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2005年8月24日水曜日

元従軍看護婦さんの話 (Former Army Nurse's Story)


【Read in English.】

 さる8月21日、サンスクエア堺において、「堺・九条を守りいかす会(仮称)」を作る準備のための会が開かれ、私も参加した。ほかに10数名の参加者があり、各人の日本国憲法九条に関する思いや、私たちの今後の活動についての意見を話し合った。

 参加者の一人の M さんは、元従軍看護婦で、第2次世界大戦の末期に南京で勤務していたという。彼女は南京病院で細菌培養の仕事をしたことや、その他の辛い経験について語った。細菌培養は、何か基礎的な実験のためだろうと思っていたが、もっと多く培養するように要求された。それでも、自分の技術を向上させるために必要なのだろうと考え、その仕事に懸命に励んだ。しかし、さらに沢山の培養をするように命令された。彼女はその後、自分が培養した細菌は細菌兵器のためだったのだろうと思い至り、なんと恐ろしい仕事に従事させられたことかと振り返っている。

 ある休日、M さんと友人の看護婦たちは兵隊たちの長い行列を見た。何かの配給を貰うためだろうと思って、彼女たちも列に加わった。一人の兵隊が、「行きなさい。君たちがここにいたら笑われるよ。」といった。彼女たちは「配給の行列じゃないのですか」尋ねた。兵隊は「豆の配給だ」といった。それは、実は従軍慰安婦を求める行列だったのである。

 敗戦後、日本兵たちは動物になり、看護婦たちは彼らを恐がった。捕虜になるよりはと、何人もの看護婦が自殺した。1946年1月、M さんは、他の看護婦や兵隊たちと一緒に日本へ帰るため、南京から上海へ貨物列車で運ばれた。一同は一杯に詰め込まれた車両の中に立っていたが、隣の兵隊が彼女の方へ寄りかかってきた。彼女は「重いから押して来んといて」といって押し返した。よく見るとその兵隊が死んでいることに気づいた。間もなく、彼女も高熱に襲われた。マラリアを発症したのだ。しかし、冷たい死体に触れることによって、高熱に耐えることができた。――死人が彼女を助けたのだ。――

 以上は、多くの人びとが持つ戦争にまつわる悲しい話のごく一部に過ぎない。あなたは、日本が集団自衛の名のもとに再び戦争をすることを許してよいと思いますか。



 写真は8月20日、堺市の鈴の宮公園で。7月28日にこの公園でみかけたのはクマゼミばかりで、8月5日には約1:2の割合でアブラゼミが加わっていたが、このとき目にしたセミは、数も少なくなり、ほとんどがアブラゼミだった。公園の池を隔てた蜂田神社の森では、クマゼミの声が以前より静かに聞こえてはいたが。


[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 08/24/2005 11:50
 こうした体験としての事実の前に立たされたとき、言葉を失ったままひたすら打擲されるしかないものです。どうしてもネガティブにならざるをえない、みずからの現実の体験としての事実をもって、憲法9条問題へと駆り立てていかねばならない精神のうちに潜む不条理や非情さに病まずにいられない心の闇というか、無辺にひろがる寂寥や絶望が痛烈にひびきます。9条を守るべき責めを負うのは、私なども含めた戦争を知らない子どもたちの世代以降のすべての人たちであるべきだと、私は思うのです。

Ted 08/24/2005 13:44
 戦争の体験者が、自らへの不快感を忍んで、なまなましい不条理の絶望感を伝えて下さることも重要かと思います。臨場感のない説明では、戦争の本当の恐ろしさは、伝わりにくいのではないでしょうか。

Y 08/24/2005 19:21
 Ted さんは、これまででもずっと、九条を守りいかす会、の前身などの、いわば積極的な活動をなさってきたことと思いますが、私はこの問題について、まだまだ活動者にはなれないのです。ずっと先の課題になるかもしれない、と思っています。
 人間は必ず「善いと思われること」ができる性向を実はもっていません。人間は状況の厳しさのなかで、罪悪に手を染め、そのようなことを生涯したくなかった他の人にも、同じことをさせる結果になることもあります。もちろん戦争がその最たる特異な現実ですが、しかし、いつの時代でも、現代でも私たちの社会には、生命と尊厳をもつ人に対して不条理さをあたえる無神経な言動をする人がいないではないですよね。子どもを自殺にさえ追いやる強烈ないじめの世界でも。
 従軍慰安婦を求める人間に根源的な欲求と罪悪との同居だとか、ひとつの命の尊厳と多くの命の尊厳とが、おなじ前提のうえに実はあるべきだということだとか、狭義の政治では考え尽くせない重要な問題がここに凝縮されている。そういった視野で、私は考えています。

Y 08/24/2005 19:28
 ええ、四方館さんの考えられるとおりだと思います。戦争のオリジナルの現実に触れえない子どもたちの世代が、ではどんな精神で九条を継承し続けるのか、この世代の自分たちは戦争責任から免れられるわけではない、といった、「守るべき責め」の表現でまさしく的確であるような、自己に「責め」を見出す意識が大事だと思います。

Ted 08/24/2005 19:32
 Y さんが、「狭義の政治では考え尽くせない重要な問題」について考えられるとき、それは、平和のための運動をすることに劣らない大切なことをしておられることになると思います。

ヨハン 08/25/2005 02:39
 民間人ですら「祖国のため」という言葉の呪縛から逃れられず、善悪の区別する事すら認められなかった時代、悲劇を2度と繰り返さないためにも、指導者にこそ九条の本質をきちんと理解させる必要があるのかも知れません。

Ted 08/25/2005 08:28
 そうですね、改憲を考える人たちは、9条のよさが分かっていないのです。
 この話をして下さった元従軍看護婦さんは、1924年生まれ、和歌山県の田辺高女を出て、和歌山日赤を1943年に卒業(19歳)。それと同時に陸軍省から「召集令状」(赤紙)が来て、「女性の出征は珍しく名誉だ」と村をあげて日の丸の小旗で見送られ、南京第一陸軍病院の伝染病棟勤務となったのでした。

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