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2007年1月27日土曜日

湯川博士日記

 以下は、けさ私が「湯川秀樹を研究する市民の会」メンバーへ送ったグループメールからの引用(若干修正)。

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 皆さん、お早うございます。

 昨1月26日の朝日新聞夕刊科学欄に「公開の湯川博士日記 記載なし:質量いつひらめいた 中間子理論 残る謎」というタイトルの記事が掲載されていました。

 「湯川博士は新粒子の理論を1934年10月前半の4日間で集中的に練っていたこと が、このほど公開された日記の記述で分かった。だが、この粒子の質量を計算した様子は、日記から直接には読み取れない。博士はいつ質量にたどりついたのだろうか」という趣旨の前書きで、本文にはもう少し詳しい考察が述べられています。ここで「いつ」とは、10月中の正確な日付けを意味しています。結びの文は「質量計算の謎の解明は、新しい史料の発掘に期待するしかないようだ」となっています。

 湯川博士自身の日記に明らかでなければ、新しい史料とは、当時同じ研究室にいた人たちの日記ということになるでしょうか。詳しい日記をつけていた人がいて、それを家族が保存しておればよいのですが。

 上記の記事に続いて、23日に京大で行われた記念式典と講演会の記事も載っています。題名は「湯川氏・朝永氏 生誕100年:記念式典『京大の誇り』」。大阪府下に住む私たちは、阪大で生まれた湯川博士の中間子論は大阪の誇り、とも思っていることを主張したいものです。

 T.T.

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