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2005年6月27日月曜日

大山崎山荘美術館からの眺め / 英語の「槌」もいろいろ


大山崎山荘美術館からの眺め

 写真は、JR京都線・山崎駅または阪急京都線・大山崎駅から徒歩約10分のところにある大山崎山荘美術館2階テラスからの眺め。2005年6月16日写す。

英語の「槌」もいろいろ

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年9月17日(水)晴れ

 久しぶりの快晴! 秋の感じが深い。体操では思いきりソフトボールを楽しんだ。三十九人を四チームに分けて、ボール二個で試合をしたのである。「人数が足りんから」といって、K 先生も入られ、真剣なプレイをされた。が、ぼくの打球に対してだけでも、三エラーを記録した。技術は退化し切っていて、凡失の続出する、アウトカウントも得点も忘れてしまいそうな試合だった。結局六点の差をつけて、ぼくの属しているチームが K 先生のチームを破った。もう一つの試合もなかなかの混戦だったらしく、破れた方の得点でさえ、二桁の数字だった。
 M・K 先生の駄弁は脱線を常とするが、それは大いに認めるとしても、言葉そのものに関するところまで脱線がおよぶとは、けしからん。"打ち出の小づち" の "つち" を説明するのに「英語では hammer じゃ。木でできているのも、こーんなでっかいのも、鍛冶屋さんのトッテンカンとやるのも、いまの場合も、みんな hammer じゃ」といわれ、おやっと思ったね。英語では、そんなに何もかも一つの単語で済ますということはないはずだが――。さっそく和英を繰る。あったあった。"tsuchi (槌) a hammer (金の); a mallet (木の); a sledge (鍛冶屋の)" となっているじゃないか。「心かたちははじめよりよろづの人にすぐれたまへば…」の文の解釈について問いただすこととの二つを持って教務室へ行った。

 五限が済むとすぐ帰った。道具袋を置き、弁当箱をひやかすと、家を飛び出て、松竹座へ走った。松竹座という映画館へは生まれて初めて(といっても過言ではないはず)入った。いままで松竹座へ来なかったのが不思議なくらいだ。丸い厚紙に青インクで印刷してある紙を受付に出して中へ入った。"Don't Kill Him!" 題名から受けるような、荒涼としてすさまじい感じの映画ではなかった。「ボウボウたるかな五十年、人生ただ夢の如し」という大らかさと、人間のなすべき本当の仕事ということについて考えさせられた。


 [以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 06/27/2005
 すっかり忘れていましたが、学校授業での先生の話の「脱線」は常でしたね。それが受けないものが多くて。私の高校も伝説的に個性的な先生が勢ぞろいで…京大出の先生が多かったため、多くの先生が教科や学問の研究に熱心でもありました。
 五限が済むと映画館へ走って、映画を通して人間のなすべき本当の仕事について考えさせられる、というのは、素晴らしい青春時代ですね。

Ted 06/27/2005
 私の高校では、脱線する先生は多くはなかったです。しかし、京大入試で当時必修だった世界史を2年生で取りましたが、その先生がたいへんな脱線家で、あまり進まずじまいで、この科目はほとんど独学で入試に備えなければなりませんでした。

四方館 06/27/2005
 大山崎山荘へ行かれましたか。なかなか良いところでしたねェ。

Ted 06/28/2005
 はい。秋のたたずまいもよさそうですね。山荘の一室で見たビデオで知った山荘設立者・加賀正太郎についての短い紹介記事も掲載の予定です。

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