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2019年5月15日水曜日

上京、2019 年 5 月 (Tokyo, May 2019)

[The main text of this post is in Japanese only.]


新幹線「ひかり」の車窓から撮った富士山。
Mt. Fuji taken from the window of the bullet train "Hikari."

 改元に伴う 10 連休が終わって間もない 5 月 8 日、翌日の旧金沢菫台高校同期会(主に関東在住者対象)に参加するため上京した。同期生の高齢化のため、地元金沢での同期会はもうなくなり、関西では開催されたことがなく、私は大阪・堺からはるばる、ほとんど毎回この同期会に参加している。会場はこのところずっと銀座のビル「キラリトギンザ」6 階のダイニング・ギャラリー「銀座の金沢」と決まっている。今回、幹事が案内を送ったのは 13 名だったが、参加出来たのは次の通り(注:個人情報保護のため、名と姓の頭文字にしてみたが、同じような感じの名が並び、読みづらいと分かった。そこで、高校同期会関係の名は、英文式にファースト・ネームのローマ字書きにして、敬称も略することにする)。女性は Fumiko、Sachiyo、Shizuko の 3 名、男性は Akira、Jiro、Kiyosuke、Ryozo(幹事)、それに私の 5 名、合計 8 名だった。

 会は 12 時から郷土料理・加賀懐石の、その名も懐かしい「兼六園」を囲んで始まった。Jiro が会場へ来る途中で石川県物産のアンテナショップへ寄り、金時草などの加賀野菜を帰りに受け取ることにして注文して来たと話し、郷里の食べ物についての話題にも花が咲いた。その他の話題は健康のこと、日々の暮らし、海外旅行の思い出、などなど。海外旅行については、Shizuko、Akira、Jiro らがインド、スリランカ、トルコなど珍しい国々へも行っていて、私が口を挟む余地もなかった。

 Kiyosuke は今年になってからゴルフにもう20回ほど行ったと言ったが、皆で計算してみると、それはほぼ週に 1 回程度ということになる。Shizuko が、「料理もなさらないで、ゴルフは週 1 回だけ、他の時間は何をしていらっしゃるの」と突っ込んだ。ボランティアや以前いた会社のコンサルタントの仕事にもそれぞれ週 1 回、というような答えが返って来て、一同は一応納得したようだった。Jiro は、夫人を亡くして優雅な老人ホームに住むようになったある同期生が、異性の友人を作り、お洒落にもなり、生き生きと暮らしていると話してくれた。それに対し、「彼は真面目だったから、恋愛の経験がなかったのだろう。今が彼の青春なのだ」の声も出て、一同大笑いした。

 Fumiko はある NHK ニュースをプリントして来て、私ならばその内容が分かるだろうと手渡してくれた。それは、ノーベル物理学賞受賞者・梶田隆章教授らが建設を進めている重力波観測施設 KAGRA の、心臓部の一つとなる鏡が完成したという昨年 8 月の報道だった。そのニュースに、彼女の甥の E・H 東大宇宙線研特任助教が登場し、「鏡がついに完成し、これから重力波を観測するモードに入る。人類が知らない宇宙の謎を追いかけたい」というコメントを述べたのである。甥御さんは中学生時代から宇宙に興味を持っていたそうで、梶田教授に続くわが国のノーベル物理学賞受賞者となることを彼女は願っているということだった。

 Shizuko は以前頭髪が真っ白になっていたのだが、全国に展開している女性向けスポーツジムに通い始めて、たんぱく質摂取の重要性を説かれ、それを実行したところ、黒い髪がかなり増えて来たと話した。Sachiyo は、認知症の予防になるだろうかと、会の間に赤ワインのお代わりをし過ぎて、酔いが回り、青白い顔になっていたが、幸い大事には至らなかった。

 私は Masanori(私の誘いで同期会に参加する気になっていたが、郷里での法事と重なり欠席)と昨秋以来 9 通もの手紙を交換し、まだまだ続きそうであること、彼は書道を趣味にしており、手紙の字も綺麗な上に筆まめであること、私の水彩画の写真を同封すると、ごく細部にまでも及ぶ感想を述べてくれること、などを報告した(この報告をすることについては、Masanori 自身と幹事の要望があったのである)。

 来年は 5 月 14 日(木)正午から同じ会場で実施しようということになった。私の持参したカメラで店員さんにシャッターを切って貰って記念撮影をし、3 時過ぎに散会した。希望者は Jiro が注文した品を取りに寄るアンテナショップへ同行した後、女性 3 名と男性 2 名は近くの喫茶店へ 2 次会に行ったが、私は 4 時半から学士会館で大学のミニ同窓会を予定していたので、それには参加しなかった。

 大学のミニ同窓会には、今回新しく筑波在住の先輩に参加して貰う予定だったが、彼が医者に上京について相談したところ止められたとのことで、残念ながら、従来と同じく A・M、M・Y 両氏と私の 3 人だけの会となった。恩師の方々の思い出、最近亡くなった物理教室関連の方々のこと、昨年 A・M 氏がまとめた本に関連する話題など、夕食を挟んで 8 時過ぎまで語り合った。

 往復とも、新幹線の車窓から比較的雲のかかり方が少ない状態での富士山が眺められた。上掲の写真は 10 日に帰りの車内から撮ったものである。

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