ページ

2020年6月2日火曜日

歌う催しとの出会い 3 (My First Experience of Singing Events -3-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ふじ丸内での皆で歌う催しの会場風景。
Scenery of the singing event at Fuji Maru.

 先の二つの記事で述べた、にっぽん丸によるクルーズよりも先に経験していたクルーズは、ふじ丸で横浜を出発し、礼文・利尻両島を訪れるもので、私たちが参加したのは 1999 年 6 月のことだった。その時の写真や資料を探しても、なかなか出て来なかったが、まず見つかったのは、妻が書いている「5 年間日記」中の記述である。

 その日記帳は 1 日当たり 5 行のスペースしかなく、記述は至って簡潔である。歌う催しについて書いてあるのは、乗船 2 日目の 6 月 16 日(水)に 11:15 から塩野雅子さんの指導で「みんなでうたいましょう」があったことと、6 日目の 20 日(日)に同じ催しの 2 回目があったということだけである。17 日(木)と 18 日(金)にそれぞれ利尻と礼文に上陸して散策し、20 日 15:45 にはもう横浜港に帰着している。なお、塩野雅子さんは、童謡のアルバムをたくさん出している方のようである。

 次節に記す写真アルバムの中には、クルーズ中の毎日のスケジュールのプリントも挿入して残してあり、それによれば、16、20 日ともに時間は 11 時 15 分から 12 時まで、会場は 3 階ラウンジ「エメラルド」とあり、16 日には日本の名歌を歌ったことになっている。ピアノ伴奏者として、蓮沼万里さんの名がある。インターネットで調べると、ウィーン世界青少年音楽祭アンサンブルコンテストにピアニストとして参加し、2位入賞した方である。

 「5 年間日記」中の記述に次いで見つかったのは、ふじ丸クルーズの写真と、同じ年に参加した JTB の「旅物語:九州一周 4 日間」の写真を、妻が整理して収めたアルバムである。それは、納戸中の段ボール箱の中にあったが、もとは一緒にあった多くのアルバムを時折見やすいように取り出してしまっていたので、忘れられた存在のようになっていた。

 上掲の写真は、そのアルバム中にあった、ふじ丸クルーズでの「みんなでうたいましょう」の会場風景を私が撮ったものである。前回の記事に私の記憶として記したように、にっぽん丸での会場に比べて、より明るい部屋で、椅子は簡便型である。ただし、記憶では、会場は学校の講堂のように飾り気がなく、椅子もベンチのようななものに変わっていた。客船の豪華な雰囲気に慣れていない身としては、かつて見慣れた学童・生徒時代の雰囲気へと、記憶が自然に変化してしまうのかもしれない。

 ふじ丸クルーズでの歌う催しのプリントが残っていないのは残念である。それにしても、私が歌好きになった一番のもとは、2 回のクルーズ中で参加した皆で歌う催しにあったことが明らかになったのはよかった。その後、鮫島有美子が日本の名歌を歌っている CD と出会ったことが、さらに拍車をかけてくれたのだが、その詳細はいずれまた記したい。(完)

——————————
 「人気ブログランキング」へ一票を!

0 件のコメント:

コメントを投稿