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2005年5月3日火曜日

憲法記念日に思う

     日本国憲法
   第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

     パリ不戦条約
第1條 締約国は国際紛争解決の為戰爭に訴ふることを非とし且其の相互関係に於て国家の政策の手段としての戰爭を放棄することを其の各自の人民の名に於て厳粛に宣言す

 58回目の憲法記念日を迎えるいま、日本国憲法を変えようとする動きが強まっている。その動きは、9条2項を全面「改正」し、「自衛軍の保持」を明記しようというものである。また、集団的自衛権の行使は、条文には盛り込まないものの、憲法の解釈として容認するとしている(たとえば、自民党新憲法起草委員会委員長試案のもとになる「要項」に関する2005年4月5日付け朝日新聞記事)。

 日本国憲法の9条1項は、1928年のパリ不戦条約以来の国際的な流れを背景としたものであり、憲法にうたうか、うたわないか、によることなく、各国が守らなければならない内容である。これに対し、1項を徹底させるための具体的な規定が2項である。これを全面的に変え、さらに、集団的自衛権の行使を解釈として容認すれば、安全保障条約による同盟国アメリカからの要請があれば、「自衛軍」は外国に出かけて軍事行動をすることも可能となるばかりでなく、そうしなければならなくさえなる。

 これでは、イラク戦争のような、国際的に反対の多いアメリカの独善的な戦争に巻き込まれ、日本の国民は再び戦争の苦しみを味わうとともに、交戦国の多くの非戦闘員を殺戮することにもなるのである。私たちは、このことをよく考えた上で、憲法「改正」の是非を見極める必要がある。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

kouhei 05/03/2005 20:14
 はじめまして。「イラク戦争のような、国際的に反対の多いアメリカの独善的な戦争に巻き込まれ、日本の国民は再び戦争の苦しみを味わうとともに、交戦国の多くの非戦闘員を殺戮することにもなるのである。私たちは、このことをよく考えた上で、憲法『改正』の是非を見極める必要がある。」同感です。TB します。

Ted 05/03/2005 21:25
 TB、ありがとうございます。

Y (Nomura, Atsuko) 05/04/2005 00:10
 以前、Ted さんにはメールいたしましたが、科学者の夫とのいつもの文科系・理科系口論で、私が即興で「目的解釈可能性」と、造語を作ってもいいのだという語学の基本を(ドイツ語もそうです)言いましたが、この憲法の「解釈」は、上記「目的解釈可能性」のうち、もちろんその「目的性」、即ち、何のために、どの人々の人権等を守るために憲法が作られたのか、そこに重点を置いて見られるべきではないでしょうか。単なる「解釈の自由度」の拡大によって、「集団的自衛権の行使」、ここから、「解釈として容認すれば、安全保障条約による同盟国アメリカからの要請があれば、『自衛軍』は外国に出かけて軍事行動をすることも可能となるばかりでなく、そうしなければならなくさえなる」という、また次々と、「何の行動力を」つけたいのでしょうね、その目的性を、人間尊重、生命の尊重(=ひたすら、私の学問研究などの「生涯の」仕事のテーマです)の観点から、賢明な深い反省意識でもって正当化できるのでしょうか、Ted さんのブログを読んで、疑問に思います。
 「独善的」、これは何も「善」ではありませんよね、すべて、人々との過去・未来・現在に渡っての命や心の交流を希求し、多くの面を考慮したうえでこそ、それでも私たちは「善」に達しうるほどの賢さを持った人間だとは、そのようには私は高慢には考えておりません。では、絶対に防ぐべき何の危険性があるかということは、歴史に学ぶのがまず、第一ですよね。
 大切なブログを日々お書きいただき、ありがとうございます。憲法、法律、(個人主義の福祉とは縁遠い)政策には本当に知見のない私ですが(関心は大変深いのですが長らく暇がなくて…)、素朴なところで、以上の観点を提示させて頂きますね。

Ted 05/04/2005 07:50
 「『目的性』、即ち、何のために、どの人々の人権等を守るために憲法が作られたのか、そこに重点を置いて見られるべきではないでしょうか」と書かれたのは、まさに憲法問題の一つの核心をついています。憲法は、国民を守るために、国の行為に制限を設けるものですが、いま政府や自民党などが進めようとしている「改憲」は、国に戦争への自由度を与え、大企業の利益を増進するため、一般国民の安全を犠牲にし、権利を制限しようとするもので、到底納得できません。
 「歴史に学ぶのがまず、第一」も、小泉首相の靖国神社参拝や、日本の侵略という反省すべき歴史を逆に美化する教科書の容認が、中国での反日デモの原因になっているいま、大変重要な事柄であり、「改憲」論議でも当然重視されなければなりません。
 「素朴なところ」といわれましたが、最も大切な点を指摘しておられます。

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