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2005年2月5日土曜日

二尺もあるツララが

 高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 2 月 5 日(火)雪

 二尺もまだもあると思われるツララがあちこちの屋根からぶら下がっている。学校では朝、掃除をする時こぼされた水が凍っていた。
 おや! 校内放送が何か伝達しているぞ。——「ワァ! ブラボー!」


(Ted)

 われわれは知識の反芻動物でなければならない。[1] ——「板門店会談」の時の KZ 君が、「その日に習ったことは、その日で頭へ入れてしまうのか。その日暮らしってやつやな。ハッハッハ」といったのを思い出して、ちょっと考えてみた言葉だ。
 「感動的で深い決意のこもった英文手紙ではあったけれども、完全に意がくみとれず、残念である。われわれの間で何か空想的なことが始まりそうな気がする。少なくとも私は何らかを君に期待するだろう。」
この何気なく書いた数行を、ここに挟んである TJ 君からの手紙 [2] の返事とする。(彼の英語はややこしい。すらりと書けているのは "Thank you very much." の one sentence ぐらいだ。)
 これを受け取った時間にはテストがあった。Y・S 先生はテスト中にもかかわらず、x + 1 < √(25 - x2) において、x + 1 < 0 と x + 1 > 0 だけを考えて、x + 1 = 0 を抜かしている人が多いようですが、入れなければいけませんよ、と全体に注意された。答に影響はなかったけれども、途中の過程において = を抜かしていた一人にぼくがいたとは、何ごとぞ。
 ホームルーム時は、M・T 先生が休まれたが、UE 君の努力で、どうにかレコード鑑賞が行われた。音楽クラブの YM 君と、名前は書かなかったけれども、これまでに 2、3 回われわれの日記帳に登場している KW さんが担当者だった。何を聞かされたか、覚えがない。
 Sam がそれを買ったとき、「これによって新しい希望がわくかも知れない」と書いていたのに類似の 1 冊 [3] を、KJ 君も買った。Noun の部、adjective の部、verb の部、…と別れている。

 引用時の注
  1. 取り込んだ知識は、すぐに取り出して活用できなければならない、また、記憶を確実にするためにも、知識を時どき取り出すことが必要だ、というような意味で書いたかと思う。
  2. 手を加えて読みやすくすると、下記のようになる。終りから 2 番目の文のあたりが、もう少し長く、特に意味が取りにくかったが、最後の文に照らして、こういうことだろうと、いま理解できる。
    My true friend,
    I'm always respectful to you for your kindness and diligence. When I was going to buy a book of English words yesterday, you gave me a kind advice. Thank you very much.
    Now I've read the book "Under the Wheel," and deeply thought about these: "Having good friends is important. I hate "a bad person" in my own mind. I have to become pure-minded."
  3. 英単語暗記用の小本。

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