ページ

2005年2月19日土曜日

3 イズムが混交して

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 2 月 19 日(火)雪

 英国におけるエリザベス女王のような象徴的存在とは異なって、絶大な権力をもったものがぼくの中に君臨する、というのが昨日から始めた仮定である。君臨といえば、非民主的ではあるが、個人の中においてのそれは許されると思う。習慣が出来てくれば、その影は次第にうすれて、もはや「君臨」ではなくなるだろう。そして、いま君臨と考えていることも、実際はそうではないのである——それによって打ち立てられる習慣が善であるならば。[1]
 登校前の 10 数分を、昨年の昨日われわれの高校進学学力検査があったことや、あの頃の鋼鉄の部屋に閉じこめられた思いの日々や、その後に経験したさまざまな匂いを帯びた出来事を考え合わせて消費した。

 昨日ぼくが教室の掃除をしている間に、KJ 君と SN 君と HN 君は市立工業高校での座談会に出かけたそうだ。KJ 君は何も発言しないで、菓子だけ食べて来たが、二水高校の BN 君の感じがよかったのに感心した、ともらした。国語の試験が明日あるので、文語の用言と助動詞を教えてくれと、うちへ寄って行った HN 君は、新聞クラブからよりも生徒会役員が出席すればよかった座談会のテーマについて、「わが校の生徒会は、今学期前半の半停頓状態から脱し、活発になりつつあるが、いまが岐路である」という趣旨の発言をしてきたそうだ。
 6 限前の休憩時間に、ハンカチを片目に当て、相当長くなった頭髪の上に帽子が邪魔者のようにのっかっている頭を机上に伏せている KZ 君の姿が見られた。泣いている …。なぜだろう。前の時間は英語だったのだろうと思うが。
 ホームルーム時は「スポーツ」という名目で、何の統一もなく費やされた。早飯をした。兄上の死でしばらく休んでいた OB 君が、動作を隠すように頭から黄土色のマントを被って、ぽつんと隅の座席で勉強したり弁当を開いたりしている光景が、古ぼけた学習雑誌の感じを与えた。(彼のあらゆる面がそういう感じを与えるということではない。また、そういう感じを与える面が他の誰にもないともいえない。)腹部で身体を少し折るような姿勢で歩いている YMG 君や、彼とは対照的にスカスカと歩く SNN 君は、どちらも、もっと紙質がよく、活字の並び方も明るい書物を連想させるのだけれども——。

1952 年 2 月 20 日(水)晴れのち雪

 やるせないとは、まったく、このことなのだろう。この気持ちをどこへやってしまったらよいのだろうか。理屈は分かっているのだが。有島武郎の論文「惜しみなく愛は奪う」の「私の存在」について書いてある箇所(といっても、教科書にはここだけしか載っていないので、他は何を書いてあるか知らない)にある sentimentalism、realism、romanticism の 3 イズムが混交しているのが、いまのぼくかも知れない。

 引用時の注
  1. 誰かすてきな女性にいつも見つめられているつもりで、自分の行いや思考を律しようと考えていたのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿