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2005年7月11日月曜日

カプリ島の眺め(写真)/ 将来の希望



イタリアのカプリ島。カプリ風ラビオリを昼食にとったレストランからの眺め。
2003年5月13日撮影。

将来の希望

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年9月29日(月)雨

 H は先生の希望で「将来の希望」という題で作文を書くことになった。将来の希望というのは、就職に限ったことではないと思ったから、「万物の命を大切にしたい云々。恒久の平和を願い云々。真の生活を営みたい云々」などと記してみた。抽象的、理想的だと思った。「1. 個人商店希望。2. 県外でもよい。3. 夜間大学に通学したい。4. 将来は豊かな生活がしたい。云々」に比べれば――。

 夜になってから Funny(ME 君)が大変な仕事を持って来た。「命ある限り」という演劇の脚本を明朝までに原紙に書いて欲しいという。やや小さめの字で書いて、原紙に六、七枚くらい書かなければならない。一枚書くのに一時間として、書き上げられるのは夜中の二時頃になる。Funny のことだし、見込まれたのならと引き受けたが、三時半までかかった。指がへなへなに疲れた。徹夜をしたのは生まれて以来を勘定しても、覚えているのは一昨々年の正月の親類の新年会に一度あるだけだ。

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