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2015年9月27日日曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -4- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -4-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


『水彩画とキルト 親子展』会場風景、その 2。
A View of "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition" No. 2.

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -4-

4.「平和を求める人たちは幸いです」、そして与謝野晶子の言葉
 友人 A 氏からの暑中見舞い葉書には、毎年『聖書』の一節が毛筆で記されている。先般届いた今年の葉書には、「マタイ 5 章 9 節」の「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは『神の子』と呼ばれるからです」の言葉があった。A 氏にはこのところ何年も会う機会がないが、彼がいまこの言葉を選んだのは、保守的な考えの持ち主のように見える彼も「戦争法案」には懸念を持っているからだろうと想像している。
という書き出しで、さる 7 月に堺市で開催された『戦後 70 年 平和をつなぐパネル展・堺〜戦争をふりかえる〜』展のパンフレット最終ページに掲載されている、歌人・与謝野晶子の「何故の出兵か」という文を紹介しています。晶子は
 日本人の上に今や一つの大問題が起っております。[…]それは西比利亜(シベリア)へ日本の大兵を出すか出さないかという問題です。[…]
 さて我国は何のために出兵するのでしょうか。秘密主義の軍閥政府は出兵についてまだ今日まで一言も口外しませんから、私たちは[…]想像する外ありませんが[…]
と、わが国が第一次世界大戦当時、日英同盟に基づき連合国の一員として参戦したことに関して、意見を述べています。

 筆者は
「簡略な説明」に対して抜粋を重ねても、晶子の炯眼が十分に伝わるであろう。そして、シベリア出兵[…]前夜の状況が、いまの「戦争法案」国会提出の事態に酷似していることにも注目しなければならない。いくつかの言葉を書き換えれば、晶子の文はそのまま「戦争法案」反対に適用できる。敗戦から満 70 年、わが国の外交政策を武力に頼る方向に逆戻りさせてはならない。[引用時の注:「戦争法案」は 9 月 19 日、参院で可決し成立した。私たちは今後、違憲の法案を多数の力で成立させた安倍政権の打倒と、同法の廃止を目指すことが必要である。]
と記しています。全くその通りと思います。

 このような歴史的事実に照らして、私たちは安倍首相の「積極的平和主義」が何を意味するか深く考えることが重要です。8 月 26 日の朝日紙オピニオン欄に、積極的平和主義という言葉の元祖である、ノルウエーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士へのインタンビュー記事(北郷美由紀・記者)が掲載されていました。記事には、「軍事同盟は不必要。東北アジア共同体創設に向け協力を」、「米国追従なら植民地主義加担。独自外交で臨め」という見出しが掲げられています。ガルトゥング博士は、
私が日本に初めて来たのは 1968 年ですが、9 条を『安眠まくら』にしている点は今も変わりません。そうしているうちに安倍政権による解釈変更で 9 条 1 項の精神が破壊されようとしています。『安眠まくら』はもはや存在しないことを自覚すべきでしょう。
と指摘しています。また、
国際紛争を解決する手段として武力を放棄した憲法 9 条 1 項を堅持すると、国連総会の場で表明することです。条文と矛盾する政策は改め、攻撃力の高い武器は手放す。そのうえで各国に 9 条の採用を呼びかけてほしい。1928 年のパリ不戦条約を実現することにつながるからです。
と、具体的な提案をしています。北郷記者は「取材を終えて」の文を、「博士の指摘や提案を理想に走りすぎ、浮世離れしている、と遠ざけてしまうことは簡単だ。その方が頭も心も乱れないですむ。けれども、それこそが思考停止なのではないかと思う」と結んでいます。(つづく)

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