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2009年8月30日日曜日

湯川をモデルにした小説 2 (The Novel Modeled on Yukawa 2)

 大阪市立科学館でいまも例会を継続している「湯川秀樹を研究する市民の会(湯川会)」が、2006年4月に正式発足する前の同年2月の会合で、私は「Amazon.co.jp での和書 "湯川秀樹" 検索結果」をプリントしたものを配布して説明した。検索結果は湯川の著書、湯川の編さん・監修書、湯川に関する本を含んでいた。しかし、湯川をモデルにしたといわれた本には湯川の名は出て来ないので、含まれておらず、私は口頭でそのような本もかつて出版されたことをつけ加えた。しかし、その題名も著者名も覚えていなかったのである。

 翌2007年3月に湯川会の研究成果を発表するシンポジウムが開催された。その中で、「ノーベル賞の受賞とその反応」と題する発表をしたU氏が、「湯川をモデルにした小説『山頂の椅子』も書かれた」ということにふれた。それを聞いたあと、私はインターネットの古書店で『山頂の椅子』を探してはみたが、なおも買う気にはならなかった。ところが、先に述べたように、『山頂の椅子』の著者、澤野久雄が『旅人』の代筆者あるいは協力者だったと最近知って、ようやく『山頂の椅子』を読んでみる気になり、古書店で買い求めた。

 主人公・天堂幸之助(「京都の大学」の物理教室教授)は、10年前に発表した核融合の研究成果によって、国際的に最も権威ある賞とされるフランスのZ賞を、戦後間もなくわが国で初めて受賞する。小説はその授賞連絡のあった日の記述から始まり、その賞の重さゆえに、天堂は自分と、家族を含めた周囲の人びととの間に垣根が出来たように感じ、山頂の椅子に縛りつけられているような思いをも抱くにいたる過程をつづっている。天堂とその妻の生い立ちや家族は、湯川夫妻のそれらによく似てはいるが、天堂の心の動きや実際の行動は、すべて作者の創作である。末尾に近く、天堂の伝記作家が原稿の初めの部分を天童家へ持参して、夫妻と意見の対立するところがある。この部分だけは、澤野自身の『旅人』への協力中の出来事をモデルにしていると思われる。

 作者の意図は作品の冒頭に次の通り記されている。

 不意に落ちかかってきた幸運が、その人の一生をくるわしてしまうという事例は、二十世紀の後半に属する今日でも、決してすくないことではない。……(中略)…… こういう現象が、必ずしも無知蒙昧の徒の上にだけ起るのではないというところに、いわば人間の喜劇は展開するのである。

 澤野はこのような例として、Z賞受賞者の「くるわされた」喜劇的人生を創造したのである。湯川にもノーベル賞受賞後に、多数の講演・原稿依頼が殺到した煩雑さに加えて、いくらかの孤独感・苦悩がおそったかも知れないが、澤野はそれを大いに誇張した形で、架空の人物・天堂を通して描いたのであり、これはあくまでも虚構の話と見るべきである。——読後このように思ったことからすれば、『ウィキペディア』の「湯川秀樹」のページに、澤野が「モデル小説『山頂の椅子』を書いて湯川を激怒させた」とあるのは、いささか合点がいかない。私の受け止め方は、私がモデル当人でないことや、当時の湯川(60歳)よりもかなり年をとっていることによるのだろうか。——(つづく)

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