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2013年8月31日土曜日

エム君ヘ:オニュー君のことなど (On Onew-kun etc: To a Freined of Mine M-kun)

[This post is in Japanese only.]



 M 君

 メール2通、ありがとうございます。とりあえず、きょうのメールについて返事をしたためます。特に、「不思議なのは野球をやっておられたわけでもない貴君が小学 6 年の時の他校チームの選手の綽名を高校生になってまで覚えておられたということです」にお答えするためです。

 ブログ Ted's Archives の検索窓で "Onew" を検索すると、彼は「ホーム行事は HRA による『男女交際の礼儀』の話」の記事以前にも 4 回登場していることが分ります。私は今回「ホーム行事は…」を Sam の日記から書き写したとき、「松が枝小の一塁手だった生徒(IT 君といったかな)じゃないかい?」という当時の注は、それまでの彼についての記述を総合しての推定かと思いましたが、貴君が想像されたように、ニックネームを覚えていたのかもしれません。

 私たちが小学 6 年の時の松ヶ枝小対石引小の野球試合を、私は 2 回応援に行きました。この対戦は 1 年間で 4 回あり、2 勝 2 敗でしたが、そのうちの初めの 2 試合(練習試合と市大会の決勝戦)でした。私は、引き揚げ前にいた大連嶺前小の野球チームが強かったので、大の野球ファンになりました。そして、引き揚げ後に入った石引小も、たまたま大いに強かったので、石引小の試合はたいてい応援に行ったのです。(松ヶ枝との、あとの二つの対戦は、県大会決勝戦と国体の際のエキシビション・ゲームで、前者は夏休み中、小学校のクラスの先生の引率で合宿に行っていた間のことだったので、また、後者は球場が小松だったので、行けませんでした。)Onew 君の名とニックネームは、その 2 回の観戦の間に覚えたのでしょう。私が一塁手に関心を持った理由も、大連時代に原因があります。

 男子は、女の子に関心を持ち始める少し前に、格好のいい男の子に憧れを感じる時期があったりします。(貴君にはそういう経験はありませんでしたか。作家の三島由紀夫の場合、そういう精神状態が長く続いて、『仮面の告白』や『禁色』などの作品を生み出したようです。)私にとって、そのような憧れの対象になったのは、1 年上級の嶺前小の一塁手、N 君でした。ある日の休み時間に運動場で友人とキャッチボールをしていると、N 君が私に「グラヴを貸してくれ」といいました。彼がしばらく使ったあとで、彼の汗のにじんだグラヴを返してくれたときには、天にも登る心地がしたものです。

 それから間もなく女の子の方に関心が移りました(ハハハ)が、格好のいい一塁手を見ると、N 君に対して抱いたような気持はもう起こらないものの、ある程度の関心を持ったのだと思います。石引小の一塁手も、1 学年下ながら、同学年と見紛う長身の持ち主で、結構、格好のいい男の子でした。「ショウベイ」というあだ名だったことを、いまでも覚えています。Onew 君を見たのは 2 回の試合のときだけだったので、高校時代以後はすっかり忘れていました。その格好のいい松ヶ枝小の一塁手が貴君の親友だったとは、全く不思議な縁ですね。

 少年(?)野球の選手といえば、中等学校選抜野球大会から高等学校選抜野球大会に切り替わったばかりの大会に、旧金沢三中のチームが金沢一高の仮名で出場したときの選手数名の名を、いまでも覚えています。北島投手、通善捕手、筆矢遊撃手、そして殿田一塁手。殿田選手の名はジュンちゃんでした。前年の甲子園大会予選が、確か旧金商のグラウンドで行なわれていたのを見に行ったとき、殿田選手に対して、女性の声で「ジュンちゃん!」と声援がとんだのが印象的だったのです。

 スタンダールの作品の件ですが、インターネット検索すると、"Le Rose et le vert" というのがあり、英訳では "Pink and Green" となっています(こちら参照)。これが貴君の書かれた『赤と緑』だと思います。グルノーブルは風光明媚とのこと、ツイッターとフェイスブック上での私の友人、キアラ・マイエロンさんがグルノーブルの研究所にいたときに自分の住まいから早朝に撮った写真を一枚見せてくれたことがあり、近くに山のある、とても素晴らしい風景だったのを思い出しました。

 ではまた。

 T. T.

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