高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952年5月1日(木)晴れ
新委員会室と教室がかなり離れているので不便だ。幾何と商業は遅刻になりそうな状態だった。
試験という名目ではなかったが、用紙に適当な答を書いて提出するというものの第一号が世界史で行われた。一番早い者は、十五分で提出してしまった。ぼくは十六分で出来たのだが、ちょっとした言葉の使い方に気を取られていたら、みんながばたばたと出してしまった。ぼくは二十五分でビリから二番目に出した。しかし、全部正解かどうか分からない。もし一つでも誤答があれば、ぼくは評価1または2にしか価しないものとみなされるであろう。
(Ted)
徹頭徹尾、FJ 君の支援を得なければならないとは、なんという恥辱であり、無能力さであり、消極性なのだろう。新聞クラブのバットも購入したので、きょうの帰宅は5時わずか前だった。
体操は、このところ3週間の予定のものだが、多くの者が嫌い始めている「草取りをやって貰う。その代わり、半分の時間はソフトボールをさせてやる」というものだった。交換主義 (1) と呼びたくなるものが、じつに徹底している IN 先生である。
(Samの欄外書き込み)(1)「抱き合わせ主義」という。
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