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2013年3月19日火曜日

「花は花は花は咲く」 ["Hana-wa Hana-wa Hana-wa Saku (Flowers, Flowers and Flowers Do Bloom)"]


[Abstract] Spring has come, and various flowers have begun to open all at once. When I looked at those flowers, part of the lyrics of the charity song produced to support the reconstruction in the areas affected by the Great East Japan Earthquake, "Hana-wa hana-wa hana-wa saku (flowers, flowers and flowers do bloom," came up to my mind. Then, I happened to think about the difference between the suffix "-wa" and "-ga" in Japanese language. (Main text is given in Japanese only.)

 春になって、いろいろな花が一斉に咲き始めた。上掲の写真は、いずれもわが家やウォーキング途中で、3 月 11 日から 18 日の間に撮影したものである(上から、ミニスイセン、ツバキ、ボケ、ジンチョウゲ、レンギョウ、ムスカリ、フサザキスイセン)。花々を見ていると、東日本大震災の被災地・被災者の復興を応援するために制作されたチャリティーソング「花は咲く」(作詞=岩井俊二、作曲・編曲=菅野よう子)の歌詞の一部分「花は 花は 花は咲く」が、頭の中を駆けめぐる。

 ところで、この歌詞はなぜ「花が 花が 花が咲く」ではないのだろうかと、ふと思った。古くからある歌の多くは、「何々が咲く」の形となっている。「みかんの花が咲いている」、「からたちの花が咲いたよ」、「この道はいつか来た道/ああ そうだよ/あかしやの花が咲いてる」など。昔(私自身の時代でなく、私の母か兄の時代だったか)の小学校一年生の国語の教科書には、「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」があった。また、花ではないが、「出た出た月が」という歌もある。これらを思い合わせると、「花は咲く」は奇妙に思われたのである。

 大野晋の『日本語練習帳』(岩波新書、1999)を取り出してみると、助詞「は」と「が」の相違を説明したところに、ちょうど「花が咲いていた」と「花は咲いていた」を例文にしてある。その説明は、簡単にいえば、「が」の上には新情報が来るのに対し、「は」を使った文では「は」の下に新情報が来るということである。

 この説明に従って解釈すれば、古くからの歌の例では、何かが咲いているという状況の下で、それが何かというと、「みかんの花」、「からたちの花」あるいは「あかしやの花」なのだ、というところに力点があることになる。他方、「花は 花は 花は咲く」では、花は何をするかといえば、「咲く」ということをするのだ、との情報を提供していることになる。「咲く」だけでは、あまりにも単純で、それが新情報かという疑問が出るかもしれないが、この言葉の出て来る「花は咲く」の歌詞 1 番の最後の節は次の通りである。
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
すなわち、「花」は「いつか生まれる君のために咲く」という新鮮な見方に基づく情報を述べている。これに対し、「わたし」は「いつか生まれる君のために、何を残しただろう」といっているので、「花」と「わたし」を対比してもいる。『日本語練習帳』は、「は」の働きの一つとして「対比」をも挙げている。こう見てくると、ここでは「花が 花が 花が咲く」ではなく、「花は 花は 花は咲く」でなければならないことがはっきりする。

 なお、2 番の最後の節は次のようになっている。
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために
ここには対比はないが、「いつか恋する君のために咲く」という詩情豊かな情報が付加されている。(後日の追記:「いつか生まれる君(のため)に」と「いつか恋する君のために」という、副詞句同士の対比を導く「は」ともいえる。)

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