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2005年7月2日土曜日

全開でないのがよい / 最小・最大目標


全開でないのがよい

 写真は堺市・中の池公園で(2005年6月28日)。ハスの花は全開でなく、この程度に開いているのがよい。

最小・最大目標

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年9月20日(土)晴れ

 切迫、切迫。明日と23日の休みが邪魔になるほどの切迫。何もしないで1週間を送ることは、この仕事にとって莫大な損失だ。
 昨年の通り毎週クラブ活動だったならば、この切迫に際していくらかの助けとなっただろうと惜しまれる4限にあったアセンブリーは、金城高校校長加藤氏の講演だった。音楽に関する話で、音楽とは何ぞや、芸術なり、芸術とは何ぞや、文化の一つなり、文化とは何ぞや、とさかのぼり、人間の真善美および信仰の追求という活動を具体的に説き、それから音楽に戻り、それが身近にあるものだということや、メロディ、リズム、ハーモニーがどういうものかということを身振りとともに面白く話された。最後につけ加えられた音楽だけでなく会話においても必要な発声上の注意は、実にぼくなどの実行しなければならないことだった。きょうに限って、講堂の後ろの方で聞いたのだったが、氏の話はたいへん聞きよく、しかも退屈を感じさせないものだった。

 午後は大桑の仮橋を渡る。板の渡されていない丸太のところを TKS 君は馬乗りになって、少しずつ腰を前方へ運びながら進まなければならなかった。一歩一歩に足下の茂った草の中からバッタが飛び出すのに驚きながら、畦道を行く。Jack が取って投げてくれるイチジクの実をたくさん食べ、舌の先を痛くする。招待者の SN 君は身体の具合が悪くてちょっと元気がなく、そのことがわれわれに、与えるともなく一抹の淋しさを与えた。

(Sam)

 FJ 君と連絡がとれなかったが、帰宅後、一人だけで出かけた。もしかすると彼は先に行っているのでは、と思っていたのだが、二水からはぼくだけが出席したことになった。
 競技は、50字、75字、100字、150字、200字と行われた。参加者は、桜ケ丘からの二人とぼくの他は菫台の生徒ばかりで、全部で十五名くらいだった。50字のときは、ぼくともう一人を残した他はみんな0だったが、ぼくは「ホリョ」を「コレヲ」と聞き違えて-3。100字のときは、速記原稿では2200億円と書いておきながら、訳すとき二万二千億円として-2となり、0は一度も取れなかった。失点は-3、-2、-2、-22、-97という状態で、非常に欠陥があることを示している。菫台の M・T 君は最後まで0で通した。ぼくは、この競技の中では五位の成績だった(実際にはこういう順位は決めなかったのだが、成績表から判断して)。きょうの結果から、毎秒二字までは書けるという自信を得たが、現在の二倍の速さにすることを最小目標、三倍の速さにすることを最大目標にして努力しなければならない。

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