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2005年3月11日金曜日

春休みに入る(過去日記)/ 論文、論文、論文(現実)

論文、論文、論文

 目下二つの共著論文について、それぞれの投稿誌の編集長から修正を求められ、手直しをしている。一つは G 研究所からの委託調査をまとめたもので、私の本当の専門分野の論文ではない。

 もう一つは、H 大学の文系学部の Y 教授との共著論文で、これは全く専門外の分野のものである。数年前に関連の問題について、たまたま物理屋の視点から反論的短報を発表したことがある。その関係で、Y 教授から彼の論文について意見を求められ、私の考えを述べまくったところ、共著者にならなければならない羽目になったのである。

 そこへさらに、現役時代に私たちがしばしば投稿した国際的専門誌から、投稿論文の査読依頼の打診が来た。私たちのかつての論文が 1 編引用されており、私にとって興味深い論文である。西アジアのある国から投稿されたその論文は、英語に多少の難もありそうなので、その査読作業には時間がかかるかも知れないが、引き受けることにした。——何ごとも、重なるときには幾重にも重なったりするものである。——

 米国の原爆開発で中心的役割を果たし、第2次大戦後は核実験停止運動を進めたノーベル賞物理学者ハンス・ベーテ博士が、さる3月7日98歳で死去した。同博士は 90 歳を過ぎても論文を発表していた。それにくらべれば、私は年齢的にまだ赤子である。ベーテ博士については、別途、一文を書いてみたい。

春休みに入る

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 3 月 25 日(火)晴れ

 早くから出かけたのに、早すぎて卓球をして遊んでいたら、カードを出すのが遅れて(そんなこととは知らなかったのだ)、午前中には教科書を貰えないことになってしまった。講堂の二つの出入口を使って販売している。一方は男子が、他方は女子が、押し合いもみ合いの長蛇の列を作っていた。規律というものが全然ない。ただ自分だけが先に買えればいいと思う連中ばかりだから、たいへんな混雑ぶりである。十人近くの人たちが働いているのだが、なかなかはかどらない。「手伝ってやろうか。無報酬で構わない」と叫んでやりたくなる。「講堂の一つ一つの窓を販売口にして、学年別、コース別に売ればよいのに」「一方を入口、もう一方を出口にすればよいのに」など、勝手なことを考える。が、これは、けっして勝手ではあるまい。もっとも効果的、効率的にすることが大切なのだから。
 割れてそのままになっている棚のガラスを入れ替えようと思い立ち、実行に移す。縦横の長さを測り、ガラス屋へ行って、明日来て入れて貰うよう頼んだ。帰ってよく調べてみると、自分ででも入れられることが分かったので、ガラス屋へ行って、その旨をいい、ガラスを貰って来た。思った通り、自分で出来たが、ほんの五厘ほどガラスの幅が大きかったので、入れるとき無理をしたら、ヒビが入ってしまった。そこを何とかうまくカムフラージュしておかなければならない。


(Ted)

1952 年 3 月 26 日(水)曇り

 紫中同窓会名簿——Octo(KB君)に見せて貰った。Sam には届いたかい?——の旧職員の欄で、カッコ内に旧姓を添えられている 2 人の先生の中の 1 人を訪問する。石切町でなくて、石伐町だ。桜橋を渡って、寺町台地への石段を昇るとすぐのところに T・M 先生の家はあった。寺町で待ちあわせて連れて行ってくれるはずの TK さんが、約束の時間を 30 分過ぎても来なかったので、Jack(KJ 君)と先に行って、先生の家を探し当てた。
 新しくて小さい生命を先生の腕と胸の間に見た。先生にとって昨年は、忙しさと変化の多くが一度に押し寄せた年だったそうだ。少し遅れて NK さん、BS さん、そして最後に TK さんが来た。まだ 4 カ月にもならない人物が、われわれの注目の的であり、話題の中心または一端をつねに占めている大きな存在でもあった。その他、先生の話は、見知らない小学生や中学生たちの顔をほうふつとさせるものだった。それは、童話的であり、小刀が足に刺さる不幸の物語であり、教える楽しみの吐露であった。
 TK さんは「まぁ、すごい」と自分で自分のことをいって、他の 2 人の女生徒の方へ赤く照れた顔を向け、「いろんなことがあったゎー」と懐古的なことばを放った。T・M 先生は、その TK さんの一件を次のように話された。
 「家出せんなんていって、先生のところへ来たがゃ。自殺するがんないかと思うて心配したゎ。『先生、人間はどうして生きなければなならいのですか』なんていうがやもん。あんまり本読み過ぎたさかいや。」
 正座し続けていた Jack とぼくは、膝を痛くした。われわれが帰るとき、先生は可愛いい分身を抱いたまま、犀川の流れが見え下から冷たい風の吹きつけるところまで送りに出て、励ましの言葉を下さった。

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