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2009年1月24日土曜日

力とは:斥力、引力、そして… (1)

 南部陽一郎とH・D・ポリツァーの両氏による1979年の対談を和訳して出版した本 [1] が、前者の2008年ノーベル物理学賞受賞を記念して、新装復刊されたことは先にも記した [2]。ポリツァー(Hugh David Politzer, 1949–)は、アメリカの理論物理学者で、デイビッド・グロス、フランク・ウィルチェックとともに、強い相互作用の理論における漸近的自由性の発見によって、2004年のノーベル物理学賞を受賞した。このとき,王立スエーデン科学アカデミーは、南部さんの仕事はこの研究の基礎になったものだが、時代にあまりにも先行していた、と釈明めいた説明をしていたのだった [3]。

 上記の本において、ポリツァーさんが「学生の頃、弱い力って何なのか、ぜんぜんわからなくて困ったことがあります。誰だったか、弱い力の唯一の例としてあげられるのは崩壊だというんです。つまり、何かが壊れていくことだと。力はふたつのものの間に起こることですから、崩壊がなぜ力なのか理解できなかった。現代的な意味での力だったんですね」と語っている。若いうちにノーベル賞受賞につながる仕事をした彼でも、学生の頃には、「ぜんぜんわからなくて困ったこと」があったとは興味深い。

 南部さんはこれに対し、「ファインマンダイアグラムを考えればいい」と答え、ホワイトボードに向ったとの説明書きがある。南部さんの描いた図が収録されていないのは残念だが、多分下掲のイメージ中のA図のようなものであろう。南部さんは続いて「つまり、力というのは、ふたつの粒子が散乱することです。 ふたつの間にはたらく力ということで、この場合のように、反発しあうわけです」と説明している。

 ファインマンダイアグラムというのは、朝永振一郎、ジュリアン・シュウィンガーとともに、量子電磁力学分野での基礎的研究でノーベル賞を受賞したアメリカの物理学者リチャード・ファインマンが、その力学において素粒子同士の相互作用計算を見やすくするために考案したものである。具体的には上掲のイメージのような表示である。図において、下から上へと時間が経過している。

 A図では、波線の下側に、矢印をともなったふたつの直線が、上へ行くにしたがって間が狭まるように描かれている。これは、ふたつの荷電粒子、たとえば電子(e)が、互いに近づいてくることを示す。それらのおのおのの線の上端では、波線の端と、向きを変えて横たわっているひとつの矢印つき直線の端が一点に集まっている。これらの点をバーテックスと呼び、それが示す時間の前後では、相互作用についての物理規則が当てはまらなければならない(たとえば、電荷の保存。ただし、エネルギー保存則は、ハイゼンベルクの不確定性関係で許される時間内では破れてよい)。ふたつのバーテックスを結ぶ波線は光子を意味し、近づいてきたふたつの電子同士が、光子を授受することを意味している。

 A図には、ひとつの光子が図の左側からきた電子から放出され、右側からきた電子に吸収されるように描いてあるが、授受される光子は、ひとつとは限らず、ふたつ、みっつ、…の場合も、同時に起こり得て、放出するのが左側からきた電子の場合もある。このようにして交換される光子は、実際には観測にかからないものであり、仮想光子と呼ばれる。仮想光子を交換したあと、ふたつの電子は、もときた方向へ飛び去って行く。このことが、ふたつのバーテックスからそれぞれ上方へ向っている矢印つき直線で表されている。

 こうして、A図全体は、電子のようなふたつの荷電粒子の間の斥力が、それらの間で仮想光子が交換される効果として計算できることを表している。つまり、光子の交換が力を生じていることになる。——実際には、媒介粒子の交換は一度しか起こらないのでなく、互いに影響しあえる範囲に存在する間ぢゅう、ずっと起きているのだが、ファインマンダイアグラムはそれらの無数の交換過程をひとつにまとめて、相互作用の前後と途中経過の形態のみを分類的に示していると理解されたい。——

 電磁相互作用以外の素粒子同士の相互作用でも、光子以外の、媒介となる粒子の交換が力のもとになっている(この考えは、湯川が核力を媒介する粒子として中間子を仮定して以来、素粒子物理学の基本的な考え方のひとつとなった)。しかし、この言い方では「力とは何か」の答えにはならない。南部さんが「力」を主語にして、ファインマンダイアグラムの形そのままに、「力というのは、ふたつの粒子が散乱すること」と表現したのは、言い得て妙である。「力」と「散乱」の語を使うならば、「ふたつの粒子の間に力が働く結果、散乱が起こる」といいたいところであるが、南部さんは「力」と「散乱」を等号で結んだのである。現代の物理学者たちがファインマンダイアグラムによって力という概念を把握していることを、よく表していると思う。(B図については、次回に説明する。)

(つづく)

  1. 南部陽一郎, H・D・ポリツァー, 素粒子の宴 (工作舎, 1979).
  2. 教育の画一化, Ted's Coffeehouse (2008年12月28日).
  3. Asymptotic Freedom and Quantum ChromoDynamics: the Key to the Understanding of the Strong Nuclear Forces, Advanced information on the Nobel Prize in Physics (5 October 2004).

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