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2012年6月25日月曜日

『枕草子』初段の一節の解釈 (Interpretations of a Clause in the First Section of Pillow Book)

Abstract: In the latest issue of the magazine Tosho, Masao Otani writes about the popular and unpopular interpretations of a clause about autumn in the first section of Sei Shonagon's Pillow Book. The popular interpretation is this: "When the setting sun shines and comes closer to the mountain ridge, …" The unpopular interpretation is this: "When the mountain, being illuminated by the setting sun, is seen nearer, …" Otani insists that the unpopular interpretation is more reasonable considering from the arrangement of words. He also finds that this interpretation is supported by similar expressions in Chinese poetry, which was one of literary styles Sei liked. I agree with him and add the following reason of mine to support the unpopular interpretation: This interpretation gives a more highly pictorial effect to the clause than the other. (Main text is given in Japanese only.)

 『図書』誌の最近号に国文学者・大谷雅夫氏が、『枕草子』初段の

 秋は夕ぐれ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。

という文中、「夕日のさして山の端いと近うなりたるに」の意味に対する通説に疑問を呈している [1]。私たちが教室で教わる通説は、「夕日が照って、山の端にぐっと近づいたころ」(『新編 新しい国語1』)、「夕日がさして山のりょう線のごく近くになっている時に」(『中学校 国語3』)だという。私の中・高生時代は敗戦後間もなくのことで、『枕草子』を学びはしたものの、ここの解釈をどのように習ったか、記憶にない。しかし、私は上記の解釈を読んですぐに、大谷氏が述べようとしている別の解釈を思い浮かべた。大谷氏は「それ以外の解釈があろうとは、私たちの多くは想像だにせず来たのではないだろうか。私自身、次のような異説の存在を知ったのはつい最近のことだ」と書いているが…。

 大谷氏は、通説と異説の歴史を次のように述べている。(以下「——」で挟んだ部分は、原文の大まかな要約。各学者の生存期間は、筆者が『ウィキペディア 日本語版』で調べて記入した。)——通説の起源は江戸時代の学者・北村季吟(1625〜1705)の『枕草子春曙抄』である。他方、異説は同時代の加藤磐斎(1625〜1674)によるもので、「夕日に照り輝いて山が近くに見える」という解釈である。昭和13 (1938) 年に、島津久基(1891〜1949)が磐斎説の顧みられるべきことを示唆したが、昭和16 (1941) 年、田中重太郎(1917〜1987)が磐斎説の誤りを説き、島津論文を徹底的に退けた。それ以来、季吟説が通説となって疑われることがない。——

 大谷氏は、このことに疑問を感じ、田中、島津両論文に取り上げられた問題を次のように再考する。——田中の根拠は月や日が「山の端近くなる」という表現が『更級日記』、『堤中納言物語』、『今昔物語集』などに常套句として存在することにある。他方、島津はそれより先に、そのような意味であるなら「いと」という副詞が入った場合、「山の端いと近う」と助詞「に」がある形、あるいは「いと山の端近う」の形である方が望ましい、と論じた。また、「山の端いと近うなる」が、(夕日が)山の端近くなることであるよりも、山の端そのものの近くなる意である方が、少なくとも言葉の続きがらとして、はるかに自然である。にもかかわらず、磐斎・島津説に同調者が少ないのは、山が近くなるという表現が、平安時代の和歌和文において簡単には類例が見いだせず、表現史の上で孤立するように感じられるからであろう。——

 次いで大谷氏は、異説を支持する独自の考察を述べる。——大江維時撰の漢詩秀句集『千載佳句』(平安中期)中の白居易らの句、また、日本の漢詩人・都良香の句などに、晴れた空の下で、あるいは夕日の頃になると、山が近く見える表現がある。そして、清少納言は漢詩を好んだ「からごころ」の人であった。南北朝時代の後光巌天皇の写しと伝えられる『枕草子』伝本には、問題の箇所が、「夕日のきはやかにさして山の葉ちかう見えわたるに」とあり、山の葉(端)が目に近く見わたせるという理解のもとに写されたことは疑いない。室町時代の和漢聯句や江戸時代末の『大江戸倭歌集』にも、山が近く見える歌があり、「からごころ」は近世の文学まで脈々と伝えられていた。——

 私は大谷氏の意見に賛同するものである。ただ、次のことを付け加えたい。「夕日が照って、山の端にぐっと近づく」という解釈では、夕日だけが主役で、山は添え物の感じである。夕日は、海であれ山であれ、水平線あるいはその近くにあるものに次第に近づくのが当然の成り行きで、それを述べただけでは特に感興を誘起しない。他方、「夕日に照り輝いて山が近くに見える」と解釈すれば、山の役割が大きくなり、そこに優れた絵画性が生じるといえよう。

文 献

  1. 大谷雅夫, 「からごころ」の文学——『枕草子』を読み直す, 図書 No. 760, p. 14 (2012).

2 件のコメント:

  1. 枕草子は、中学時代に習ったのですが、疑問が出て来るなんて吃驚です!

    当時の時代を生きていたわけでもないので、色んな論文が出されて当然なのですが、それでも、今回の記事は驚きでした(^_-)-☆

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  2. 読んでいただいた時には、最初の2ヵ所の「山の端いと近う」において、「端」が抜けていました。いま気づいて、修正しました。失礼しました。

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