高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952年4月18日(金)晴れ
国語乙は女生徒がツ反応検査でいなかったので、予期した通り男子だけのための話がなされた。ぼくの右隣の、左と右で1.0もの差のある視力をもった生徒が「宗教学校みたい!」と、感想をもらしていた。自己反省と青年期における信仰についての話だった。『奥の細道』のテキストがまだ来ていないことから始まり、北鉄のストのため先生がいつになく早起きをして、鞄を肩からかけ、遠路を一種のファイトを感じながら登校したこと、そして、このような試練は文明が進めば進むほど人間の肉体にとって必要であることをいわれた。次に、黒板に「リーダーズ・ダイジェスト」の何月号かに載っていた「自己修養と向上のためのプランの一例」を、一つ一つに説明を加えながら書かれた。
日 教会へ行く、ラヴリーな手紙を友人に送る
月 昼食を抜く
火 乗物に一切乗らない
水 愉快な話をする、苦手と思うことをする
木 下着の洗濯
金 ……
土 ……
日曜日の説明は、とくに詳しかった。「信仰の自由」ということは、マッカーサー元帥の考えでは、何びとも何らかの信仰を持っているという前提の下に、信仰するについては如何なる信仰であっても自由であるとしていたのに対し、日本人の考え方としては、信仰をするのもしないのも自由である、といったふうに、とくにインテリ階級といわれる人びとの間に、このような「一段低い考え方」の人が多いと、非難された。「ラヴリー」についても、これは性的な意味を含んだものではけっしてないはずであって、万人に及ぼす類いの、深いものでなければならない、と説明された。火曜日のところでは、フォードの私立小学校での教育方針にまで話が及んだ。金、土曜日の「……」は、先生もこう書かれたのであって、残念にも忘れてしまわれたそうである。
さらに、青年の宗教に対する不安について「一度宗教を信じるようになれば、恋愛も!(数秒おいて、気の抜けたように)焼き芋を食うことも、一切ができなくなるのではないかぁ? この青年期のあふれ出る若さの泉が涸れてしまうのではないかぁ? と諸君は思うだろう。しかし、諸君」ここで女生徒がどやどやと入ってきたので、話の腰が折られて、もとのテキストの話へ戻ってしまった。
"I kissed my hand to her again and again." という文がリーダーの第二課にある。どんなふうに説明して貰えるかなと期待していたが、「誰か知らないかね。キスにもいろいろ種類があるそうだけれど、先生にはこんな真似はできっこないが、投げキスのことだね。お月様とキスするということ自体から考えても、だいたい見当はつくだろうがね」ぐらいのことで済んでしまった。
58 cmで、ぼくはサージャント・ジャンプの最高記録を作った。たいていの生徒は40 cm 台だった。予想外によい記録なので、何だかよい気持ちがしない。アンフェアなことをしたように思われそうな気もするし、自分でもそれを真っ向から否定できない。しかし、ほとんどの生徒は手を斜めに上げたり、十分に伸ばさないで印をつけていたし、一度バウンドをつけてから跳び上がっているのもほとんどだった。ぼくの跳び上がってつけた印はレッスン・クラスで一番背の高いチョーロ君(どこへ行ってもあるあだ名だ)より2 cm くらいしか違っていないのだから、ぼくの能力はそれだけあったのだろう。
六限後、正面玄関でホームの写真を撮った。他のホームの生徒たちが笑わせるのと、ぼくたちのホームは人数が多くて窮屈だったのとで、なかなかうまく撮れなかった。
Random writings of a retired physicist
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