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2009年1月10日土曜日

湯川らの拒絶された論文 (3)

  先の報告 [1, 2] 中にそれぞれ記した私の二つの返信のうち、最初のものに記した「湯川らの二つの掲載されなかった論文」については、書籍 [3] にも収録されている、ということが、湯川会会員のMさんから知らされた。Mさんのメールによれば、同書籍の末尾にある解説は、河辺六男(素粒子論物理学者、2000年歿)の担当で、下記引用のような記述があり、続いて、湯川がソルヴェー会議の中止後に訪れた米国で会った Oppenheimer の印象が書かれている「欧米紀行—一九三九—」と、送り返された論文に対する Heisenberg の感想が記された朝永の「滞独日記」の文章が引用・紹介されているということである。


…これが10月4日に送られた Physical Review 誌への連名の寄書II-5(引用者注:湯川秀樹著作集 10 の中での論文番号)となったのであろう。だがここで湯川は、寄書の字数制限もあったであろうが、新たに得た結果を述べるにいささか急であったように、特にベクトル場の導入と行論[引用者注:「こうろん」と読み、「論の立て方」の意]に、説明が十分でなかったように思われる。それが、12月2日付 Physical Review 誌編集次長 J. W. Buchta の返書にいう、「提案する理論が、核物理学の事実の説明に、実際以上に過大い有効であるように述べている」感を抱かせたのであろうか、だが一方、 Oppenheimer や Serber を始めとする1937年の米国核物理学界が、中間子論に必ずしも好意的でなかったことも事実である…


 私が第1信で紹介した Mehra and Rechenberg の記述は、河辺の英文論文を根拠にしていたので、同氏こそが二つの掲載されなかった論文について最もよく調べていたことになる。

 オッペンハイマーによる拒絶について質問をしたSさんのメールには、毎日新聞の記事 [4] が引用されていて、その中には次の記述があった。


 湯川博士は35年、原子核内で働く力を媒介する新粒子「中間子」の存在を予言したが、著名な米物理学者のオッペンハイマー博士らから「根拠がない」と批判された。
 湯川博士は、仁科博士あての37年7月の手紙で「理論全体が本質的に誤っているかの如(ごと)く言っているのは甚だ心外です」と、こうした状況に不満をこぼしている。
 仁科博士は翌日すぐに返信し、「ambiguity(あいまいさ)のある理論を改良して、あいまいさの無いものにしたと云(い)う点を強調すべき」と励ました。実験で、中間子らしき粒子を見つけたことも知らせている。


 Sさんから、上記の記事にある湯川の手紙が『仁科芳雄往復書簡集』にあった、とのメールが届いた。それは、オッペンハイマーの論文に対する不満を述べたもので、次の文の一部だということである。 「この点 Oppenheimer が Phys. Rev. (June 15 Letter) でいっていることはある程度まで真理ですが、だからといって理論全体が本質的に誤っているかの如(ごと)く言っているのは甚だ心外です。」

 したがって、この手紙は、湯川らの1937年の寄書を掲載することについて、オッペンハイマーが拒絶したことを示すものではない。

 次いでMさんから、この問題で二度目の送信があった。それは、渡辺慧(わたなべ さとし、理論物理学者・情報科学者、1910−1993)の文 [5] の中の一節を紹介したもので、文中「角谷静夫さん」とは、戦中を除きほとんどを米国で研究した数学者 (1911−2004) である。


 …ところで、中間子論の論文が Physical Review で没書になったのは有名で、これは新しいことを言い出す人の通らなければならない試練の一つでありましょうが、その没書にした査読の張本人がオッペンハイマー(J. R. Oppenheimer)だったということは、当時プリンストンにいた角谷静夫さんの(その後エール大教授)の証言されるところです。…


 これは、Sさんの質問に対する答えの決定打のようである。ただ、私は上記の渡辺の文には問題があると感じた。Phys. Rev. は査読者を明かさない方針を取っている(雑誌によっては査読の段階で著者に明かすものもある)ので、たとえ角谷の証言があったにしても、Phys. Rev. の関係者でない渡辺が、オッペンハイマーが査読者だったと文に記して公表したのは、倫理にもとるのではないだろうか。また、「中間子論の論文が」という書き方もあいまいで、科学者らしくない。これでは、中間子論を最初に提唱した論文と受け取られてしまうが、「Physical Review で没書になったのは有名」というのは、今回学んだところによれば、1937年の寄書のはずである。(完)

  1. 湯川らの拒絶された論文 (1), Ted's Coffeehouse 2 (2009年1月8日).
  2. 湯川らの拒絶された論文 (2), Ted's Coffeehouse 2 (2009年1月9日).
  3. 湯川秀樹著作集 10 欧文学術論文 (岩波書店, 1990).
  4. <湯川博士>日本物理学の父・仁科博士と往復書簡40通, 毎日新聞 (2005年11月7日).
  5. 渡辺慧, "みごとな人生やな", 『自然』'81-11増刊 追悼特集「湯川秀樹博士—人と学問」p. 46 (1981).

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