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2013年9月14日土曜日

2013年8月分記事へのエム・ワイ君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts of August 2013 -1-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ハナトラノオ。2013 年 9 月 12 日、わが家の庭で撮影。
Obedient plant. The photo was taken in my yard on September 12, 2013.

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2013 年 8 月分への感想を 2013 年 9 月 11 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



 このところブログ『平和の浜辺:福泉・鳳地域「憲法9条の会」』に力を入れているので、本ブログに記事を書く時間がない。今回も、『平和の浜辺…』に先に掲載したものに少しばかり手を加えて転載する。[2. に紹介するブログ記事の冒頭]
として、最近見かけられた記事や論文を援用し、趣向を凝らして、筆者の主張を述べています。啓蒙的であり、説得力があります。これらを要約して紹介するとともに、若干のコメントをいたします。

1. キャロル・グラックさん「軍備に軍備で対抗するのは、ばかげています」

朝日紙の不適切な中見出し

 2013年8月20日付け朝日紙「オピニオン」欄に「安倍政権と戦争の記憶」と題して、キャロル・グラックさんへのインタビュー記事が掲載されていた。キャロル・グラックさんは、米コロンビア大学教授で、同大学東アジア研究所に所属し、米国における日本近現代史、思想史研究の第一人者である。
 この記事には大きな活字で、中見出しが二つあり、それぞれ 3 行におよんでいる。最初の一つは次の通りである。
  右傾化報道は極端
  米国が支えた戦後
  「脱却」は本意か
 この中見出しには問題がある。忙しい読者は見出しだけを見て内容を知ろうとするだろう。その場合、「右傾化報道は極端」とあれば、グラックさんは「日本のメディアが、安倍政権は右傾化していると報道しているのは極端です」と発言した、と捉えてしまうだろう。しかし、記事中のグラックさんの言葉は「日本に関する海外メディアの報道は極端で、しかも浅い」というものである。[…中略…]グラックさんの「海外メディアの報道は極端」という言葉の中の「報道」には、「右傾化報道」も含まれてはいるだろう。しかし、中見出しには、どこの報道かが表現されていないので、まず、一つの誤解のもとになる。さらに、次のような意味でも、誤解に導く見出しといわなければならない。

「日本の政治は以前から右傾化している」

 グラックさんはこのあと、「憲法改正を目指すことは、自民党政権として別に新しいことではありません」とか「[『戦後レジームからの脱却』ということと]同種のことを言い始めたのも、別に安倍首相が最初ではありません」と発言している。これを考えれば、グラックさんは日本の政治が以前から右傾化していることを認めていて、「参院選でも大勝した」結果、「急に右傾化した」と見るのが極端で浅い見方だと指摘していることになる。
 右傾化の道を長年進めば、極右ないしは極々右状態にたどりつく。その時点で人々が驚き、あわてても間に合わない。日本のメディアは安倍政権の右傾路線を大いに批判すべきである。

「米国は日本の記憶とシステムを『冷凍』していた」

 上記の中見出し 2 行目の「米国が支えた戦後」にも問題がある。この表現では、グラックさんは「米国は日本に対してよいことをしてきた」といったように取れるが、記事中で中見出しのこの部分に相当するグラックさんの言葉には「支えた」という言葉はなく、「[戦後]米国が、日本の記憶とシステムを『冷凍』していた」といっている。これは、むしろ、悪影響を及ぼしてきたといっていると取るべき表現である。
 中見出しの 3 行目は、意味としては 2 行目から続いていて、2 行を合わせて、安倍首相のいう「戦後レジームからの脱却」は本意かということを表している。これは、グラックさんの「安倍首相は『普通の国』になるために9条を変えることを欲するけれど、戦後体制の『ある部分』は変えたくない。それは日米関係です。[…]安倍首相は、本当に戦後を変えたいのでしょうか」という発言を伝えるものである。グラックさんの指摘がなくても、「戦後レジームからの脱却」という言葉の矛盾は明らかである。

「加害責任否定は『地政学的無神経』」

 二番目の中見出しは次の通りである。
  過去の行為の謝罪
  世界の新常識に
  国内問題視は誤り
この中見出しは、グラックさんの「それ[戦争の記憶に対処する『謝罪ポリティクス』]は世界的な『新しい常識』です。自民党が国内政治として扱おうとしても、それとは別種の国際環境が存在している」という発言からきていて、問題はない。これに先立って、グラックさんは「安倍首相を含む自民党の右派政治家たち」が「加害責任を否定することで、国内の支持をえようとして」きて、その姿勢がすぐに海外に流れることに気づいていないのは、「一種の『地政学的無神経』」と、強く批判している。

「ヘイト・ナショナリズムは安倍首相よりも危険」
「日本は他国がしない隙間の役割を」

 グラックさんは、「在日コリアンへの悪意に満ちたデモなど、ヘイト・ナショナリズムには懸念を持っています。これは安倍首相よりもはるかに危険です」という発言もしている。さらに、日本は「非核国で、兵器も売らず、かつ世界有数の経済大国という稀有な国」という特徴を生かして、「他国がしない隙間の役割を見つけるべき」と説き、「それは、台頭する中国にどう対処するか、という問いへの答えでもあります。軍備に軍備で対抗するのは、ばかげていますから」と結んでいる。これらは、小見出しにでもして、ぜひ強調してほしかったところである。
 筆者はグラックさんの「軍備に軍備で対抗するのは、ばかげていますから」という言葉を表題に取り入れ、「日本の政治は以前から右傾化している」「米国は日本の記憶とシステムを『冷凍』していた」、「加害責任否定は『地政学的無神経』」、「ヘイト・ナショナリズムは安倍首相よりも危険」、「日本は他国がしない隙間の役割を」などの言葉あるいは意味する内容を中見出しにして、グラックさんがこの対談で言わんとしたことを、見やすくまとめるとともに、分りやすく解説しています。

2.「戦争」についての二つの基本的な理解

 敗戦の日を前にした 8 月 11 日の朝日紙「ニュースの本棚」欄に、ノンフィクション作家の保阪正康さんの「戦争観と戦後史:老・壮・青はどう見てきたか」と題する文が掲載されていた。
 保阪さんは「戦争」についての基本的な理解は二つの点にしぼられるとして、カール・フォン・クラウゼヴィッツの有名な言葉「戦争は政治の延長」をかみくだいた、戦争は「政治の失敗」に起因するということと、戦争は「非日常の倫理・道徳が支配する空間」ということを、まず述べている。この理解の上に立って、「まっとうな戦争観を真摯に確認するために今読むべき書」として、「老壮青という三つの世代が読んできた書」を紹介している。
 […中略…]
 「三つの世代がそれぞれの世代の書にふれる」のは、ある程度自然な成り行きだろうが、三つの世代がそれぞれの世代を超えた書にふれるように努めることも重要であろう。
 […中略…]
 保阪さんの「非日常の倫理・道徳が支配する空間」という言葉をいい換えれば、「狂った空間」ということにもなるであろう。そして、保阪さんの「戦争についての二つの基本的理解」をもとにして考えれば、軍備の増強・拡張を進める政権は、自らの失敗を予想して、「狂った空間」を作り出すことに精を出しているものといえる。いまの安倍政権は、集団的自衛権の容認や、憲法改悪によって、まさにそういう愚かな政策を進めようとしているのではないか。私たちは、これに対して No! をつきつけなければならない。
[つづく]

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