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2005年1月13日木曜日

アインシュタインの社会的業績と坂東昌子教授

 愛知大教授、日本物理学会世界物理年委員会委員の坂東昌子さんは、市民向けの講演会で一市民から「原爆を作った物理は嫌いです」といわれ、「原爆と物理が連動されてとらえられていることを改めて思い知らされ」たという話を、世界物理年に寄せる文の始めに記している [1]。

 その文の中で坂東さんは、哲学者バートランド・ラッセルと物理学者アルバート・アインシュタインが共同で出したラッセル・アインシュタイン宣言が、科学の成果の悪用をとめるため、「科学者も社会の一員である以上、組織として発言し行動することが必要」[2] と呼びかけたことを紹介している。続いて、世界物理年の企画には、アインシュタインのこの意図を引き継ぐものが少ないと感じていること、そして、核兵器だけでなく生命科学の分野でも科学と社会の関係やそれに対する科学者の関わり方が焦眉の課題であることを、坂東さんは述べる。

 私も、ラッセル・アインシュタイン宣言はアインシュタインの大きな社会的業績の一つともいえるものと思い、科学者はこの宣言の精神を尊重し、積極的に社会的発言をしなければならないという考えを持つ。

 私が大学院修士課程の学生だったとき、理学部構内の道を歌を口ずさみながら歩いていたりするのをよく見かけた愛くるしい後輩女子学生がいた。彼女はある日、ノートを手にして、私がいたコックロフト・ウォルトン型加速器の実験室へ現れた。そして、「T 先生、原子核物理学の歴史について教えて下さい。J. J. トムソンが …」といった。大学文化祭の展示用資料作りのためだったのだろう。その頃まだ物理学の歴史について不勉強だった私は、彼女の言葉をそこでさえぎって、「ぼくは歴史はよく知らないので、FさんかTKさんに聞いて下さい」と 1 年先輩の人たちを紹介した。

 思えばその愛くるしい後輩が、後に結婚して坂東姓となった中山昌子さんだったのだ。私は先輩を紹介しなければならなかったことが残念で、「J. J. トムソンが …」という言葉とその時の中山さんの顔が、いまでも脳裏に焼き付いている。彼女の言葉は、「J. J. トムソンが電子を発見した頃の話から、お願いします」とでも続くはずだったのだろう。

 それからかなり後に、ある雑誌の女性科学者紹介の連載記事でだったと思うが、大学院博士課程で素粒子論を専攻した中山さんが、同じ物理学研究科で原子核理論を学んでいた彼女の小学生時代からの同期生・坂東弘治氏と結婚していたことを知った [3]。東大核研教授だった夫君の訃報を新聞で見たのは、15 年ほど前になる。その悲しみを乗り越えて、意欲的な活躍を続ける彼女に拍手を送りたい。

 後日の追記

 坂東さんの文をここに紹介したことを、彼女にメールで知らせたところ、「そんなことがあったのか、と昔を懐かしく思い出します」という旨の返事を貰った。

  1. 坂東昌子「科学者と社会的責任:2005 年世界物理年によせて」、しんぶん赤旗 p. 9 (2005 年 1 月 11 日)。
  2. これは、ラッセル・アインシュタイン宣言(The Russell-Einstein Manifesto, 1955)の必ずしも忠実な訳ではなく、その意図をくんだ言い換えと思われる。同宣言原文は、例えば、https://www.atomicheritage.org/key-documents/russell-einstein-manifesto に掲載されている。
  3. 記憶の不確かなところは、坂東さんのホームページ[後日リンク切れ]の記事から補った。

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