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2007年4月4日水曜日

ノーベル賞論文原稿

 さる3月4日に湯川秀樹を研究する市民の会(湯川会)・大阪市立科学館・大阪市立科学館友の会主催で行われた「市民による湯川秀樹生誕100年シンポジウム」の記事が、4月2日付けの読売新聞に掲載されたと、湯川会顧問のSさんから連絡があった。

 その記事は「湯川理論 市民が挑む:生誕100年シンポ ノーベル賞論文など解説」の見出しで、科学欄に載っている。湯川論文の解釈の発表は会員5人が担当したこと、論文が発表された1935年当時、阪大の専任講師だった湯川博士の研究室が大阪・中之島の、いまの国際国立美術館入口付近にあったこともメンバーが文献調査で明らかにしたことなどが紹介されている。

 私はこの記事がオンラインで読めないかと検索したが、見つからなかった。代わりに、読売紙に連載された「京大附置研究所・センター」紹介記事の第1回分として、基礎物理学研究所に保存されている湯川博士のノーベル賞論文原稿について書かれた次のような記事(2007年2月16日付け)を見つけた(全文は [1] に)。

連載[知のかたち]京大附置研究所・センターから (1)
  基礎物理学「湯川秀樹博士の論文」
    ノーベル賞原稿、長年放置
 赤茶けたリポート用紙14枚に、筆記体の英文が裏面まで続く。…(中略)…「世紀の論文」は長年、行方不明だった。79年、司書の記憶を頼りに、理学部図書室の片隅に無造作に積み上げられた段ボール箱から発見されたのだという。…(以下略)…

 この記事について湯川会メーリングリスト宛メールを送ったところ、会員のMさんから、ノーベル賞論文原稿を含む湯川博士の資料が発見された経緯を記した文 [2] のコピーが折り返し送られて来た。それを読むと、私が1985年に中間子論50年京都国際シンポジウムに参加した際に配付を受け、昨年、大阪市立科学館へ寄贈した薄手の冊子 [3] が、その資料の一部を整理したリストだったと分かる。[1] から [3] までが一つの線でつながったのである。

  1. http://osaka.yomiuri.co.jp/kyoto/ky70222a.htm(後日の注:リンク切れとなった).
  2. 小沼通二, 『自然』1980年10月号, p. 69 (1980).
  3. R. Kawabe and M. Konuma, ed., Source Materials of Hideki Yukawa on Meson Theory (Organizing Committee for Kyoto International symposium: The Jubilee of the Meson Theory, 1985).

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