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2022年2月12日土曜日

抽象画と物理データの偶然の類似性 (Accidental Similarity between Abstract Painting and Physics Data)

[See here for the English version.]
図 1. 個展案内葉書に印刷されていた吉原彩子さんの作品 “DUET”
Copyright © 2015 by Saiko Yoshihara

 私の友人・吉原彩子さんは、私と大連の小学校での同期生であり、新象作家協会に所属するセミプロの画家である。彼女は 2015 年 12 月 3 日から 20 日まで岩手県花巻市で個展を開催した。そのイベントの案内葉書には、一つの抽象画作品のイメージがあった(図 1)。この絵で、彼女はジャクソン・ポロックが使用したのに似たドリップ技法を部分的に採用しているようだ。黒い点々は地震災害の影響を示しているかのようである。彼女は 2011 年に東日本大震災で被災した土地に住んでいるのである。しかし、この作品は、災害を克服するための脳と新しい生命のイメージも含んでいると見える。絵の明るく優しい色調は、未来への希望を発散している。私はこの絵がとても気に入った。

 私はこの絵の、ある特徴に驚いた。それは左下から右上にかけての一連の黒い点々である。これらは、私が物理学の論文中の図にプロットした実験データに似ているのである。まず、電子の外挿飛程(物質層を通過する電子の透過度の目安)についての論文[文献1]の図を思い出した。それは、外挿飛程と電子エネルギーの関係(簡単に「飛程・エネルギー関係」と呼ぶ)を、物質がアルミニウムと銅の場合について対数目盛で示したものである。私は横軸の全領域を 2 分割して図を描いた(注 1 参照)。すなわち、下部と上部に異なる横軸の目盛を使用して、二つの部分を一つのグラフに結合したのである。その結果、素人の方が関係の全体的な傾向を一目で把握することが困難な形になっている。

 そこで、類似性を分かりやすくするため、元の図の二つのコピーを組み合わせて新しいグラフを作成した。図 2 では、横軸は考慮した領域全体に自然な形で広がっている。図 2 の幅と高さの比率は、図 1 中の絵と同じにした。これで、彼女の作品の一連の点と、図 2 の左下から右上へ伸びる 2 本の隣接する曲線に沿った点の並びの類似性をはっきりと見ることができる。

図 2. 両対数スケールで表した、アルミニウムと銅の中での電子の飛程・エネルギー関係。点は実験データ、曲線は私たちが提唱した経験式

 彩子さんの絵には、さらに、右に行くにつれて最上部の点々から大きく外れる他の点々の並びもある。この傾向は、原子番号が大きい場合の電子の飛程・エネルギー関係にも見られるが、ずれ方は絵の場合のように大きくはない。このことを考えていて、電子の後方散乱についての私の別の論文[文献2]中にあるグラフを思い出した。そのグラフについても、幅と高さの比率が彼女の絵と等しくなるように変更を加えて、図 3 に再現した。これは、電子の後方散乱係数(入射表面から逆戻りして出て来る電子の数と入射電子数の比)を、吸収体物質の原子番号を入射電子のエネルギーで割った値の関数として示している。異なる物質についてのデータは、彼女の複数の点々の並びと同様に、次第にずれて行く曲線上にある。

図3. 電子の後方散乱係数の、原子番号を入射電子エネルギーで割った値に対する依存性。いろいろな記号の点は実験データで、黒塗りの記号は私自身の実験結果、
曲線はデータを滑らかにつないだもの

 私の論文の図を見たこともない彩子さんが、なぜそれらの物理データのように配置された点々を描いたのだろうか。彼女の点々や、私の図の実験データの並びが表す曲線は、「S 字型曲線」あるいは「ロジスティック曲線」と呼ばれ、自然現象でよく見られるものである。また、大きな画布の上で、筆を持った右手を左下から右上に向かって自然に動かすと、その流れの一つは、そのような曲線を生み出すと思われる。こう考えると、このような類似性が生じるのは、それほど妙ことでもない。

  1. 文献 1 と 2 の論文を発表した頃には、パソコンがまだなかった。そこで、B4 サイズのトレーシングペーパーに図を手描きしたのである。
参考文献
  1. T. Tabata, R. Ito, and S. Okabe, “Generalized semiempirical equations for the extrapolated range of electrons,” Nucl. Instrum. Methods 103, 85 (1972). [私の最もよく引用されている論文の一つ]
  2. T. Tabata, “Backscattering of electrons from 3.2 to 14 MeV,” Phys. Rev. 162, 336 (1967).[私の学位論文]
改訂版への注
  1. この記事は最初、2015 年 11 月 14 日にこちらに英文で掲載したもので、私のブログ記事中、最もよく閲覧されているものの一つである(約 1690 ビュー)。今回、 干の変更を加え、また、文章を改善した英文改訂版を作成し、同時にこの邦文版も作った。
  2. 改訂版を作成している時、ここで使用した彩子さんの絵は、『吉原彩子画集:Dairen & Fukushima』(自費出版、2015 年)に完全な形で、“DUET” という題名とともに掲載されていることを知った[画集のサブタイトル中の “Dairen” は、大連(Dalian)の日本語読みローマ字表記]。絵の正しい向きは、図 1 のものを反時計回りに 90 度回転した形だった。また、元の作品は四つの側面共にもう少し広がっていた。ただし、本エッセイで言及した類似性は、私のグラフも反時計回りに 90 度回転して比較することによって、絵の本来の形についても当てはまる。その場合、最後の段落で、「S 字型曲線」と「ロジスティック曲線」の前に「回転した」という言葉を付け、「左下から右上へ」という表現を「左上から右下へ」に変更しさえすればよい。
  3. “Fukushima” の語は東日本大震災の関連では、福島第一原子力発電所事故を象徴するものである。したがって、彩子さんの画集の副題は当時の彼女の絵がその事故の影響を大きく受けたことを意味しているように見える。しかし、彼女が大連と福島を並べたのは、彼女の居住地が、かつては大連であり、生まれたその地から引き揚げによって離れたのちは、主に福島県であったからであろう。
  4. 作品の題名 “DUET” は、震災には無関係であり、私のその作品についての感想は画家の意図以外のものだった。ただ、その題名は、本エッセイで彼女の作品と私のグラフが相並んだことを考えると、妙に予見性を備えたものだったと言える。
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