春休みの遊園地
春休みだが、遊園地で遊ぶ子らの姿を見ることは少ない。写真は2005年3月26日、堺市鳳中町で。
Sam の始業式
高校時代の交換日記から。こちらは、昨日掲載の分から、一足先に一学期の初め(高校2年)となっている。
(Sam)
1952年4月8日(火)雨
第一体育館で新ホームを探す。今年度はコース別にホームが形成されている。Funny とはコースが違うから、もちろんホームも違う。彼は全員男ばかりのホームだ。女子ばかりのや、男子が八名で残りの全部が女子というホームもある。ぼくのところは総数54名で、最大世帯である。Funny のホームに比べれば、20名ほども多い。男子と女子の割合は3:2ぐらい。こんなに女子が多いだろうとは思わなかった。
まず、新ホームに入って出席をとり、それから大掃除にかかる。二年生は臨時に一年生のホームを掃除しなければならなかった。初めのうちは仲よくやっていたのだが、掃除用具よりも人数がはるかに多かったので、男子の方は自然、失業の形になってしまった。そこで、徒党を組んでサボに出かけたのだが、あとで説教の一場面と相成った。
予定から十分ばかり後れて始業式が挙行された。「学究的気風」という、耳にたこのできるほど聞かされた校長の決まり文句の上に、「今年度こそは」という副詞句がのっかっていた。指導課からの話は、校長の話よりも静かに真面目に(やかましく真面目に、とはいうまい)聞いた。「『すべからず』という復古調の命令文でも、『しましょう』という筋の入っていないのでも困る。『自らこうしてやるんだ』という、自己の責任のもとにすべての行動をしなければならない」という論旨だった。
そのあと再びホームに入り、時間表の作成にあたった。昨年と同様の方法で作ればよかった。続いてホーム主任の MT 先生から話があり、帰ったのが一時十分。2745、これが今度のぼくの出席番号である。最初の数字は学年、次は組、この二つが合わされて27ホームと呼ぶ。45はホームの出席簿の番号。
Random writings of a retired physicist
Continuation of "Ted's Coffeehouse" (now being restored in archives of this site)
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