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2018年7月18日水曜日

金沢、2018 年夏 -3- (Visit to Kanazawa in the Summer of 2018 -3-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


金沢のホテル 13 階テラスで撮った写真。金沢駅へ出入りする列車の線路や駅西口近くに広がる市街が見える。1 枚目の写真中、左端の 2 本のレール(3 枚目では右端に見える)は、2015 年 3 月 14 日に開業した北陸新幹線のもの。
Photos taken on the 13th floor terrace of the hotel in Kanazawa. Railways to and from the Kanazawa station and part of the city near the west entrance of the station are seen.

 私たちが宿泊したのは、JR 金沢駅東口の左手、JR 線路の近くに新しくできたホテルである。長女が上京時に東京で利用しているビジネスホテルと同系列のもので、その会員である彼女が予約してくれた。いまはオープン記念の割引価格も利用できる。金沢駅のシンボル「鼓門」を設計した建築家・白江龍三氏がデザインを監修したそうだ。間口の狭い 13 階建てで、フロントが最上階にあるのが珍しい。フロント脇にレストランがあり、そこでの朝食は「北陸づくし 釜めし御膳」だった。レストラン脇にテラスがあり、上掲の写真のような眺望が得られる。

 妻と私が泊まった 8 階の部屋の窓からは、2 枚目の写真に近い光景が見え、旅の際にいつも使っている F0 サイズのスケッチブックに写生を試みた。しかし、今回の旅に備えて購入したステッドラー・ウォーターブラシ(中筆タイプ)という、スポイト式に水を吸い込んで軸に溜めておく絵筆が使い慣れていないことや、同時に購入したウィンザー&ニュートンの 12 色固形水彩絵の具に黒色が入っていないことに着彩を進めて初めて気づいたことのため、思うような仕上がりにならず、ここでその成果を紹介できないのは残念である。(完)

 【後日の注】先月初め、金沢へ行く準備のためのインターネット検索をしていて、兼六園、金沢駅などの写真を綺麗に撮って載せているブログ記事を見つけたので、コメントを記して来た。その記事はこちら

2018年7月17日火曜日

金沢、2018 年夏 -2- (Visit to Kanazawa in the Summer of 2018 -2-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


金沢の「辻家庭園」での写真。
1 枚目:大滝。
2 枚目:高低差のある散策路と池泉。
3 枚目:灯篭。
4 枚目:錦松と遠景。
5 枚目:姿を整えた木々の背後にそびえる巨木たち。
Photos taken at Tsujike-teien (Tsuji Family Garden) in Kanazawa:
1st; Large waterfall.
2nd; Walk road with steps and pond.
3rd; Stone lantern.
4th; "Nishiki" pine tree and background scenery.
5th; Huge trees rising behind the trees of fixed figures.

 「辻家庭園」の英国風自然庭園は、本館の離れの手前へ戻った場所から出て、散策することができる。散策中に撮った写真を上に掲載する。

 庭園は台地上から犀川べりまでの斜面に作られており、その高低差を利用して大滝、小滝、渓流、池泉が構成されている。大滝(1 枚目の写真)は、富士山の溶岩(黒朴石)が大量に使用され、また、当時最先端の土木工事だった鉄筋コンクリート工法も使われているという。

 写真 3 枚目の灯篭は、戸室石で作られていて、作庭当時に装飾の一つとして購入されたが、左上の十字架の意匠が隠れキリシタンを表しており、加賀藩のキリスト文化を伝える貴重なものとなっていることが興味深い。(つづく)

2018年7月16日月曜日

金沢、2018 年夏 -1- (Visit to Kanazawa in the Summer of 2018 -1-)

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金沢の「辻家庭園」での写真。
1 枚目:本館内の群青の間。四周の壁が絢爛豪華なコバルトブルー(群青)仕上げ。群青色は、現在再現の困難な青金石(ラズライト)を主成分とする石(ラピスラズリ)を色素としたもの。
2 枚目:本館内のゲストルームの一つ。
3 枚目:本館内の離れから見た庭園の一部。
4 枚目:同上の場所から見た別館への通路(左端から前方へ延びて右へ折れる屋根の部分。スカイブリッジと呼ばれる箇所とその前後のエスカレーターを含む)と、その向こうに広がる風景。犀川を隔てて、金沢の市街と遠方の山々も見える。
Photos taken at Tsujike-teien (Tsuji Family Garden) in Kanazawa:
1st; Gunjō-no-ma (ultramarine room) in the main building.
2nd; One of guest rooms in the main building.
3rd; Part of the garden seen from a detached room in the main building.
4th; The passage to an annex and the scenery beyond of the Sai-gawa River, the city area, and mountains.

 わが家の例年の行事である金沢での墓参に、今年はさる 7 月 13、14 日に出かけた。昨年と同じく、長女夫妻が同行してくれた。いつもは、初日に野田山墓地と、寺町と野町の寺での墓参を済ませるのだが、今回は、二つの寺を訪れるのを二日目に回して、野田山墓地での参拝の後、寺町 1 丁目にある辻家庭園(前田家家老横山家迎賓館)の鑑賞に赴いた。同庭園は、平日は正午から、土・日曜日と祝日は午前 10 時から見学できると書いたウェブページがあり、二日目は土曜日だったので、その午前に鑑賞することも考え、金沢へ到着後電話で確認した。すると、 14 日(土)は付属の結婚式場使用のため見学はお断りとのことだったので、このような計画になった。しかし、私たちの行動の順路からしても、この日程は良好だった。

 辻家庭園(結婚式場としての役割を中心にしたホームページはこちら)は、昨年の墓参時に見学した玉泉園(西田家庭園)と同じく、その所有者が私と高校同期の才媛 S・T さんの親戚に当たり、ここが公開されていることは、昨年彼女から教えて貰った。見学者用のリーフレットによると、2004 年に庭園が金沢市指定文化財に、また同年に母屋、表門と塀が国指定登録有形文化財に指定されており、公開は 2013 年 12 月に開始されている。庭園の設計は、京都南禅寺界隈に多くの別荘などの庭園を手掛けた七代目・小川治兵衛による。「北陸の鉱山王」として知られた横山家が大正中期に尾小屋鉱山の経営の行き詰まりから庭園を分売したため、現在はその中心部しか残されていないとのことである。見学中に撮影した写真の一部を上に掲載した。残りは次回の記事で紹介する。(つづく)

2018年7月7日土曜日

G・オーウェルの「絞首刑」など (George Orwell's A Hanging and Other Things)

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わが家の庭のハマユウ。2018 年 7 月 3 日撮影。
Spider lily in my yard; taken on July 3, 2018.

G・オーウェルの「絞首刑」など

 オウムの死刑囚 7 名が処刑されたというニュースが流れた昨日、十数年前に買って先日来読んでいる梅田卓夫他編『高校生のための小説案内』(筑摩書房、1988)で偶然読む順番になった一つの作品は、G・オーウェルの「絞首刑」(岩波文庫『オーウェル評論集』中の「絞首刑」全文が引用されている)だった。処刑される囚人を絞首台へ連れて行くのに立ち会った「わたし」は、その囚人が「途中の水たまりを軽く脇へよけた」のを見た。そのことによって、「わたし」は「まだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついた」とある。

 今回の 7 名の処刑について、EU 加盟 28 カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスが、「被害者やその家族には心から同情し、テロは厳しく非難するが、いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。死刑は非人道的、残酷で犯罪の抑止効果もない」という共同声明を発表したそうだ。人が人を殺すことの肯定は、戦争の肯定につながる。わが国も死刑制度の廃止を真剣に検討すべきである。

 そして、『図書』誌 7 月号で読み残してあった中の一編、文芸ジャーナリスト・佐久間文子の「ディストピア小説の現在」を読むと、G・オーウェルの名をまた目にした。ディストピアとは、ユートピア(理想郷)の正反対の社会のことで、 ディストピア小説は空想的な未来の形をとって、政治的・社会的な課題を描くものである。オーウェルの『1984』はそのジャンルの代表的な作品で、アメリカではトランプ大統領の就任以後、アメリカの現状もディストピアそのものではないかという思いのため、この作品がアマゾンのベストセラー・リストのトップに躍り出たそうだ。

 佐久間は開高健の「あまりにもそこにある——ディストピア文学管見」という 1976 年の評論(『岩波講座 文学 5』所収)を高く評価している。しかし、佐久間は彼の「ウェルズに始まるディストピア小説の系譜はオーウェルまでの約一世紀で終わるのではないか」との予想には、「権力者が発言したことに即して、公的な文書そのものが書き換えられる、というのはいま国民が目にしている日本の現実そのもの」であることから、「その点は当たっていない」と論じる。

 佐久間は続いて、桐野夏生が『世界』に連載中の新しいディストピア小説、「日没」を紹介している。そこには、「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会(ブンリン)」なる組織があり、作家が読者から「提訴」を受けると、ブンリンからの召喚状によって「療養所」と呼ばれる閉鎖施設に収容され、講習を受けなければならなくなるという。言論・出版の自由を侵す、これに近い状況は、わが国ですでに始まりかけていないだろうか。

2018年7月4日水曜日

「花鳥風月」ではなくて「九条」:故・加藤周一氏の言葉 ("Article 9" rather than "Beauties of Nature": Late Shuichi Kato's Words)

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本『加藤周一最終講義』。
The book "ShuichiKato's Last Lecture".

 (注:本記事は、ブログサイト『平和の浜辺:福泉・鳳地域「憲法9条の会」』に同日付けで掲載したものとほとんど同じである。)

 加藤周一さんは「九条の会」発足当時の 9 名の呼びかけ人の 1 人で、その会で中心的な役割を果たされたが、2008 年に亡くなられた。彼の没後 5 周年に、『加藤周一最終講義』(かもがわ出版、2013 年)という本が記念出版された。筆者が他の何冊かの読了した本と一緒に、その本をそろそろ処分しようかと書棚から取り出したところ、1 カ所にポストイットを添付してあることに気づいた。加藤さんが北京の清華大学で 2005 年 3 月 30 日に行った講義「私の歩み、人生の歩み」の、末尾にある「九条の会」と題する 20 行足らずの 1 章である。

 そこには、加藤さんが「九条の会」にかかわった理由が次のように述べられている。
前の戦争のとき、[...中略...]どうして止められなかったのか。[...]はたして東京は焼け野原になった。もういっぺん焼け野原になるのを黙って待っているのですか。あるいは、できるだけの力をふるって、また戦争できるように日本の経済と制度を変えていこうという動きに対抗しようとするのか。それ[引用者注:対抗しようとする運動]が「九条の会」です。[...]書くだけではなくて、もう一歩踏みだした組織に初めてコミットしました。

 そして、昨今の「いよいよ憲法九条を変えて、軍備を大々的に強めようという考え方が前面に出て来て」いる情勢を憂えた老・加藤さんは、次のように力強く宣言している。
私はいま、少なくとも歩行できる程度の力が残っていれば、程呼応したいと思います。私は時々新聞に書きますから、書く時は「花鳥風月」ではなくて、「九条」に触れる。そこには一種の倫理的な意味があると思います。

 安倍9条改憲への指向が、2005 年当時よりもさらに前のめりになっている現在、私たちにも、いまは「花鳥風月」ではなくて「九条」、の心構えが必要であろう。