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2005年2月26日土曜日

二百円の広告

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年3 月 4 日(火)曇り

 クラブ活動の時間には、第十七号の広告を取りに行った
[1]。YM 君と尾張町付近の商店へ行って、頼んで歩いた。正直のところ、こんなことは経験がなくて、苦手で、嫌いだ。最初の目的の店の前で、長い間ちゅうちょしていたが、これでは始まらないからと、勇気を出して中へ入った。そこは、主人が病気のため駄目、次の店は主人が留守、といった具合で、五軒目まで、一件の収穫もなし。六軒目、その店は南陽堂だった。もう断られることには慣れてしまって、断られるのを覚悟で行ったのだが、交渉もうまくなっていた上に、案外すらすらといき、予期に反して二百円の広告を出していただくことになった。それで、やっとわれわれの面目がたったという次第。

(Ted)

1952 年 3 月 4 日(火)雨

 「八郎君、試験も近づいたが、元気で最後の仕上げに励んでいる事だろうね。東京から来る君ならば、金沢大学ぐらい何でもないだろうが…。所で、君がこちらへ来る時、伯父さんに頼んで写真機を借りて持って来てくれ給え。」
まだ 8 字ほど使えるのだから、何か挨拶を書けばよいか、写真機を持って来て貰うことが主目的なのだから、「東京から来る君…」という激励をもっと短くして、頼み方を丁寧にした方がよいか、「所で、…くれ給え。」は少し変か、などと思ったのに、これで合格だとさ。先週から病気欠勤中の HR 先生に代わって国語甲の時間に来ておられる S・T 先生が、昨日の夕刊に出ていた金沢大学入試の作文問題をわれわれに試されたのだ。先生は 20 分で集めて、1 枚 1 枚答を読み上げながら、「これはぜんぜん落第。これは、まあ、ここだ。」などと順位をつけて教卓へ並べて行かれた。「伯父さん」という言葉を使うことに気づいたのがほとんどなく、ピントはずれのものや、自分が太郎の立場になって書かなければならないのを逆にしたものや、余分なことをもったいないほどの名文で書いたのや、こっけいなくらいくどくどしいのや…という調子で、時間の終りまでに、最初に読まれたぼくの文の右に出るのはなかった。
 このあと、S・T 先生のところへ KJ 君を連れて、いろいろ質問に行った。昼食後は、逆に KJ 君 につき従って、Y・S 先生のところへ行った。1 限に指数関数から昨日習ったところまでの試験があったのだ。SNN 君が次のような問題を始め、多くの難問を持ち込んでいた。
 「m、x、y が正の整数の時、次のようなことがあるか。
  log(xm + ym) = log(xm) + log(ym)」

 引用時の注
  1. Sam はタイプ部以外に、私と同じく新聞部にも入っていたようだ。

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