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2005年2月12日土曜日

Vicky も完ぺきではなく

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 2 月 12 日(火)曇り一時雨

 また一つの失策。しかし、Vicky も完ぺきではなかったような I・S 先生の口ぶりだった。"... would not be of use." と書いたつもりだったのに、of が抜けていたのだ。
 ホームルーム時は曲がりなりにも、その名目通り 1 時間を使った。漫画のベティさんをなんとなく連想させる NR さんが、司会者を決めるために壇上に立った。そして、「教壇にいる人!」という多くの声と正式な指名と、そのあとの拍手で、そのままそこに立つことになった。「試験はわれわれに "積極的に知識を獲得しようとする心" を与えるものであるかどうか」という長いテーマを、彼女は何度か読み上げて発言を求めたが、始めのうちは、誰も発言しなかった。UE 君は「与えないものである」旨を端的に述べただけで、「もう少し考える」といって、頭を抱えて座ってしまった。彼が「与えないもの」という前に少し述べたことが、ぼくの出題の趣旨からややはずれていたので、テーマの意図を説明しようとしたが、何だか堂々めぐりの発言になり、自分でも解釈できない問題だと思った。ぼくはさらに、いろいろしゃべり、難しい表現をしたり、自分で「おかしいな」といったり、「分からん!」といって、途中で座ったりもした。… 討論自体、益するところがなかった。

 祖父が飯台にサツマイモを見出すとわき起こるような喜びが、Sam の日記を読む時のぼくにも起こる。味があり、うつろになりかけている感情を充たしてくれるものがある。
 けさもサツマイモを見た祖父の食前の祈りが普通とは違った調子になった。母は、「じいちゃんはイモと鼻紙があればいいがやね」といった。祖父の枕元には、ハトロン紙、古新聞、広告紙などを重ねて折りたたんだ束がつねにある。その収集物はひじょうに大切にされている。買って来いとも、出してくれともいわれないが、祖父の鼻紙は欠乏しない [1]。

(Sam)

 昨日から、社会は国際経済をしている。先週で、国際政治は終ったのである。今週で経済をすませて、来週から文化をする予定だというが、そんなに速く進まれてはたまらない。『徒然草』を国語甲でやる。第十、十一、十二、五十六、五十七、七十一、七十五の各段である。
 午後は PTA 総会のため、打ち切り。

 どうもぼくには勇気と決断力がない。校舎のまわりを一周半した
[2]。最初に会ったのは MYK 君で、彼は試験はないかとかいう質問をした。ぼくは、第六限は終ったのかと尋ねた。三人並んで歩いて来る一人の中に KZ 君がいた。手にポータブルを持っている。あとの二人は誰か知らない。KB 君に出会って、「Ted は?」と聞いてみたが、ホームも時間番号も違っていては分かるはずがないことは九十九も承知だった。新聞部室を教えてくれようとしたが、分かりそうもなかったから(一度教えて貰っておいたのに、その後ぜんぜん行かなかったから、正確な場所に自信がなかった)、何とかなるだろうといって別れた。Neg とは三十七日ぶりで会った。もし、KJ 君に会えていたら十日ぶり(とはいうものの、Ted とも十日ぶり)ということになる。HN 君のところへは解析の何かを持っていかなくてもよいのかい [3]

 そういえば、きょうは、昨日片仮名で書いた歴史上の人物の誕生日だったナ。おや、英語のリーダーの次の課は、Walt Whitman の詩 "O Captain, My Captain!" だ。"In this poem the ship represents the nation and the Captain is Abraham Lincoln." とある。


 引用時の注
  1. 祖父(母の父)は 80 歳を少し過ぎ、いまのことばでいう認知症になっていたようだ。古新聞を鼻紙にしたのでは、顔が黒くなっただろうに。
  2. Sam はこの日、午後の授業がなかったので、私の高校まで来たのだ。日記帳は前日、直接会うことなく交換していた。
  3. 私は前日に続き、試験に備えて HN 君のところへ解析を教えに行くのに、手ぶらで出かけたのであろう。

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