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2016年6月23日木曜日

幼少年時代の絵 11 (Drawings in My Childhood. 11)

[The main text of this post is in Japanese only.]


『果実』(1950 年、15 歳)。
"The fruits" (1950, age 15).


『坂道のある風景』への「イーゼルペイント画こども美術展」(県レベル)の金賞賞状(1950 年、15 歳)。
The gold prize certificate of merit given to "The scenery with the slope" at 'Childrens' Easelpaint Works Exhibition' (a prefecture level exhibition; 'Easelpaint' is an opaque watercolor product of a glossy type) (1950, age 15).


同上の絵への全国学童水絵作品展入選賞状。
Winning certificate of merit of 'National Schoolchildren Watercolor Exhibition' given to the same painting work as above.

 一番上のイメージは、中学 3 年生の時に学校で描いた作品である。リンゴの他にカキやミカンも描かれているので、秋頃の作品だろう。画用紙は 360 mm × 254 mm の厚手のもので、残っている幼少年時代の作品の用紙では最も大きい。半分に折って保存したので、折り目が写っている。他にも何枚かそういう絵があったが、保存用に使った封筒の大きさのせいで折り曲げてしまったのである。

 大きな画用紙といえば、3 年生の 1 学期と 2 学期にコンクール用の絵を描く生徒に選ばれて、もっと大きな用紙を支給された。8 号(455 mm × 380 mm)ぐらいだっただろうか。その初回は、「イーゼルペイント画こども美術展」というコンクールで、入選作品は外国の児童との絵の交換に当てられると聞いた。そこで、日本の少年を描くのがよいかと思い、親友の小林孝雄君(故人)が学校の机に向かって読書している姿のデッサンをして図画の先生に見せに行った。すると、「デッサンが狂っている。人物は難しいから、風景画にしなさい」といわれて、新しい画用紙を貰った。今度も小林君に頼んで、彼の家の二階にあった勉強部屋の窓からの眺めを描かせて貰うことにした。

 その眺めは、彼のところへよく遊びに行って見慣れていたものだった。小林君の家は坂を下ったところにあり、まだ舗装されていなかったその坂道と、左右の家々の屋根、そして家々の植木などが見えた。手前に隣家の一階の屋根が、視野中の右下にやや大きな場所を占めている。北陸の屋根瓦は釉薬がかけられていて、屋根が光り輝いて見える。しかも私は、それより少し前に近眼を矯正する眼鏡をかけ始めたばかりだったので、それ以前に見ていたのと同じ風景が、より輝いて見えるようになり、感動していた。小林君に、「景色が天然色写真のように見える」といったことを覚えている。彼は妙なことをいうと思ったかもしれないが、私はそれまで、風景の中の微細な輝きはカラー写真でしか見たことがなかったのである。

 コンクール用の風景画『坂道のある風景』(正確にはなんという題名を付けたか記憶していない)は、その感動も手伝って、「イーゼルペイント」(当時発売された光沢のある不透明水彩絵の具の商品名)の白を多用した、いかにも明るいものになり、石川県内で二つの金賞作品の一つに選ばれた。上掲の二つ目のイメージがその賞状である。いまのように簡単に写真を撮れる時代でなかったので、絵のイメージが残っていないのは残念である。

 その同じ絵が全国のコンクールに回された。同じ名称のコンクールの全国版とばかり思っていたが、その折の賞状(上掲の三つ目のイメージ)をいま見ると、「朝日新聞社主催の第二回全国学童水絵作品展」とある。この賞状は単なる「入選」のもので、上位にどういう等級があったかを知らない。

 金沢の大和デパートで開催された「イーゼルペイント画こども美術展」を見に行くと、私が 3 年の 1 学期まで在校した七尾の小学校で隣のクラスの級長(現在の学級委員長に相当。ただし、級長は学級担任の先生が選んだ)をしていた樋爪十四夫君の絵が佳作になっているのを見つけた。懐かしく思って、彼が在籍する中学校宛に葉書を送った。間もなく彼から返信が来て、私は学校新聞に載せた金賞受賞の感想文(記憶中にある『坂道のある風景』を鉛筆書きで再生した絵を添えた)に、そのことを紹介したと思う。樋爪君は七尾の財閥といわれた家の坊ちゃんで、大きな屋敷に住んでいた。阪大の物理学科という、私と似た進学をした彼も、すでに故人となったと聞く。追悼の意を込めて、次回、彼の返信を紹介する。(つづく)

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