上のイメージについては引用の高校時代の日記中にも記してあるが、私がたまたま会合で見かけて記憶していた Sam の世界史の先生、M・K 氏の面影を描いたもの。日記帳にしていたノートの1行の罫線内に小さく描いてあったものを拡大してある。
高校時代の交換日記から。
(Ted)
1952年4月17日(木)晴れ
天から暖かく注いでくるものがあまりにも豊富なために、それを直接受けたり、その乱反射を受けたりしたものは、その働きによって伸ばされ、屈曲し、歪んだ姿のままで固定されてしまいそうでああう。じっさいに、そうなっているものもある。鞄から出した教科書やノートがそうである。全ページが表裏の両表紙とともにペコンペコンと凸面や凹面を作る。まだある。われわれの心がそうである。こう書いているうちに少し治ってきたが、下校直後のぼくの身体もそうだった。ガラス戸越しに見える前の道路で、砂じんが舞い上がっている。桜の散る様子がここからは少しも見えないことが、心を屈曲させたままに放置して忘我の域にあるぼくに、借り間の縁からの眺めが殺風景だという、ぜいたくな考えを起こさせる。
M・A 校長の講義は分かりやすいものだったが、"A Legend of Izumo" の最初の一文章で1時間のほとんどを使って教えられた文法事項は、よく知っていることばかりだった。体操は使い込まれたバットのような感じの IN 先生になった。解析 II の時間は、SNN 君との間で二、三日来問題になっていた1、2、3、...、n の各4乗の和を求める式を作るのに不可思議な違いが生じたことの原因――ぼくが5を10としていたのを SNN 君がその通りに写し、それ以後を銘々がやり、「それ以後」のところで違ったのだろうと思っていたのだった――を追求する内職と、「あるいは」を「あるひは」と発音される K・B 先生の講義に耳を貸すのと、半々にした。物理は、隣の席にいた SNN 君が「Vernier の原理の説明、分かった?」と小声で聞いたほど、誰にとっても難しい講義だったが、理解は完全にできているから大丈夫だ。
母が適切な表現をしていたが、なんというのだったろうか――話すときは少しおどけて見える小さめの頭で、眼鏡の奥の小粒な目もくるっとしていた、顔色は――そうそう、「勝ち栗」だった――こんな容貌の MY 先生は、自分の名前を黒板に書くときに「めちゃくちゃ」と、あだ名を自ら讚えながら添えられたり、"THE FIRRRST GLACIAL TIME" と、坂東亀三さんのようにr の音を大いに響かせて話されたりと、英語の I・S 先生と違いながらも似ているところがある。また、ことばがよどみなく流れ出すあたりは、Sam の M・K 先生もこんな調子かと思わせられた。M・K 先生は高文連新聞研究会の時に来ておられたのを見たけれども、上の絵のような、いや、これよりももっと落ち着いた感じの先生じゃないかい?
SH が長くなり(これじゃ SH といえないが)、その時間に議員とホームルーム委員を選んだ。選挙管理員(選挙規則第4条違反があったので、昨日選び直されたが、またまた、ぼくがなってしまった。野田中の生徒会会長だった NS 君や紫錦台中後輩でやはり会長をしていた EG 君も、このつまらない役に当選している。NS 君は昨年度に引き続いてである)の仕事ぶりは、言葉遣いと態度が自分でもやや不愉快なものになったが、両隣のホームより数分早く済ませるという手際でやってのけた。Neg が7票で議員に当選した。2人目は UE 君と HT 君の6票だったので、選挙規則第14条を行使した結果、UE 君が多数を獲得した。
"How to Write Good English" の Book 1は KT 先生の英文法の時間に、G&C に先立って習うのだが、Book 1とはいえ、G&C の Vol.1にはなかったいろいろなことが書いてある("The longer the day is, the shorter the night is." が訳せるかい?)(1)。だが、89ページのうち、50ページまでもうやってしまった。学校では Exercise をすっ飛ばして説明だけするのだが、先日1時間で6ページ進んだ。
[Samの欄外記入](1)「昼はだんだん長くなり、夜はだんだん短くなる」ではいけないかい?
[Ted]「昼が長ければ長いほど、夜は短い」だ。
Random writings of a retired physicist
Continuation of "Ted's Coffeehouse" (now being restored in archives of this site)
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