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2005年2月17日木曜日

「わからない」ということは …

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 2 月 17 日()曇り時どき雪

 計算をするとき、試験の前に記憶を試すとき、万年筆を使う前にインクの出具合を調べるとき、鉛筆の削り屑を受けるとき、あるいは丸めて机の抽出しの隅にたまった埃をまれに拭き取るとき、せいぜいこれらのときにしか役立たないで存在している紙をあさっていたら、2 年半ほど前の音楽の時間を思い出させる、たった 3 行の文字を発見した。

  動物の謝肉祭感想
 僕たちが騒がしくてよくわか
 らなかった。
とあり、YM 先生の検印がある。きょうのぼくも、心の葛藤が激しくて、何の行動をしたのか「よくわからなかった」。どのような場合でも、「わからない」ということは、「わかろうとしない」ことが、原因の 90% 以上を占めているだろう。

(Sam)

 散髪と入浴と、それだけのことに行っただけで午後は終ってしまった
[1]。風呂へ行くと、いつも会う人が決まっている。毎週同じ人に会うと、いつの間にかお互いのことが分かり、親しくなって行くものだ。
 どこへ行ってもその話だ。試験、試験、試験。「試験があってこそ、学校生活に活気が満ち、喜怒哀楽が感じられ、潤いが生じてくる。最も支配的ですべてを運命づけるわれわれの根源は試験である」
[2] と。

 引用時の注
  1. この文の前に、長町児童図書館へ行ったという午前の行動を記した数行の 1 パラグラフがあるが、目的や、述べられている不満、Sam をそこへ引っ張って行った「彼女たち」などの意味が取れないので、省略した。「彼女たち」とは、多分、近所の子どもたちのことだろうが。
  2. 風呂で毎回会う人が話したことだろうか。この頃の私の日記も、試験のことが相当な部分を占めており、あたかも、それを皮肉られているようである。実はこの頃に限ったことではなく、私は大学の教養過程時代にも、試験で何なにを間違えたということを、よく日記に書いたものだ。些細な誤りを気にかけチェックするという性癖は、しかしながら、就職後の研究生活には利点ともなったと思う。

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