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2005年8月3日水曜日

キジバト(写真)/ 疑いと自信を交互に持つ


キジバト

 わが家の門の脇のカイヅカイブキの木に、何年か前から時どき、キジバトのつがいが来て巣を作っていた。今年は巣を作っていないのだが、先日、2羽が訪ねてきていた。以前のつがいの子どもたちが、生まれ故郷を見物に来たのだろうか(2005年7月28日撮影)。

疑いと自信を交互に持つ

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月13日(月)晴れ

 土曜日に尾山荘とかで行われた新聞コンクール審査会に出席された IT 先生から Jack が聞いて来たところによると、ぼくの採点でも1位になった、第28号に KW 君の「真摯な態度で」という生徒会会計就任の言葉が掲載されていた「いずみの原」が1位だったそうだ。2位以下もぼくの採点通りだったかどうか知りたいと思ったが、自分が最も力を入れてもっと立派なものにすべきだった新聞が選外佳作以下であっては、ちょっと聞きに行きかねた。いずれ北国新聞で分かるだろう。

 たとえば、自分自身のひらめきの強さと洗練性に対する感覚の感度について、疑いと自信を交互に持つこと――それは、皮相的に考えれば、矛盾であり、無意味のようである。しかし、疑いと自信の両者は、ともに必要なのだ。なぜならば、自信を失えば、それ以上積み重ねては行けないし、また、疑いがなければ、どれだけ曲がっていても、直してまっすぐにする機会を作り出すことが出来ない。
 ところで、疑いと自信を交互に持つというような行為の意義は何だろうか。それは、その行為の生みだす結果にあるだろう。好結果が容易に見通せる場合には、行為の有意義性が直ちに決定出来るが、そうでない場合には、行為という掛け橋をとったり掛けたりした場合を考えて、見極めなければならない。

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