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2005年3月7日月曜日

奇跡

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 3 月 20 日(木)

 取り得るものを取らないとは、そして、自分より多くを取ったものがいるとは、それが何についてであれ、残念な気がしないことはない [1]。
 「財貨」を「財価」と書いたので1点引かれたそうだ。——これは Vicky のことだ。—— MR 君はその 2 倍を、ぼくはその 3 倍を引かれた。ソシアル・ダンピングについて「安価で投げ売りすること」としか書かなかったのが悪かったらしい。他に 90 点台が 2 人いた。それが誰だれかをぼくが覚えていないのと同様に、Vicky はぼくの点など問題にしていないかも知れない。(答の選択理由を書かなければならないことを聞きもらしていた 2 枚目の方は、この採点には入っていない。)
 解析の最初の問題は 15 点の配点だそうだ。えらいことになってしまった。90 点が一番よかったそうだ。
 英語の答案用紙は、珍しく返却された。「銅貨」は間違いにされていなかった。隣のMR 君と見せ合った。彼は 14 点引かれていた。KJ 君が、Vicky は 90 点といっていたが、そんなはずはない。整理番号が Vicky の次である TJ 君の答案用紙と見間違えたのではないか。どう間違っても、10 点に値する減点を受けることは、彼女には不可能だ。

 足駄の音を方ぼうへ引っ張って行く。それに並んで、KJ 君の靴の音が、同じくどこへ行くともなく動き回る。——おう、そんなことに出くわすことを期待した午後ではなかった。—— KJ 君の部屋が布団などで一杯になっていたので、手袋をしないでは冷たさを感じる気温ではあったが、及落判定会議のため授業のなくなった時間を、われわれは外で過ごすことになったのだ。始めに KJ 君の家の用事で大手町の税務署へ行き、次いで、SNN 君の不在を見出していささか困ったが、MR 君の家を目指すことにした。
 角から紺色の姿が、かなりの速足で現れる。Minnie だ。ピンク色の毛糸の玉のような、——いや、こんなものでは例えられない、——その後ろには水にぬれたような黒い髪が垂れ、それはセルロイド製のようでもあり、いまにも空へ舞い上がって行きそうでもあり、光と圧力を発していながら、あくまでも柔らかい、そのような顔。見てはならないものを見せられているような ………………。手に買い物篭のようなもの。KJ 君の質問に「お使いに」という。KJ 君がもう少しことばを交わし、「さようなら」といったあとは、黒い小さな弾丸のように去ってしまった [2]。
 昨年のきょうより 4 日後に、Minnie とぼくは並んで教壇に立ち、黒板に向かっていた。立たせたのは NK 先生だ。ぼくは、She said, "Oh, what a fine sight it is!" と She said that what a fine sight it was. の二通りの話法の文を書いた。Minnie の答は、直接話法の文の終りを感嘆符にし忘れピリオドにしたことだけが、ぼくのと違っていが、NK 先生から「おっきな間違いをしたな」といわれたのだった [3]。

 MR君は親戚のところへ行って不在だったので、ぼくたちは KB 君の家へ回った。算盤が机の上にある。先日、珠算検定試験で3級になった多くの名前が新聞に載っていた中に、KB 君の名前もあった。石引小の放課後の珠算教室で初めて彼を知ったときのことを思い出す。
 帰りの坂道を登りながら、KJ 君は「奇跡って、起こるんやなぁ …」といった。Minnie の最も新しい印象を得た瞬間のことをいったのだとは分かったが、ぼくは「いやに哲学的なことをいうなぁ」と落ち着いていった。彼女と別れたあとの KJ 君は、茶色の毛糸の手袋を口に当てて、みょうに顔の血のめぐりをよくして、つんつんと先に立って歩いたのだった。——そうだ。彼は、眼鏡をかけた顔を初めて彼女に見られたのが、きまり悪かったらしい。——

 ぼくは自分に行動の沈黙を勧める。と同時に、多くの経験をすることをも勧める。

 引用時の注
  1. 試験の点について書いている。私はいわゆる点取り虫ではなく、点が悪いことより、習ったことの理解度において友人たちより劣ることを残念に思う傾向があった(他から見れば、大差ないかも知れないが)。したがって、「残念でならない」という強い表現ではなく、「残念な気がしないことはない」という柔らかい表現をしたと思う。
  2. KJ 君と歩いていて、中学同期生で高校が別だった K・S さんに偶然出合ったことの記述である。私のホームページに掲載の大学生時代の日記にも、K・S さんは何度も登場するが、そこでは Minnie のニックネームを使っているので、ここでも、さかのぼってそうすることにした。
  3. KJ 君と Minnie は中学 2 年と 3 年のとき、クラスも同じだったが、ぼくが Minnie と同じ教室で習ったのは珍しいことだった。卒業式後にもかかわらず、NK 先生が担任した 3 年のクラスの希望者に英文法の補習授業をされた。私は、同先生に 1 年のときに担任され、その後も何かと親切にして貰っていた関係で、その補習授業受講者の仲間入りをしていたのだ。「大きな」を「おっきな」といわれるのは、「若干」や「XX、言ってみろ」(XX は私の姓、他のクラスでは難しい質問に答えられそうな別の生徒の姓が代入される)のことばとともに、NK 先生の授業中の口癖だった。

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