、建設中の装置が失われた。」と記している。フィッシャー[Y 君の注:少佐、GHQ 経済科学局。ノースウエスタン大学物理学教授、分光学の権威]も「日本海軍の原子エネルギーとウラニウム資源」の報告の中で京都大学と東京計器で建設中だった遠心分離機についてふれている。木村毅一の話によると「ウランの分離には遠心分離法を採用することにした。ウラン[Y 君の注:フッ化ウランガス]を容器の中で回転させると U238 は外側に、U235 は内側に集まることを利用した。」
と、遠心分離機の内容を述べています。さらに、「清水栄によると荒勝研でも独自に遠心分離機を設計した」とも書かれ、「図 1. 京大で設計された遠心分離機の上部(清水家蔵)」として、遠心分離機の上部の手書きスケッチが示されています。したがって、今回の新聞報道は、清水京大名誉教授の遺品のノートからウラン 235 遠心分離装置開発に関する資料多数を見つけたのを機会に、上述の事実の確実な裏付けが得られたということだろうと思います。

 最後の「真理を探究する科学者云々」に関しては、荒勝京大名誉教授編(荒勝先生の配下の当時の原子物理研究に関連した諸教授が執筆)『近代物理学』(1954年、培風館)には「§13・8 原子炉」の後に「§13・9 原子爆弾」の節があり、
 原子力利用の発見は二十世紀科学の一大革命である。単にそれは科学のみならず政治経済など人間生活のすべての方面に著しい影響を与えている。その最初のものが原子爆弾という非常に破壊的な形で現われ、現在においてもその主力は軍事的方面に向けられているが、[…]"これが常に善に用いられ決して悪に用いられることのないように" しなければならない。
と、強い反省の意を込めて結ばれています。政池君は上述論文の最終回「(4) 原爆研究の記録―その2」の「7. まとめに代えて」で、
 大戦中に世界の原子核理論の研究者の多くが原爆研究に全力で取り組む中で、湯川が原爆の研究よりも中間子論の研究に力を注いでいたことは事実のようである。とはいえ京大の荒勝、湯川はもとより、荒勝、湯川両研究室の多くの研究者が原爆研究に関与したことは看過できない事実であり、彼らの「科学研究至上主義」を現代においてどのように捉えるべきかについてあらためて論ずる必要があろう。
と述懐しています。過去の事実を探求して、朝日紙記者に語られた「すべての科学者は、自分の研究がどう使われるのか真剣に考える必要がある」との政池君の真摯な言葉は、世界中の人びとに重く受け止められなければなりません。(つづく)

2015年9月18日金曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -2- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -2-)

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私と長女が『親子展』を開催した「ギャラリー風雅」の前景。
Front view of "Gallery Fūga, where I and my elder daughter held "Father–Daughter Exhibition."

2. 旧友への手紙 12
 さる 7 月 14 日に郷里・金沢へ墓参に行ったついでに、私が小学校入学前から小 3 の夏休み末まで住んだ七尾を訪れるとともに、そこから穴水までの「のと鉄道」の短い旅を楽しんだ。七尾では、いまやそこに在住する唯一の知人である N 氏宅を訪れ、旧・御祓(みそぎ)小学校同級生の何人かの消息が分かるだろうかと、七尾高校の同窓会名簿の私と同じ卒業年度のページを貰って来た。そうして知った 3 人の旧級友たちに電話したところ、その中の女性 1 人は私を覚えていてくれたが、男性 2 人、O・T 君と S・Y 君は私を思い出せなかった。彼らに私のことを思い出して貰う一助にと、長文の手紙を後日書き送った。[…略…]
O・T 様
 炎暑の候となりましたが、お元気でお過ごしでしょうか。
 先日は突然電話しましたのに、長時間、思い出話に付き合って下さり、ありがとうございました。貴君が私のことをご記憶でなかったのは、同じ教室で共に学んだのが 70 余年も前という遠い昔のことで、無理もありません。[…略…]
 時折脳裏を去来する懐かしい思い出の一端を書き留めておきたい気もあって、長文の手紙になり、失礼いたしました。
 では、くれぐれもご自愛下さい。ごきげんよう。
と、長文の手紙を紹介した記事です。手紙には、筆者を思い出してくれる一助になればと、御祓小学校を去って間もない頃の写真[大連嶺前小でのクラス集合写真(1945 年 2 月撮影)からとったもの]を同封しています。70 年余前の、時折脳裏を去来する断片的な懐かしい学校や日常生活の思い出が記され、O・T 君のみならず、私たちが読んでも、筆者の小学校低学年の、学校を中心とした当時の生活の有様をうかがい知ることができる興味深い内容だと思いました。また、古くからの友だちとの交友を大切にされる筆者の、不断の努力に感銘を受けました。

 女性の同級生 E・O(現姓 M)さんは、筆者の住む堺から比較的近い高槻市に住み、筆者を覚えていてくれて、俳画を趣味にしているというので、9 月に大阪で開催する水彩画とキルトの『親子展』の案内状を送り、「『親子展』会場で、古い級友と 70 余年ぶりに再会するという、珍しい経験が出来そう」との期待が記されています。これを機に、O・T 君、 S・Y 君、E・O さんたち、御祓小学校 1~3 年夏休み前までの友だちとの絆が強められることを願って止みません。

 [引用者の注]E・O(現姓 M)さんは『親子展』の最終日に来てくれた。電話での思い出話に続いて、再度、思い出話を語り合った。70 年あまり前の彼女は活発なお嬢さんだったが、いまは膝に人工関節を入れた身となっていた。テニスのやり過ぎのせいだそうだが。彼女と仲のよかった、私が小学校入学時に隣の席にいた、そして、わが家の長女と同名の同級生、Y・S (現姓 W)さんは、夫を亡くし、いまは高齢者施設に入っているとか。長い時の経過を改めて感じた。
 私は『親子展』の案内状を送った E・O さんへの手紙の中で、「いともしとやか」な性格だった Y・S さんには、活発な性格だった E・O さんに対するように気軽に電話出来ない気がするので、ついでの折によろしく伝えてほしい旨を書いた。E・O さんのいうには、Y・S さんは決して「いともしとやか」ではなく、木登りなどもする、おてんば娘だったとのことである。私の観察が行き届かなかったのだろうか。しかし、再会することのないだろう Y・S さんの「いともしとやか」という印象は、幼い木登り娘のイメージ(「山賊の娘ローニャ」のような)が新たに重なりながらも、私の記憶中で改まりそうにない。

2015年9月8日火曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -1- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -1-)

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8 月下旬から雨の日が多く、わが家の庭のヒメクチナシが季節を勘違いしたのか、一輪の花を咲かせた。2014 年 9 月 7 日撮影。
It has rained much since late August, and the tree of bush gardenia in my yard now has a blossom, probably by misunderstanding the season. The photo was taken on September 7, 2014.

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -1-

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 表記期間分への感想を 2015 年 9 月 1 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 『水彩画とキルト 親子展』のお知らせ

 「来る 9 月 10 日(木)から 13 日(日)まで、大阪・上本町西のギャラリー風雅において、私と長女の親子展を開催する運びとなりました」と、意匠をこらした開催案内が掲載されました。いよいよ『水彩画とキルト 親子展』が開催される運びとなりましたね。心からお祝申し上げます。妻が『星に願いを』のキルト作品を一目見て、色彩がとても素晴らしいと賞賛していました。

 この親子展については、2015 年 4 月 22 日付記事「三つの絵画展へ」の中で、次のように開催の趣旨が説明されています。
この旅は、私が 17 日に 80 歳の誕生日を迎えた記念の小旅行でもあったが、堀文子さんは 96 歳を超えて、また、郷倉和子さんは 100 歳を迎え、どちらもなお描き続けている人たちである。彼女たちの止まらない創作意欲にあやかりたいものだ。なお、長女が私の傘寿を記念して、私の水彩画と彼女のキルト作品で親子展をしようといってくれている。その際に共通の題材の作品を一組出そうということになり、私はいま、長女のドクダミのキルト作品に似たドクダミの絵を描いている。郷倉和子、堀文子両展にもドクダミを描いた作品が一点ずつあったのは興味深かった。どちらも他の野草と一緒に描かれていて、私が描いているようにドクダミだけを取り上げた作品ではないのだが。
 出展されるドクダミの絵については、6 月 7 日付け記事「水彩画『草の根の力』」に、
ドクダミは、地下の根をどこまでも伸ばして、たくましく広がる。折しも、安保法制の名の戦争法案が国会で審議されている。9条を破壊するなという、人々の草の根からの運動が今こそ盛り上がらなければならないという思いもあって、この作品を『草の根の力』と名付けることにした。
と述べられています。また、7 月 27 日付け「水彩画『自然エネルギー』」には、
「2012 年の春、オランダとベルギーの運河をクルーズする旅で訪れたときに撮った、オランダ・キンデルダイクの風車の一つの写真を基に描いたもので、題名『自然エネルギー』には、福島第一原発の事故がもたらした住民への甚大な被害や、廃棄物処理が未解決な原発技術の不完全性にもかかわらず、なおも原発推進を図る政府への抗議を込めてある。
と説明されています。

2015年9月5日土曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -6- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -6-)


紅葉七分:京都・高雄(2011年)
Maple Leaves before Full Autumn Color: Takao, Kyoto (2011)


草の根の力:ドクダミ(2015年)
The Power of Grass-Roots: Lizard Tail (2015)


自然エネルギー:オランダ・キンデルダイクの風車(2015年)
Watercolor Renweable Energy: Windmill in Kinderdijk, Netherland (2015)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、6回に分けて掲載した。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(完)
(End)

2015年9月4日金曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -5- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -5-)


水都の一景:大阪・中之島(2010年)
A View of "the City of Waterways": Nakanoshima, Osaka (2010)


夏木立:堺・大仙公園(2010年)
The Summer Grove: Daisen Park, Sakai (2010)


木もれ日:大阪・住吉公園の汐掛け道(2011年)
Sunbeams Shining through Branches of Trees: Shiokake Road, Sumiyoshi Park, Osaka (2011)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて掲載中。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年9月3日木曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -4- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -4-)


欧州の水都:イタリア・ベニス(2003年;2009年再着彩)
The City of Waterways in Europe: Venice, Italy (2003; Re-colored 2009)


『アルプスの少女ハイジ』の山村:スイス(2009年)
The Mountain Village of "Heidi": Switzerland (2009)


夏の小漁港:富山県氷見市(2009年)
The Small Fishing Port in Summer: Himi, Toyama (2009)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて掲載中。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年9月2日水曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -3- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -3-)


卒業予定だった母校:旧大連嶺前小学校(2006年)
The Alma Mater: Former Dalian Reizen Elementary School (2006)


反戦の旗のある風景、または、雨後の街並み:イタリア・ブラーノ島(2006年)
The Landscape with the Anti-War Flag, or The Street after Rain: Burano, Italy (2006)


古風&現代風:金沢・別院通り(2003年;2009年再着彩)
The Old Street and the Modern Building: Betsuin Street, Kanazawa (2003; Re-colored in 2009)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて掲載中。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年9月1日火曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -2- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -2-)


市庁舎と市電のある風景:オーストリア・グラーツ(2004年)
The Landscape with the Town Hall and the Tram: Graz, Austria (2004)


教会の見える街角:オーストリア・バートイシュル(2005年)
The Street Corner with the View of the Church: Austria Bad Ischl (2005)


昔の大連:1920年代のモノクロ絵葉書から(2005年)
Old Dalian: From the Black-and-White Postcard of 1920s (2005)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて掲載中。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)