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2005年6月10日金曜日

歩きながら考えるのは…



 写真は金沢市・卯辰山の菖蒲園で、2005年6月3日。

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年8月31日()快晴

 のちに見れば自分でこんなに書いたかどうか思い出せないだろうほどの、たくさんの文字を雑記帳ならぬ雑記紙に書き散らすのが午前の仕事だった。ソフォクレス、デモクリトス、プロタゴラス、フィディアス、エラストテネス、…と「ス」でくくれる名前ばかりを書き並べたり、それらに、悲劇、原子論、懐疑論、…というものをくっつけたり、物理の公式を使ったり、果ては、極限の問題を解くのに、まだ習わない余弦法則を使わなければならないところを見出して、それを使ったりした。
 午後は、昨年の standard test の始まる前々日の日曜にもそうしたように、Jack のところへ行った(そんなに古い話を持ち出さなくても、日曜はたいていそうしているのだが)。彼の家の位置は、ぼくのためにちょうどよいようだ。もっと近いならば、ぼくが日光の下を10分以上歩く日が1週間に1日もないことになってしまうだろうから [1]。Jack は、あらゆる問題をもっと納得いくまで理解するように努めるべきだと思う。
 歩きながら考えるのは、数学の問題に関する限り、能率的とはいえないが、Jack の家からの帰り道などに、疑問な問題をときどき思い出す。そうしたときは、まったく自由な気持で、自分の力でその問題にぶつかってみることが出来る。しかし、細かい計算を進めることは出来ないから、あとは帰ってからの仕事にして、速足になる。手足を洗って2階へ上がり、机に向かう。鉛筆を動かす。――こんな具合にして得た理解は、格別の味がするものだ。

 引用時の注

  1. 間借りしていた家から高校までは、徒歩5分たらずの距離だったのである。

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