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2005年6月7日火曜日

旧大阪府立放射線中央研究所別館


 [mtymさんの「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」にトラックバック。(後日の注:トラックバック先のブログは、その後消滅した。)]

 上にタイトルを引用した mtym さんの記事の写真を見て、私の最初の職場(2番目で最後の職場も同じ場所にあり、所属と名称が変更になっただけだが)、旧大阪府立放射線中央研究所別館(写真;1962年3月1日、研究所落成記念に発行のパンフレットから引用)を思い出した。屋根の張り出し具合が、ミース・ファン・デル・ローエ記念館の写真の正面にある建物と似ていたからである。こちらの屋根は裏に空洞があり、その外観は記念館のものより分厚く見えるのだが。

 放射線中央研究所の設計は京大工学部建築科の当時の研究室、増田研究室によるものと聞いている。その落成は1962年であり、設計者が1986年竣工の上記の記念館を知るはずはないが、その原型の、バルセロナ博覧会(1929年)に出展されたドイツ館を写真ででも見ていた可能性はないだろうか。

 上記研究所別館は150名収容可能な講堂(写真の向かって左側)の他、食堂(建物入口部分の奥から向かって右手にかけて)、全建物の熱源、電源をそれぞれ供給するボイラー室と受電室、それに機械工作室(いずれも写真の向かって右側)を備えていた。壁はコンクリートの打ちっ放しである。同研究所を紹介するテレビ番組の録画に来た某テレビ局のアナウンサーは、「正面に見えます寝殿造りのような建物は…」などといっていた。

 1900年、放射線中央研究所は隣の大阪府立大学と統合し、大阪府立大学附属研究所となり、さらに1995年、大阪府立大学先端科学研究所と名称変更した。2005年4月、大阪府立大学が府立3大学を統合し、公立大学法人大阪府立大学として再出発するにあたって、同研究所は、産学官連携機構・先端科学イノベーションセンターに転身した。(場所は堺市学園町1-2。南海バス北野田、福町方面行きで、府大研究所前下車。または、南海高野線白さぎ下車、徒歩10分。)

関連サイト

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

mtym 06/07/2005
 研究所の写真を掲載していただき、ありがとうございます。これらの建物はモダニズム建築様式といいまして、機能性重視、装飾性がないなどの特徴があります。欧州でアールヌーボーの流行のあとに発生し、遅れて日本にも伝播したものです。陸屋根で低層な建屋が長大である点や、建物の前に広場(または庭)のような空間が開けられているところが共通していますね。違いといえば記念館の主な建材は鉄とガラスですが、これはミース設計の建築物に多く見られる特徴です。白黒写真ではわかりづらいのですが、欧米のモダニズム建築様式を日本というフィルターを通して設計された建物であると見受けられました。

Ted 06/08/2005
 「欧米のモダニズム建築様式を日本というフィルターを通して設計された建物」ですか。なるほど。専門的な解説をいただき、ありがとうございました。コンクリートの打ちっ放しですから、カラー写真でもこれとあまり代わり映えはしないと思います。長年勤務していながら、自分で撮った写真はないのです。もっとも、いまのように、デジカメという便利なもののなかった時代です。元職場へ行く機会があれば、撮ってみましょう。

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