高校時代の交換日記から。
(Ted)
1952年4月16日(水)晴れ
国語甲の時間の作文の題の広い限定条件として HR 先生が選んだ気候による年区分の一つは、ぼくの上に何といくつもの事件を持ってやって来ることだろう。
Twelve(MRR君)や Jack と次のように語り合ったことがあった。
「また、ウソだろう。」
「その日になって、ノコノコ学校へ来たら、お前どうしたがや、といってやればいい。」
「明星学苑たらて、少年小説に出てくる名前んないかい。」
しかし、本当に KZ 君は去る。いまや彼は去る。
KZ 君の家の前で二度彼を呼んだときも、半信半疑だった。ぼくには直接知らされなかったのだから。彼の母でない女の人が取り次いで、便所へ入っていますから待っていて下さい、といった。彼との間にどういう場面を出現させなければならないかを考えながら、一歩玄関へ入った。待っていると、寿司をつくる酢の香りが鼻と一緒に涙腺を刺激しそうな勢いで、ぼくを取り巻き始めた。これは確かだ、そして、いますぐにも去るのかも知れない、と思った。だが、先に来ているはずの Jack と TKR 君のいる様子がない。また、いぶかってみた。そうするうちに KZ 君の頭が、次に胴が、そして脚が見え、近づいて来た。彼は「家は汚くしているから」といって、階段のところにあった帽子を手にした。
歩いた。立ち止まった。大学病院前のスズカケ並木の通りの角までしか来ていない。そこへ来るまでに、彼は「君、東京へ来ることないか」のほか、大学、金、実力、君のお母さん、誤解、などの単語を、例の神経質な糸で、もの悲しくつなぎ合わせていっただけだった。ぼくは「え?」と「さぁ」を一度ずついっただけだった。立ち止まったところで、彼は「何もいうことないわ」ともいった。われわれが知り合ってから何年になるとか、Twelve によろしくいってくれとか(中学1年のとき、KZ 君と Twelve の間に感情的対立のあったことがあった)、「こんなことをいってあさましいようだが、」と断って「手紙を下さい」とか、…。そのほか、無言の中にも多くのことを、ぼくは聞いた。電車の音も、人びとの足音も遠いものに感じながら。
この場面のあらゆる詳細を――KZ 君が思い出したように上着のボタンを下から二つかけたが、まだ一番上のがかかっていなかったことを始めとして、彼の顔や手の動きから、われわれ二人のぽつんと立っている様子を眺め下ろしている空の様子や、われわれが別れのための会見をしているのだとは一向に気づかないで傍らを流れて行く通行人たちの姿や、電車の架線の揺れ方まで、――すべて記憶しようとしたが、まったくダメだった。
ほかにも昨日からきょうにかけて、有益なことがたくさんあり、それらについても書きたいのだが、忙しくて書けない。
Random writings of a retired physicist
Continuation of "Ted's Coffeehouse" (now being restored in archives of this site)
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