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2005年3月10日木曜日

新学期に備える

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 3 月 24 日(月)雪

 アセンブリーよりもわけの悪い終業式を終えて、教室で教科書購入明細書と通知簿を受け取った。買わなければならない教科書の金額合計は、Ted のそれより四十七円安くて済むが、Grammar & Composition と Reader は譲って貰えるし、それに、昨年うっかり余分に買った本(簿記練習帳)が使用できるので、それらの金額を引けば、五百五十八円になる。一番高価なのは世界史(好学社)の百四十二円である。
 通知簿についても書くならば、まだまだ天井は高いが、かなり昇って来たものだと思う。平均9.16だという。解析で「実際場面において…」が他の二つの評価より悪いのは、変なところで Ted と共通だ。
 体育館の壁が急に明るくなった。ぼくたちのクラブも二枚のポスターを貼った。一枚はクラブのバッジを図案として取り入れたもので、もう一枚は、「新入生大歓迎」とその下に「TYPEWRITING CLUB」の文字を細長く書き連ねたものだ。


(Ted)

1952 年 3 月 25 日(火)曇り

 Sam が 3 月 16 日付けで書いてくれた「反省点綴」への感想について。抽象的であるのは確かだが、いまのぼくの筆力では、あれ以上具象に出来ないから、あゝなったのだ。抽象を具象にするには、多くの例を列挙しなければならないから、もっと肥えた目と切実で大きな経験とを持った段階において、それは初めて可能となる。いまのぼくがそれを求めつつあることはもちろんだ。——故意になした抽象ではないのだ。——「肝心なところ」とは何か、教えて貰いたい。「幾多の修正」とは、どれだけの修正か分からない。しかし、ぼくも修正が必要なことは、挟んでおいた紙でも認めた通りだ。また、修正してどのような方向に向けなければならないかも分かっている。
 Sam の 3 月 20 日付け日記について。Sam が何をうぬぼれ、何を得ようとし、何を体験し何を刈り取るために、どんな種をまこうと、どんな動機で、考えたのか知りたい。[1]
 Sam があまりに忙しそうだったから、『新樹』を返して貰うことを忘れた。昨日、母が通知表を受け取りに行ったとき、M・T 先生から「反省点綴」のことを聞かされたということで、読ませて欲しいといわれたのだ。
 電車の中で Tom(SK 君)[2] と一緒になったので、AR 君訪問という彼の用件の先に、2 人で Octo(KB 君)を訪ねる。学期の終りか休みの最初の日に見せ合うことを Octo との間の習慣としてきた1枚の紙を見せて貰う。商業の何かのところに、あまりにもあり得ない点がついているので、彼は怒っていた、いや温和な彼だから、怒るほどではなく、不機嫌になっていた。Jack(KJ 君)の図画の点が音楽のところについていたそうだし、心にいくらかの喜怒哀楽を与える数字が、こう無責任に記入されたのではたまらない。——しかし、大真理の前にあっては、いかにも些細な事柄での誤謬であり、それに拘泥することを、いままでのぼくは好まなかったし、これからも好みたくない。——
 Tom は英語と数学の試験について、出来たと喜んでもいなければ、難しかったといってもいなかったが、どちらかといえば、喜ぶ方からは遠いようだった。英語の問題が用紙 2 枚にわたっていたことや、肯定文を疑問文に直す問題が始めの方にあったことなど、昨年ぼくたちの受けた試験に似たところが多い。

 引用時の注
  1. 私は、自分がしばしば抽象的な日記を書いていることを棚に上げ、Sam にこのように求めたことは、いささか厚かましかったといわなければならない。
  2. これまで友人たちの名前は、実名から取ったアルファベット 2 または 3 文字で表していたが、これでは、読者にとって覚え難いだろうと思い、頻出する友人名には、HP に掲載している大学生時代の日記で使用しているニックネームを使うことに変更した。当分、実名からのアルファベットと併記する。

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