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2005年7月14日木曜日

幸福の科学 (Science of Happiness)

 【概要 (Abstract in Japanese)】これは新興宗教の話ではなく、幸福に関する心理学的研究を一般読者に伝える3冊の本 [1-3] に対してネイチャー誌に掲載された批評 [4] の紹介と、それを読んでの感想である。その書評では、まずそれらの3冊の共通点が述べられている。それによって、この3冊のうちのどれを選んでも何を学べるかを知ることが出来る。評者は次いで3冊の相違点を述べているが、多くの読者にとっては、彼が最後に3冊中から1冊選ぶとすれば Nettle の著書 [3] だと述べていることに注目すれば十分だろう(書評はしばしば最終段落から読むのがよい)。個人の幸福感、すなわち主観的幸福、は心理学の問題であろうが、テロ事件が多発する現在、各人の客観的幸福、すなわち人間全体の幸福、の研究も重要と思われる。それは、社会学、政治学、人類学をも含む多分野の協力で取り組まれなければならない問題であろう。
 【Read the main text in English.

  1. R. Layard, "Happiness: Lessons from a New Science" (Allen Lane/Penguin, 2005).
  2. P. Martin, "Making Happy People: The Nature of Happiness and Its Origin in Childhood" (fourth Estate, 2005).
  3. D. Nettle, "Happiness: The Science behind Your Smile" (Oxford University Press, 2005).
  4. D. Evans, "A happy gathering," Nature Vol. 436, p. 26 (2005).

 [以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 07/14/2005
 私はゆくゆくはこのテーマで論文が書けるようにならないといけないので、とりあえずの観点などを、ちょっと時間がかかるかもしれませんがトラックバックさせて頂いて私のブログでも書きますね。
 私自身の幸福観がかなり客観的な傾向をもつことも影響するのですが、happiness という語が内面の、割と狭い領域(feeling)の幸福であるように思われて、happy, happiness の語自体を私はあまり思い浮かべないんですね。幸福とは、容易にはそうと見極めがたい体験、生活感慨、生活状態をも包含するものだろうと思います。私が Ted さんとはまた違った観点で、生きるのが困難な環境にある人々の幸福形成への一助とならねばならない立場にあるため、そう考えるのでもあります。そういった意味から、objective な幸福の研究も重要であるとのお考えには私も大いに賛成です。Scientific research でも、このような観点に立つ調査項目群がまずは用意されて、そこから体系化がはかられるといいですよね。

Ted 07/14/2005
 Y さんのご研究に関連があるだろうと思っていました。最後のパラグラフで sociology と political science に社会福祉学もつけ加えたかったのですが、その英語表現に自信がなかったので割愛しました。思いつくのは science of social welfare という長いものですが、それでよいでしょうか。トラックバック記事を楽しみにしています。

Y 07/14/2005
 そうなんです。私も、この記事を読みながら改めて思いましたが、すぐ手元にある『社会福祉用語辞典』でも「社会福祉学」の正式英訳は載っていないですね。まだ学問の歴史が浅く、学問的分類としては、文学研究科の中の社会学 sociology、その中に位置づけられることが多いです。ただし、私が中心としているような人間学 anthropology に傾く力も大きいので、science としてよりは、study of social welfare といった辺りかな、と、この分野の研究内容をみていても思いました。

Ted 07/15/2005
 大阪府大のパンフレットでは、社会福祉学科は College of Social Welfare と、study も science もつかない形になっていました。私の上の記事には、anthropology を追加しておきましょう。

Y 07/15/2005
 そうだと思います。学会名称の英語訳も、Social Welfare, Human Well-being といった表現で、学として形成されようとも、それ自体福祉的活動に組み込まれる、という意義が第一である分野かと。英文で書いて頂く場合は、study of は削ったほうがいいですしね。
 それから、anthropology は従来、「人類学」として発展してきましたが、昨今では「人間学」(○○人間学、人間○○学)としてより広範になり、学生に学びやすいような一般化もしている(学部学科、講義名称となっている)ようです。
 「福祉」も「人間」も、「これのみ」を学の名称として掲げるのは恐れ多い、自分は努力はしてもそれがいえるほどの知見は持ち得ない、という意識があるのは、私だけではないかもしれません、いつか同分野の方にきいてみたいです。
 ◆それと、Ted さんの個人的なところでは、「幸福」の範疇に、意外な英単語は入りますか? 私ですと、regard なども幸福の上位に来ているのですが。

Ted 07/15/2005
 直前のコメントをいただく前に、英文には "anthropology" を、和文には、人間学を念頭におきながらも、「人類学」を追加しましたが、ご意見と一致しましたね。
 ◆印の件では、competent、good command、deserve などでしょうか。投稿論文に対する査読報告書に、この論文の著者は competent physicist だ、good command of English を持っている、などと書いてあると嬉しかったし、教授になったことを外国の友人たちに知らせたとき、"You deserve it." といってくれたのも嬉しかったというようなことで。Deserve は、罰を受けたときなど、悪い意味でも使われ得ますが。

Y 07/15/2005
 度々の追加になってしまいますが、私の regard というので割と変わっているだろうと思うのは、私自身が regard の対象になるのではなく、私がなんであれ敬意を払う人や事柄があることが幸福だという価値観なんです。しかも respect よりも regard の語を選びましたが、「顧慮」の意を含む点でどちらも似ていますね。
 Ted さんの挙げてくださった単語は、私も共感できますね。多分、それに値するかどうかをご自分で検証しておられる姿勢があると思いますから。

Ted 07/15/2005
 ああ、そうでしたか。regard という単語自体は他への働きかけを意味すると思いながらも、Y さん自身が regard を受けるのが幸福なのかと思っていました。そういわれれば、私が湯川博士やアインシュタインの業績、人柄などについて学び知ることにも、幸福感がありますね。

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