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2005年4月6日水曜日

石器時代の政府研究機関

 先日、朝日新聞の「私の視点」欄に名古屋大・太陽地球環境研・上出洋介所長の投稿 [1] が掲載されていた。政府の科学技術政策の骨格である第2期科学技術基本計画が2005年度に最終年を迎えるにあたり、第3期計画策定作業に向けてなされた貴重な提言である。「科学技術とは、科学と技術であり、両者は車の両輪であって、そのバランスをとることが大切だが、現代の科学技術には科学の視点が軽視されている。重点分野を選ぶ戦略は有効だが、基礎科学という土台の存在を忘れてはいけない」という主旨である。

 基礎科学の重要性は自然科学分野のノーベル賞を受賞した日本の学者・研究者たちが受賞のつど強調してきているが、政府や行政機関の人びとはそれをすぐに忘れてしまうようである。研究者の側からの間断のない発言が必要である。

 自然科学にまつわるいろいろな挿話を集めた本 [2] の中に、J・J・トムソン(1856–1940)が基礎研究を擁護した短いスピーチが紹介されている。J・J・トムソンは、1987年に陰極線が高速で移動する粒子(電子)であることを明らかにし、1906年にノーベル物理学賞を受賞した人である。そのスピーチでトムソンは、第1次世界大戦中に体内の弾丸を見出すなど、医療に威力を発揮したX線の発見(1895年、レントゲンによる)が、電気の性質を知ろうとする純粋科学によってなされたという例を挙げて説明している。また、彼自身が、もっと「有益な」研究をするように勧められたにもかかわらず、レントゲンが行ったのと同様な研究に、ほとんど一生を費やしたことをも述べている。

 このスピーチよりもっと短く、しかも、もっと印象深く基礎研究の重要性を説いたトムソンの言葉も、上記の話の下にカッコ書きで紹介されている。「石器時代に政府の研究機関が存在しておれば、すばらしい石斧が作りだされただろうが、誰も金属を発見しなかっただろう」というものである。技術の新しい発展には基礎科学が不可欠であることと、行政の目が技術偏重に陥りがちであることが、このユーモラスな一言に要約されている。

 なお、昨日の朝日新聞夕刊に梶原拓・前岐阜県知事の言葉が「基礎研究の支援も自治体の役割」という題名で記事になったいた [3] が、ロボットの研究機関を誘致したという話であり、普通にいう基礎研究とは中身が異なる。すぐには実用的に役立たないロボットもあるだろうが、それも応用研究の部類と見るのが普通である(応用基礎研究という呼び方もある)。


  1. 上出洋介「科学技術政策:基礎研究重視した予算に」朝日新聞 (2005年3月25日).

  2. J. J. Tomson, "In defense of pure research" in A random Walk in Science, ed. R. L. Weber (Institute of Physics, London, 1973).

  3. 「基礎研究の支援も自治体の役割」朝日新聞夕刊 (2005年4月5日).

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

テディ 04/09/2005 12:01
 昨日読んだ司馬遼太郎「『昭和』という国家」(1999年日本放送出版協会、NHK の番組「雑談『昭和』への道」での司馬氏の発言をまとめたもの)の中にアメリカのジャーナリスト、フランク・ギブニー氏(ドナルド・キーン氏やサイデン・スッテッカー氏と同じように前大戦中、米海軍の日本語学校に入っていたということです)の著作の中に「日本は職人を崇拝する社会だ」という言葉があったそうです。大陸から渡ってきた仏像、社寺を作る技術。農耕の技術。ポルトガルから来た鉄砲もすぐに自分たちで作った。そういう「技術崇拝信仰」というものが日本人には根強くあるのでしょうね。反面基礎科学の研究は立ち遅れていたように思います。日本における基礎科学研究の歴史については、私は勉強不足なのでよくわかりませんが。基礎科学の優れた研究者がどんどん出現する社会になってほしいですね、これからの日本は。

Ted 04/09/2005 20:22
 日本における基礎科学研究は、歴史に残るような事項が少ないようです。江戸中期の本草学者・平賀源内がエレキテル(摩擦起電機)を自製して治療に応用したとか。江戸後期の儒医・三浦梅園が自然と宇宙を支配する物理法則「条理」の存在を提唱したとか。同じ時期の蘭学者・志筑忠雄が「暦象新書」を著したのが、わが国における物理学関係の最初の系統的な本だとか。そのあたりが最も古いところですが、いずれも西洋から学んで紹介した程度です。

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