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2005年2月15日火曜日

下校時の Vicky

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 2 月 15 日(金)雪

 二週間前から与えられていた「配給政策はどのように変遷してきたか」という問題で、試験がなされた。論文的な調子で書けばいいのだ。零点ということは絶対にないわけだが、よい成績を挙げようとすれば、教科書以外にいろいろ調べておかなければならない。


(Ted)

 ここに挟んで置くような解析の問題で 91 点しか取れなかったことは、ぼくが落ち着く以上のことをしなければならないことを示唆する。この 4 日間、毎日 5 時過ぎまで HN 君に、けさは登校を早く誘いに来た KJ 君に編集室で、そのあと教室では四方八方から名を呼ばれ引っ張られて、分からないことがないような顔で教えてばかりいたのだった。それにもかかわらず、KJ 君と職員室の Y・S 先生のところへ結果を聞きに行くと、隣にいた T・K 先生から「100 点を取らなければ、ダ!メだぞ。」といわれる始末だ。問題に対する配慮が足らなかった。
 Grammar & Composition にある Franklin の "What kind of person do you want to be? ..." ということばは、ここ 2、3 週間思い続けている、Sam がぼくに課した宿題をさらに新しい形でぼくの前に提出した:What kind of person do I want to be?

 一人で昇降口を出てぽんと新しい傘を開く。見上げると、白い空から無数の黒い点が落ちてきて、途中で白くなり、すっと地面に吸い込まれて消える。雪である。少し前を 3 人の女生徒たちが行く。右端は黒い外套を着ていて長身だ。外套付属の帽子が髪形を隠しているが、白い布製手提げの内側に見える頭文字で Vicky と分かる。校門を出て間もなく、ぼくの方が先になった。自分の左右の手にある鞄と空の弁当箱と傘、ぐしょぐしょした地面、そして後ろからの声だけが感覚系統のすべてを奪う。「ただいまから 19 番教室で議会を開催いたします。…」というスピーカーからの声が運動場を横切って追いかけて来たが、彼女たちの玉を転がすような声の調子は変わらない。Vicky は解析の時間が異なっている他の 2 人の女生徒たちと、その科目の試験問題について話しているようだ。流会続きの生徒議会をさぼって帰るとはけしからん! [1]
 帰宅して一旦 2 階へ上がり、鞄を置き、再び長靴をはいた。祖父の用事があったのだ。すぐに先程の 3 人の女生徒たちが眼前に見え、ぐんぐん近づいた。ほとんど追いついたも同然になったとき、ぼくは「よしみや」へ入らなければならなかった。もしも Vicky が一人だったら、そして電車に乗るのでなかったら、…(この続きを英語でいうときの仮定法過去完了の主節 "I would have" 以下は、仮定することもできないほどの内容だ [2])。
 小さくのたうっている心に信念の骨を入れ、激しく転変する運命の中でも強い性格が維持できるようにならなければいけない [3]。

 引用時の注
  1. Vicky は生徒会議員だったが、このときの私はそうではなかった。
  2. 「Vicky に声をかけただろう、と書きたいが、それはまったくあり得ない仮定だ。」という意味。

  3. 母が 3 人の子や夫をかなり早く失い、敗戦後は引揚げの苦労をするという、転変する運命を強く生き抜いて来たことを思い、自分を叱咤激励したのであったか。

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