2009年1月8日木曜日

湯川らの拒絶された論文 (1)

 先日、大阪市立科学館学芸員で湯川会顧問のSさんから、会員宛のメールで「湯川論文が米国物理学会誌(Phys. Rev.)への掲載を拒否された。その時の審査員がオッペンハイマーだった」ということをよく耳にするが、いま、湯川・南部に関する展示の原稿を書いているので、これの証拠が欲しい、どなたかご存知ないか、という質問が来た。これに対して、私は以下のようなことを返信で知らせた。



 以前にもSさんは、オッペンハイマーによる拒絶についてメールに書いたことがあり、それを湯川会のメールによる討論などを掲載しているサイトに載せたところ、コメント欄に埼玉大の佐宗哲郎さんという方から「J. P. Schiffer が当時の Phys. Rev. の投稿論文に関して調査をし、湯川からの投稿はなかったと断言した」旨の書き込みがあった [1]。

 ただし、これは中間子第一論文相当のものの投稿の話であり、湯川と共同研究者たちによる後の論文が Phys. Rev. に掲載拒否されたことはある。これについては、たとえば文献 [2] に次のように記されている。(ただし、査読者が誰かは分からない。この頃、オッペンハイマーは確かに宇宙線中に見つかったミューオンと湯川理論の関係を否定してはいるが [3]。)


It should be mentioned that a later attempt by Yukawa to publish a letter, dated 4 October 1937, in the Physical Review failed again. The letter was entitled 'On the Theory of the New Particle in Cosmic Ray' and signed by Yukawa, Sakata, and Taketani; the report from Physical Review, dated 2 December and signed by the assistant editor J. W. Buchta, declared that the theory was not acceptable (see Kawabe, 1991b, pp.186-190).

 なお、上記の文で "failed again" といっているのは、「Phys. Rev. に再度」という意味ではなく、先にこれと同様の論文を Nature に拒否されたことが同じページに述べられており、それとの関係での again であろう。Kawabe, 1991b という論文は [4] であり、その表題にいう "two unpublished manuscripts of Yukawa"(Nature と Phys. Rev. への投稿原稿)は、活字化されたものを [5] でダウンロードできる。

  1. コメント/論文検索・原論文掲載書, 湯川 Wiki.
  2. J. Mehra and H. Rechenberg, "The Historical Development of Quantum Theory Vol. 6, Part 2," p. 836, fn. 956 (2001).
  3. J. R. Oppenheimer and R. Serber, Phys. Rev. (2), Vol. 51, p. 1113.
  4. R. Kawabe, Two unpublished manuscripts of Yukawa on the meson theory, in "Elementary Particle Theory in Japan, 1930-1960" (L. Brown, R. Kawabe, M. Konuma, and Z. Maki, eds., 1991), pp. 47-49.
  5. http://ptp.ipap.jp/journal/pdf/85-appendix.pdf.

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