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2004年12月25日土曜日

嫌われる小説家たち

 12 月 20 日付け朝日新聞夕刊の文化欄に、作家の高樹のぶ子が、初の自伝的小説『マイマイ新子』に取り組んだことが紹介されていた。昨年の今ごろ、年末に関わる高樹の随筆が同じく朝日新聞に掲載され、その中に歳をとるほど年月の経過が早く感じられることを、生まれてからの、そしてまた死ぬまでの経験の量と関係づけて述べたところがあった。そのことを私が女性の友人の一人に書き送ったところ、彼女は「私は高樹のぶ子は嫌い」といって、随筆からの引用部分とそれへの私のコメントについての感想は貰えなかった。

 その友人は、タレントでも容貌によって嫌いなのがあり、そういう人たちの出るテレビ番組は見もしないらしいが、高樹のぶ子の写真を見ても、彼女が嫌うほどの顔立ちではない(男性にとっては、ある種の魅力さえある)。私は高樹の小説を読んだことはないが、朝日の記事によれば、「大人の濃密な恋愛を描」くのが特徴だそうだ。私が読めば、むしろ好きになるかも知れないし、その友人も恋愛小説は好きなほうである。彼女がなぜ高樹のぶ子を嫌いになったのか、想像できない。しかし、その名前を出すのも嫌がる友人に直接理由を聞くことは出来ない。どなたか、推定できる理由を聞かせていただければ、ありがたい。

 高樹のぶ子の新作の題名にある「マイマイ」は、「つむじ」のことで、高樹はそれを二つ持ち、それらが前髪をはね上げるので、少女時代の悩みの種だったそうである。「コンプレックスの種を消そうとするのではなく、自分のアイデンティティーに変えていく過程が、大人になることです」と、彼女は記者に語っている。コンプレックスを持つ子どもたちに広く聞かせたい言葉である。私もつむじを二つ持つ。男児においては悩みの種にはならないが。

 嫌いな小説家といえば、私は若い頃から、曾野綾子を好きになれなかった。彼女の政治にかかわる発言は、政府・与党のご用作家のものという趣きがあり、文筆で世間をリードしようとする作家としては、世の中を見る毅然とした眼力に欠けると思われたからである。しかし、何カ月か前の朝日紙上で、彼女が自衛隊のイラク派遣問題か何かについて、首相を大いに批判している文を見て、意外の感を抱くとともに、彼女もようやく成長したかと思ったのであった。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

Y 12/27/2004 10:45
 私は高樹のぶ子さんが大好きだし、現代作家で最も尊敬する作家のひとりです。一作読めば十分なのが、たとえば『透光の樹』などのおとなの恋愛小説ですね。その堂々とした素晴らしい文体、多くの下調べ、芸術として成り立たせるための濃厚でもある描き方、そしてラストに向けての迫り方、ラストがどういう人生芸術で終わっているか。予想通り起こった恋愛話、をとうに超えた、立派な小説です。
 何より物書きをしてきた者として、彼女の文体に本当に憧れます。それで、高樹のぶ子さんが大変嫌いだと言われるその方、芥川賞の選考委員のトップの作家さんですからね、理由を推測してみても、彼女の文体や作品のある意味高貴さ(つまり俗世間を生きる本当の地の苦労・苦しみ・苦悩を描いていない)、あるいは上記の通り、筋も予測のつくような小説を文学の高い性質で書くなんて…とか、つまりどこまで命を使って、削って書いているか(それも命を使って描いている執筆だと思うんですけどね、芸術家として熟達しているだけですよね。これは小説テーマの選択にもつながりますね)、あるいは、女性が女性作家に対して抱くなんらかの嫌悪感、そのあたりでしょうかね。私も彼女の多くの作品はけっして読んでいないので。
 自伝的小説を書かれているとのこと、大変よいですね。コンプレックスが自分のアイデンティティになる過程。このへんでわかる通り、当たり前といえばその領域に入り、奇抜な斬新な作品発想、人生発想とは全然違うかもしれませんね。
 私は作家については大変多角的な作家を評価する価値観をもっているんですが。ご参考になれば幸いです。

Ted 12/27/2004 15:10
 高樹のぶ子についての詳しい解説、ありがとうございました。しかし、私の友人が嫌う理由は、やはり分かりません。「俗世間を生きる本当の地の苦労・苦しみ・苦悩を描い」た作品よりも、「高貴さ」を好むようなところがあるのです。彼女は、フランス貴族の恋愛小説「クレーヴの奥方」を好んでいましたし、日本の作家では、三島由紀夫の大ファン…。

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