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2010年2月25日木曜日

「残念な思いはします」 ('Wa' and 'ga' in Japanese)

W さん

 「天声人語」欄に関連して助詞の難しさについて書いたブログ [1] が分かりやすかったとのメールをいただき、ありがとうございます。

 助詞の難しさですぐに思いつくのは、「は」と「が」の使い分けです。どちらも主部を述部へ導くときに使われますが、意味に微妙な違いがあります。あなたの論文のいままでに読んだページの中で、気になった表現に鉛筆で印をつけて来ましたが、「は」と「が」の使い分けに関する箇所は意外に少なく、あなたの使い分けはなかなかよく出来ていると思います。

 あえて、この使い分けで気になった箇所の例を挙げるならば、p. 131の本文下から7行目「結論から先取りして言えば」で始まる文の終わり近くにある「〜を目したものであったことは」の、「は」があります。これは「が」に変えてもしっくりしません。その理由は、これに続く「本論では主張したいのである」の「主張したい」がこの文の実質的な述部であり(形式的には最後の「である」が述部ですが、これは意味上はなくてもよい、あるいはむしろ省いたほうがよい言葉です)、「ものであったこと」は意味の上で、その述部の重要な目的語なのです。したがって、「は」を「を」に変えるとしっくりします。ただし、そのように変えると、この文の主語がなくなりますが、その点については、日本語でよく行なわれる主部「私は」の省略と見なすか、「本論では」という副詞句を「本論は」と変えて主部にする手があります。

 いま問題にした文で、「本論では主張したいのである」を「本論の主要な主張点である」とでも変えれば、「ものであったことは」のあとへ、「を」でなく、「は」か「が」を持って来ることが必要になります。その場合、「〜を目したものであったこと」は、ここで始めて述べられた「新しい情報」なので、「は」でなく「が」がふさわしいのです。したがって、日本語の使い方に敏感な人ならば、「ものであったことは」まで読んだだけで、これは変だと思ってしまいます。このような「は」と「が」の相違については、大野 晋著『日本語練習帳』(岩波新書 新赤版 596, 1999) の第 II 章に詳しく述べられています。この本をまだ読んでいらっしゃらないならば、日本語の他の点でも大いに参考になると思いますので、一読をお勧めします。

 最近、テレビのニュースなどで、何かの感想を尋ねられた人たちが、「残念な思いはします」などと答えている場面をしばしば見かけます。インタビュアーが「残念に思いますか」と尋ねたのでなく、答える側で新しい情報「残念な思い」を持ち出しておきながら、それに「は」をつける言い方には、ひっかかるものがあります。しかし、これは、思いを強調する一種の流行的表現になっているようです。

 つい長いメールになりました。ご参考になるところが少しでもあれば幸いです。ご論文への感想は、また時折お知らせします。

 T. T.

  1. 江戸の敵 (Edo's Enemy), Ted's Coffeehouse 2 (2010年2月23日).

2 件のコメント:

  1. なるほどそのとおりですね。
    「残念な思いはします」おかしいですよね。
    私は最近、ファッション雑誌をよく読むのですが、
    「デニムをブーツにinする」(ブーツの中に入れるの意)
    「ジャケットをonして」(ジャケットを上に羽織るの意)
    「30代大人女子」(おとなっぽい30代女性の意)など、
    非常に目にうるさい言葉が立て続けに使われるので、その意味では読むのに疲れてしまいます(笑)
    流行表現をどう捉えるかは、難しいですね。

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  2.  ファッション雑誌では、そういう言い方が、はやっていますか。In や on を動詞のように使うのも変ですが、日本語をもっと大切にしてほしいですね。

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