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2005年7月3日日曜日

ノウゼンカズラ / 心の離反ではなく…


ノウゼンカズラ

 わが家から西へ少し歩くと堺市を出外れて高石市となり、等乃伎神社というのがある。昨年までは1万歩のウォーキングをしていたので、そこは目的地としては近過ぎた。しかし、最近は6千歩を超えればよし、と気軽にやっているので、この神社も目的地に入れられることになった。写真は等乃伎神社付近の民家で咲き誇っていたノウゼンカズラ(6月28日に写す)。漢字では凌霄花と書く。わが家の近くにもノウゼンカズラの大きな木のある家が2軒あるが、親しくはしていない近所の家の花の写真は撮り難い。

心の離反ではなく…

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年9月21日()晴れ

 買っておけば何かの役に立つだろうと思って、岩波新書の『万葉秀歌』を求めて来る。歩きながら、道路や建物や空や用水の流れの色彩の麗しさに、恋を経験しつつある人が恋する女を見るときに抱くのはこんな感情かと思われる感情をもって、目を向けた。そして、それらに対してこんな感情をもつことに、はなはだしい疑問を感じた。新しい下駄を履いて行ったので、帰りは、仙女に声を渡して人間の足を得、王子に会ったが愛されず、鳩か何かになって昇天したアンデルセン童話の人魚の感じたような痛みを感じている足を引きずって来なければならなかった。Jack のところへ寄ったが、母堂を助けて店を出しに行ったようだった。

 心の離反という深刻な現象の上からではなくて、同一の問題を考え合うことが出来るという、接触に必要な方便の欠如から、彼を失った、いや、そのように見えるに過ぎない。――中学生のときは週末毎にあれほど足を運んだ Octoの ところへ、全然行く気がしなくなったことについてこう考えている。[1]

 ルソオの『懺悔録』を読んでいる。第三巻の始め辺りに、彼がわれわれの年代だった頃の心理が詳細に告白されているが、ところどころ難解だ。

(Sam)

 大掃除という仕事は午前のうちに済んでしまった。階下の坊やを連れて動物園へ行くことにした。児童生徒の学習参考とか実物材料とか、そんな目ではとうてい見られない。どの動物も幻滅を感じさせるに十分だった。狭い檻の中で、彼らはとても暮らしにくそうだった。雑食性だからといって、セルローズばかりのナマイモしか与えられないとは、ひどいものだ。カバやワニなどの水槽の水は汚くて臭いし、鎖につながれたサル公たちは、くさりに擦れて毛が抜けてしまっているし、動物たちの糞尿は始末されることなく檻の中に四散しているし、見られたものでない。
 明治キャラメルのアトラクションもスローモーで、興味は薄かった。それに、五分と間をおかないで、「場内はスリが横行いたしておりますから、懐中物にご用心下さい」というアナウンスがある。ただ、このアトラクションで付属小六年の種村なんとか子さんという女の子の木琴独奏は少し見ごたえがあった。日光東照宮模型などというものからも、十円の価値は受け取れなかった。が、子どもたちにとっては、十分楽しみと新しい知識の得られるものであっただろう。だが、知識の提供方法には問題がある。各動物の説明も大人向きで不親切だったし、案内係もいなかったようだ。


 引用時の注

  1. Octo は高校卒業後、一流金融機関の金沢支店に就職した。大学へ進学した私は、休暇ごとに、また Octo と親しく交わった。のちに彼は東京へ転勤して、習志野市に居を構え、私は学会出張の折などに彼と会うことを楽しんだ。一昨年春、彼はオーストラリアに住む次男の近くへ移住したが、間もなく、急死を知らせる夫人からのメールを受け取った。彼はよい夫人と2人の息子たちに恵まれ、性格通りの穏やかな、そして幸せな人生を送ったと思う。

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