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2005年4月12日火曜日

2005年2、3月分記事への M・Y 君の感想

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse" 2、3月分への感想を2005年4月6日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する[後日の注:ブログ復元時の記事・写真の省略に伴い、一部割愛]。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。




1. 高校生時代の交換日記

 Sam と Ted の日常・学校生活、家族のこと、自己の向上を目指しての思索などが息の合った率直な文で書かれていて、感心しながら興味深く読ませて貰っています。お互いが尊敬し合い、批評に対しても相手が何を考えてのことかと愛情をもって考え合う交友関係が、交換日記を継続させたのでしょう。

 日記帳の表紙に書かれた表題 "Which will it grow into, the mud of regret or the pond of joy?" は、よく考えられていると思います。高校の活発なホームルームの様子がよく書かれていますが、私の場合、記憶には残っておらず、クラスで男女別れてスポーツをしたりという、のんびりした時間だったようです。

◎Sam の日記
 Sam は、複雑な家庭事情があったにもかかわらず、快活で、クラブ活動、読書、映画鑑賞、近所の子供との遊びと、とても活動的です。とくに面白かったのは「三つの歌くらべ」に出場したとき、なんと、母に習って憶えたばかりの「ヤットン節」が出て、得意中の得意という表情でジェスチュアたっぷりで歌うと、観衆が愉快そうに笑い、ますます油がのった、これで教科書代を稼いだ、ただ家にいては、このような報酬にはありつけないだろう、「求めよ、さらば与えられん」、と書くなど、勇気と度胸があります。

 上記のくだりを書いた日記(Samの「三つの歌くらべ」出場記)と、「ヤットン節」を離れて住んでいる母に習いに行くくだりを書いた日記(Sam が「三つの歌くらべ」出場に決定)、また、春休みに「快晴!誰だってこんな日には、おおらかな気持ちで散歩したいと思うだろう」と、散歩に出かけた日記(自転車紀行)は、彼の勇気と優しさと大らかさがうかがわれる名文だと思いました。

◎Ted の日記
 小学校時代の小学校時代の隣クラスの級長の来訪、尊敬していた勤勉科学少年の話などに見られる広い交友は、Ted の人柄と努力によるものでしょう。Sam に一緒に訪問することを提案しようと思いながら出来なかった中学時代同期生・Minnieさんと街角でばたり出会ったときの Ted の感動と追憶の日記(奇跡)や、中学時代に習った女の先生を男女の級友と訪問したとき、新しくて小さい生命を先生の腕と胸の間に見たという印象と「先生から聞いた話は童話的であり、小刀が足に刺さる不幸の物語であり、教える楽しみの吐露であった」ことが書かれている日記(春休みに入る)も印象的でした。
 
 「時の有効度」に書かれた「生命の実質的使用量を上げるためには『時の有効度』を増加させるよう努めなければならない」と、「脱皮するには」に書かれた「煩わしくて無用なことを超越するには、そして動揺しない堅実な自己を打ち立てるには、沈黙が方便であり、必要かもしれない」は、以後の人生で貴君が実行してきたものと思います。独自の学習的野球ゲームで、遊びながら英単語を憶える(英単語集で野球ゲーム)とは、よく工夫したものです。

2. 写真

 荒山公園のサンシュユの花は大きな木に咲いていますね。私は昨年のこの時期に、大原三千院の近くで3~4mくらいの根元から枝が四方に出た全枝花盛りの見事なサンシュユを見て、これがサンシュユというものかと感心しました。その帰り道に多くの家の狭い庭先にもサンシュユの木が美しく花をつけており、わが家の庭のサンシュも将来このように美しく成長すればと思いました。

 八田寺町梅園の写真をみて、八田寺は読み方が変わっていることを思い出しました。私はこの付近の団地に2年ほど住んでいて「はったじ」といっていたのを、地元の人に「はんだいじ」というんだと教えられました。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 04/13/2005 00:00
 いいご友人に恵まれていらっしゃいますね。なかなか羨ましいことです。

Ted 04/13/2005 08:02
 M・Y 君とは大学・大学院の同期で専攻も同じでありながら、学生時代にはそれほど親しくはしていませんでした。50歳台後半ぐらいからでしょうか、私が東京へ行った折に逗子市に住む彼を電話で呼びだして話し合うなどしているうちに、親友の間柄となりました。

四方館 04/13/2005 09:31
若い頃に出逢っていた者同士が、長い空白を経て再会の縁に恵まれると、とてもいい関係ができやすいかもしれません。ずっと心にかかっていたということが、無意識なりにあるのでしょうね。

Ted 04/13/2005 10:32
 若い時には性格が合わないように思っていても、後に再会して意外に合うことを見出したり、年齢とともに互いに変化して合うようになってきたり、ということもあるかも知れません。

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