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2015年12月31日木曜日

2015 年 8 月 31 日〜12 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 4 (M.Y's Comments on My Blog Posts from August 31 to December 5, 2015 -4-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


この秋、わが家の庭に幾茎も花をつけたツメレンゲ。花茎の背丈は、大きい場合には 20 数センチになる。2015 年 11 月 9 日撮影。
This fall, several rock pines had flowers in my yard. Some flower stalks became higher than 20 cm. The photo was taken on November 9, 2015.

2015 年 8 月 31 日〜12 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 4

4. ゴールデン・シニア・トリオのコンサート
 先週の金曜日、堺市西文化会館・ウェスティホールで、ジャズのイブニング・コンサートが開催され、妻と聞きに行った。出演したのは、「ゴールデン・シニア・トリオ」というグループで、さる 7 月 5 日に平均年齢 83 歳 19 日の世界最高齢バンドとして、ギネス世界記録公式認定を受けている。[…]
 プログラムは、第1部 懐かしのシネマ音楽、第2部 ジャズ・スタンダードとなっていて、ジャズを滅多に聞かない私たちにとっても、親しめるコンサートだった。予定時間を 20 分も超えての演奏となった。そして何よりも、私たちより年長で元気に活躍している 3 人の姿が、あやかりたいという気持ちを起こさせた。
と述べられています。近くのコンサートホールで世界最高齢という特殊なバンドの音楽を聴かれてよかったですね。音楽は演奏をじかに見ながら聴くことによってよりよく理解でき、音楽演奏者の情熱が伝わって、このコンサートに来てよかったと感激できることに価値があるものと思います。

5. 秋も深まって、ハマユウが咲く
 わが家の庭で、先月後半からハマユウが新しく花茎を伸ばしていたが、一昨日ぐらいから花が開き咲き始めた。きわめて珍しいことである。今日は秋雨の降る中、夏の風情を健気に演出している。
 今年の初冬は温暖な日が続き、わが家でも、夏に咲き終わって剪定したサンパチェンスが 11 月につぼみをつけ、夏と同じく美しく咲き始めています。夏より花の咲いている期間が長いのが特徴です。春咲くツツジ(金子玄海)も、ちらほら咲いています。花の開花時期が尋常でありません。ハイビスカスも咲き続け、まだ沢山のつぼみをつけていましたが、寒さが厳しくなってきたので、剪定してつぼみを花瓶に挿し、明るい所に飾ると、次つぎに綺麗に咲き、楽しんでいます。ここ 2、3 年地球温暖化の影響か、草木の花の咲く時期にも異常が見られます。

6. イロハモミジが紅葉
 ウォーキング途中でよく訪れる堺市・津久野南団地前の桜並木の間に、何本かのイロハモミジの木あり、いま紅葉が真っ盛りである。白っぽい団地の建物を背景にして撮った写真に、Mac 付属のソフト Photo で加工をして、上掲のように仕上げた。
 ついでながら、2009 年から使っていた 24 インチの iMac のハードディスクに最近故障が生じ、それよりも前からモニター画面の左寄りに薄黒い影ができていたことでもあり、このたび 27 インチ iMac に買い換えた。
とのことです。背景を消したイロハモミジの写真は、紅葉したモミジそのものを表現するにはよいものですね。晩秋のモミジの感じがよく出ています。PC を取り替える時、ウェブサイトにメモリーを保存してあれば、その分には問題はないでしょうが、故障したハードディスクのメモリーを新器械へ移行するのには苦労があったことかと思いました。

 [引用者の注:旧器械のハードディスクの不具合は、主に、立ち上げ時にしばしば動作しなくて、再起動あるいは再々起動の必要があったというものです。外付きハードディスクにバックアップがあったことでもあり、メモリー移行にさして困難はありませんでした。マックのシステムに付属の写真整理・処理ソフト Photos の新しいデータが一部、バックアップからは復元できませんでしたが、旧器械の Photos から普通の写真データとして取り出し、それを新器械に読み込ませることで復元できました。また、システムとその付属アプリケーションの幾つかは、新器械に収まっているものより小数点以下のバージョンでより新しいものが外付きハードディスクにあったにもかかわらず、それらは自動的には新器械へ移行されなかったので、改めてダウンロードしました。](完)

2015年12月30日水曜日

2015 年 8 月 31 日〜12 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 3 (M.Y's Comments on My Blog Posts from August 31 to December 5, 2015 -3-)

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コバノセンナ。下の M・Y 君の文に紹介されている記事を書いた翌日の 10 月 14 日、今度は日陰の花を撮影した。
Climbing cassia, taken on October 14, i.e., the next day of the day I posted the blog article quoted below by M.Y. This time, subjects were not in sunshine but in shadow.


今年わが家のプランターに咲いたグラジオラス・ムリエラエの 3 番目の花。
11 月 6 日に撮影。
The second flower of Gladiolus murielae that bloomed in a planter of my home this year. The photo was taken on November 6, 2015.

3. 花の名の同定

 「コバノセンナ」(10 月 13 日掲載)と「グラジオラスが咲く」(10 月 29 日掲載)で、花の名前をインターネットによって調べ、手際よく同定されているのに感心しました。

 「コバノセンナ」では、
 近くの笠池公園(堺市)に、いままでに見たことのない黄色い花が、木の小枝に房状になって咲いていた。近寄って見ると、一つの花は直径 3 cm ほどで、2 本の雄しべが大きく、八字ひげをたくわえた顔のようである。帰宅後インターネットで調べると、「コバノセンナ(小葉のセンナ)」という名と分かった。
と書かれています。これだけの情報で、コバノセンナと同定されたということに感心しました。私もこの花を初めて見ました。

 私と妻が、かって山道をドライブしていた時、妻が道路の下の茂みに黄色で房になって咲いている花を見て、「葉っぱは藤にに似ているが、マメ科植物と思う。藤の房を逆さにしたように咲く黄色の花」と姉に電話しました。植物図鑑で調べたのでしょう。しばらくして「ジャケツイバラ」ではなかろうかと教えてくれました。確かにジャケツイバラでした。

 「グラジオラスが咲く」では、
 わが家のプランターに咲いたグラジオラス・ムリエラエ。2015 年 10 月 29 日撮影。
 長年の間、葉ばかりが伸びていたプランターのグラジオラスに花が咲いた。グラジオラスといえば、夏に縦一列に幾つもの赤系統の花をつけるものという観念がある。ところが、この花は縦にはつながらないで、横にも一つのつぼみをつけて、うつむき加減に、秋も深まってから咲き、芳香を放っている。それで、これは何か別の植物だったのかと思い、インターネットで似た花の写真を探したところ、やはりグラジオラスだった。学名は Gladiolus murielae、英名は Abyssinian gladiolus、fragrant gladiolus など。原産地はエチオピア。こちらに英文の説明がある。撮影には、プランターの手前の端に別のプランターをかませて、花の中心を見やすいように工夫した。
と書かれています。元記事の 「こちら」をクリックして花の写真を眺めると、普通見かけているグラジオラスと違い、一輪咲きの筆者の庭に咲いている花と同じ花の写真がありました。別名 Acidanthera bicolor(2 色のアシダンセラ)ともいわれると述べられています。

 私の庭にも、買った土にたまたま一個の球根が潜り込んでいて、芽が出たアシダンセラ(この花も姉が名前を教えてくれました)が株を増やし群生し、夏の初めに可憐な白い花が美しく咲きます。グラジオラスもアシダンセラもアヤメ科です。今年は異常気象で秋が長く、遅い時期にこのグラジオラスの花が咲いたものと考えられます。筆者がグラジオラス・ムリエラエ嬢と愛称でいわれる可憐な花が、来年の夏にも咲くことを期待します。

 [引用者の注:インターネットで「アシダンセラ」を検索すると、出てくる写真はいずれもわが家に咲いたグラジオラス・ムリエラエ (Acidanthera bicolor) と同じ花をつけたものです。Y 君の庭のアシダンセラは、「可憐な白い花」ということですから、グラジオラス・ムリエラエのように白い花弁の中心部分が深紅色という "bicolor" ではない、単色のものでしょうか。](つづく)

2015年12月29日火曜日

2015 年 8 月 31 日〜12 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts from August 31 to December 5, 2015 -2-)

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今年、わが家のイロハモミジの紅葉が見頃になったのは、12 月 10 日頃だった。
This year, the leaves of Japanese maple tree in my yard showed full autumn color
around December 10.

2015 年 8 月 31 日〜12 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 2

2. 小旅行

 親子展を行った疲れを癒すため、ご夫妻で京都への旅行を楽しまれ、その後北九州と山口への旅をされ、さかのぼっては、2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -5-の5. に書きましたように、多くの台風に見舞われて天候不順だった梅雨時から観測史上猛暑記録が日毎に更新された暑さの夏に、3 回の小旅行「諏訪と磯部への旅」、「白浜への旅」、「郷里・金沢と七尾への旅」をされています。このように気軽に多くの旅行ができることは、ご夫妻そろって心身ともに充実し元気にお暮しの賜物だと、お喜び申しあげます。

 2015年10月1日掲載の京都へには 2 日間の旅の様子が次のように書かれています。
 […略…]
 京都での初日には、JR 嵯峨嵐山駅近くの京都嵐山オルゴール博物館を訪れた。親子展の会場だったギャラリー風雅のオーナーから、先に同じくそこで展覧会をしたドールイラストレーター・金森菖子さんという人が目下オルゴール博物館内ギャラリーで開催中の『アンティークドールとアンティークドールのイラスト展』案内状を貰ったからである。
 […略…]博物館には、世界最高級のスイスのオルゴールメーカーの社長でオルゴールコレクターだったギド・ルージュ夫妻から寄贈された、見ごたえのあるオルゴールのコレクションが展示されていて、館員による説明が常時繰り返し行われていた。オートマタと呼ばれる西洋のからくり人形の幾つかの実演もあり、さらに、館内のオルゴールカフェ利用者は、そこに陳列されているオルゴールの紹介も別途聞くことが出来、2時間半ばかり、大いに楽しんだ。[…略…]
 2日目には、京都市美術館で『ルーヴル美術館展:日常を描く—風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄』(これも 9 月 27 日で終了)を見た。[…略…]ヨハネス・フェルメールの『天文学者』、バルトロメ・エステバン・ムリーリョの『物乞いの少年(蚤をとる少年)』、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの『鏡の前の女』、さらには、クエンティン・マセスの『両替商とその妻』、フランソワ・ブーシェの『オダリスク』など、幾つかの絵について、前に見たことがあるように思ったのは、テレビでこの展覧会の紹介番組を何ヵ月か前に見たからのようだ。最近のテレビ画像は、美術館で見たのと変わらない、あるいはそれ以上の、鮮明さでの絵画鑑賞を可能にし、記憶にもよく残るようである。
嵐山のオルゴール博物館では2時間半ばかり、大いに楽しまれ、ルーブル美術館展では、風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄という肩のこらない名画を観賞され、『水彩画とキルト 親子展』の大業を達成された疲れが十分に癒されたことと思います。ルーブル美術館展で文章に挙げられた絵はすべてインターネットで検索でき[引用者の注:元記事中の『ルーヴル美術館展』のリンクをクリックして出るページで、左端の「作品紹介」をクリックしてご覧になることも出来ます]、それらを見て私自身も楽しむことができました。

 「北九州と山口へ -1-」には、「10 月 8〜10 日、妻とかんぽの宿を利用して、北九州と山口への旅をした。スケッチと写真で簡単に紹介する」として、北九州については、「10 月 9 日朝、かんぽの宿北九州の部屋からのスケッチ。見えている海は響湾」、「10 月 8 日夕方、宿の窓から見えた日の入り」、「10 月 9 日午後、小倉城庭園を訪れる。まず、展示ゾーンで常設展示『贈る』と『味わう』、企画展示『日本と西洋の御装(おめかし)』を見た」、「小倉城庭園内の書院棟」、「小倉城の復興天守閣」と、5 枚のイメージが掲載されていて、美しいスケッチと写真を興味深く拝見しました。

 「北九州と山口へ –2-」では、「10 月 10 日朝、かんぽの宿湯田の部屋からのスケッチ」、「10 月 10 日午前、山口県立美術館を訪れる。写真の左奥に、木々の間から微かに見えるレンガ造りの建物が美術館」として、2 枚のイメージが掲載されています。そして、「今回の旅で見物したのは小倉城庭園(小倉城天守閣をそのあたりから眺めて)と山口県立美術館だけ。小倉では、松本清張記念館も訪れたかったが、時間が足らなかった。したがって、主に温泉と夕食を楽しんだ旅となった」と書かれています。小倉と山口の近さと交通の便のよさが感じられます。山口県立美術館では、三つのコレクション展と『第69回山口県美術展』が開催中だったが、『山口県美術展』の鑑賞だけを終えると、「館内のカフェで昼食を済ませて駅へ向かうべき時間になってしまった」そうです。同展では、「私たちが興味を持ったのは『地球の片隅で』と題して、国内外の山や都市の風景を描いた多数の水墨画を、幾つもの屏風の両面に貼り合わせた入選作で、一つ一つの絵は 6 号程度の大きさながら、その数の多さと筆使いの器用さ(現場で写生したものとみて)に圧倒された」とのこと。温泉と夕食を楽しまれ、朝にはスケッチも楽され、少し忙しいところもあったようですが、リフレッシュされたことと思います。(つづく)

2015年12月28日月曜日

2015 年 8 月 31 日〜12 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts from August 31 to December 5, 2015 -1-)

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わが家の庭のネリネが、例年よりかなり早く花咲いた。2015 年 12 月 9 日撮影。
Nerine in my yard has bloomed pretty early than usual. The photo was taken on December 9, 2015.

2015 年 8 月 31 日〜12 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 1

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2015 年 12 月 26 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの著者 T・T を指していることに留意されたい。)



1. 2015 年 9 月 8 日付け記事:『水彩画とキルト 親子展』

 表題の記事には、それに先立つ「『水彩画とキルト 親子展』のお知らせ」という記事への私の感想が紹介されています。私はこの親子展の開催初日に出かけ、展示を鑑賞しましたので、表記の記事の続きとして、下記のようにまとめることにします。

 筆者の絵については、ウェブサイト "IDEA & ISAAC" 中の "Photos & Pictures" で、スケッチブックに描かれたものを以前から拝見していました。本格的な絵としては、東京で毎年開催されていた大連嶺前小学校同窓生の美嶺展に筆者が出展され始めた 2003 年に妻と出かけ、筆者とお会いして鑑賞した作品『初夏の教会』と『盛夏の美術館』が始めてでした。スケッチと違い本格的に描かれた絵に接し、その腕前に感心したことが印象に残っています。

 私が親子展に出かけた初日の午前には、筆者は友人たちと大阪駅前で落ち合い、2 時頃に彼らを案内して会場に来るとのことでしたので、その前に展覧会を見ておこうと、1 時頃会場に着きました。ギャラリー風雅に入ると、入口近くに親子お二人の共通のテーマのドクダミの花の作品(筆者の作品題名は『草の根の力』)が並んでいて、よく考えられたテーマの作品だと目を見張りました。後刻筆者から伺いましたが、最初お嬢様の作品があり、筆者は花の基本的な構図が似るように描き上げたとのことで、これらは一対の作品としてお客さまを温かくお迎えしているようでした。

 奥様にご挨拶し、お嬢様もお見えになり、お二人でキルトの各作品の説明をしながら案内して下さいました。作品の複雑な図柄の配置、色の合わせ方や縫い付け方など、詳しく教えていただきました。積み重なる経験を基に、時間をかけ忍耐強く作りあげられた大中小各種の多くの作品を一つひとつ観賞し、深く感銘しました。お嬢様のお子様二人が共にスポーツ(ご長男が水泳、ご次男が野球)をやられ、このことをテーマにした大型の作品も並んでいました。筆者が英語で題名をつけたとのことでした。筆者の絵について、奥様は「最近作風が変わり、少し絵らしい絵になってきた」とおっしゃいます。過去の対象は街や建造物などが多く、最近の対象は木々の多い風景や植物になっているようです。前者は緻密さが必要であり、後者は描くのに自由度があり、この自由度を利用した方がいわゆる絵らしい絵になるのではなかろうかと思いました。

 筆者の高校 2 年生の時の創作『夏空に輝く星』には、絵を描くことが好きな高校生の主人公が登場しています。その後ブログでスケッチなどを見、かつ本格的な水彩画を上記の機会に拝見し、観察が鋭く、構図がよくまとまって色彩も美しい絵が、筆者のたどり着かれた境地の作品であろうと受け止めていました。お嬢様のキルトを基に描かれたドクダミの絵は確かに画風を異にする傑作だと感じました。創作の自由度が広がればこのような絵も描かれるのかと思った次第です。

 筆者の出展作品については、2015 年 8 月 31 日付け記事「『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -1-」に『初夏:カトリック芦屋教会』(2003年)、『盛夏:京都市美術館』(2003年)、『レンガ造り:大阪市中央公会堂』(2004年)の作品イメージとともに、「来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて本ブログに掲載する」と案内されたのを初めとして、6 回にわたり全作品がブログに掲載されています[引用者の注:ここをクリックすると 6 回分の記事が、逆純ですが、先頭に連なって出ます]。また 9 月 23 日付け記事の「『水彩画とキルト 親子展』会場風景」から始まり、4 回にわたって会場風景の写真が掲載されており、親子展の詳細がよく分かるようになっています。[引用者の注:会場風景の写真は、娘のブログ記事により多く載せてあります。]

 筆者の傘寿を記念して、お嬢さまが企画された親子展を一家協力して成功裡に実施されたこは、大変喜ばしいことであり、楽しい一時を過ごさせていただきました。知己・友人の来場へのご対応のある中、私と歓談できる機会を設けるため、時間を割いて近くの喫茶店に案内もして下さり、ありがとうございました。(つづく)

2015年12月5日土曜日

イロハモミジが紅葉 (Japanese Maple in Autumn Color)

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 ウォーキング途中でよく訪れる堺市・津久野南団地前の桜並木の間に、何本かのイロハモミジの木あり、いま紅葉が真っ盛りである。白っぽい団地の建物を背景にして撮った写真に、Mac 付属のソフト Photos で加工をして、上掲のように仕上げた。

 ついでながら、2009 年から使っていた 24 インチの iMac のハードディスクに最近故障が生じ、それよりも前からモニター画面の左寄りに薄黒い影ができていたことでもあり、このたび 27 インチ iMac に買い換えた(現在 24 インチ iMac は販売されていない)。

2015年11月8日日曜日

秋も深まって、ハマユウが咲く (Crinum blooms in Deep Autumn)

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 わが家の庭で、先月後半からハマユウが新しく花茎を伸ばしていたが、一昨日ぐらいから花が開き咲き始めた。きわめて珍しいことである。今日は秋雨の降る中、夏の風情を健気に演出している。

2015年11月1日日曜日

ゴールデン・シニア・トリオのコンサート (Concert by Golden Senior Trio)

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 先週の金曜日、堺市西文化会館・ウェスティホールで、ジャズのイブニング・コンサートが開催され、妻と聞きに行った。出演したのは、「ゴールデン・シニア・トリオ」(ピアノ=大塚善章・ビブラフォン=鍋島直昶・ベース=宮本直介)というグループで、さる 7 月 5 日に平均年齢 83 歳 19 日の世界最高齢バンドとして、ギネス世界記録公式認定を受けている(記録は日々更新中。大阪市内で行われた認定式のニュースが、こちらに動画付きで報道されている)。先々週の水曜日(10 月 21 日)に、日本テレビ系列『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』にも、出演したばかりだそうだ。

 プログラムは、第1部 懐かしのシネマ音楽、第2部 ジャズ・スタンダード(リクェエスト 4 曲を含む)となっていて、ジャズを滅多に聞かない私たちにとっても、親しめるコンサートだった。予定時間を 20 分も超えての演奏となった。そして何よりも、私たちより年長で元気に活躍している 3 人の姿が、あやかりたいという気持ちを起こさせた。

2015年10月30日金曜日

けさのグラジオラス・ムリエラエ嬢 (Ms. Gladiolus Murielae in This Morning)

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 昨日わが家のプランターに咲いたグラジオラス・ムリエラエの花が、けさ見ると、花弁がピンと張って、昨日よりしっかりした姿をしていた。そこで、美女を目にしたカメラマンのように、何枚かの写真をたて続けに撮った。その中の一枚をここに掲載する。

2015年10月29日木曜日

グラジオラスが花咲く (Gladiolus Has Bloomed)

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わが家のプランターに咲いたグラジオラス・ムリエラエ。2015 年 10 月 29 日撮影。
Abyssinian gladiolus that bloomed in a planter of my home. The photo was taken on October 29, 2015.

 長年の間、葉ばかりが伸びていたプランターのグラジオラスに花が咲いた。グラジオラスといえば、夏に縦一列に幾つもの赤系統の花をつけるものという観念がある。ところが、この花は縦にはつながらないで、横にも一つのつぼみをつけて、うつむき加減に、秋も深まってから咲き、芳香を放っている。それで、これは何か別の植物だったのかと思い、インターネットで似た花の写真を探したところ、やはりグラジオラスだった。学名は Gladiolus murielae、英名は Abyssinian gladiolus、fragrant gladiolus など。原産地はエチオピア。こちらに英文の説明がある。撮影には、プランターの手前の端に別のプランターをかませて、花の中心を見やすいように工夫した。

2015年10月17日土曜日

北九州と山口へ -2- (Trip to Kitakyushu and Yamaguchi -2-)


10 月 10 日朝、かんぽの宿湯田の部屋からのスケッチ。
Sketch of the view from the room of Kampo Hotel Yuda, made in the morning of October 10.


10 月 10 日午前、山口県立美術館を訪れる。写真の左奥に、木々の間から微かに見えるレンガ造りの建物が美術館。
In the morning of October 10, we visited the Yamaguchi Prefectural Museum of Art, the brick building of which is faintly seen among trees at the left back of the photo above.

 今回の旅で見物したのは小倉城庭園(小倉城天守閣をそのあたりから眺めて)と山口県立美術館だけ。小倉では、松本清張記念館も訪れたかったが、時間が足らなかった。したがって、主に温泉と夕食を楽しんだ旅となった。

 山口県立美術館(70 歳以上無料)では、三つのコレクション展が開催中だったが、入館後、順路に従って進むと、まず、『第69回山口県美術展』を見ることになった。分野の区別なく入選以上の 128 点が並べられていて、多くは油彩画である。その鑑賞が終わると、館内のカフェで昼食を済ませて駅へ向かうべき時間になってしまった。同展の大賞を獲得した作品は、極細のペンを使って墨で描いた 100 号 6 枚の連作で、『ボクラノユクエ』と題し、原爆とガスマスク、自衛隊の海外派遣、アラブ系の顔、憂いを持った顔、自然環境問題、日本と中国の緊迫した関係、をそれぞれテーマにしたもの(会場で貰った館報による)ということである。私たちが興味を持ったのは『地球の片隅で』と題して、国内外の山や都市の風景を描いた多数の水墨画を、幾つもの屏風の両面に貼り合わせた入選作で、一つ一つの絵は 6 号程度の大きさながら、その数の多さと筆使いの器用さ(現場で写生したものとみて)に圧倒された。(完)


In this trip we were able to visit only Kokura Castle Japanese Garden and Yamaguchi Prefectural Museum of Art (we looked at the Kokura Castle Tower from its outside). In Kokura, we wanted to visit also Matsumoto Seicho Memorial Museum, but time was not enough to do so. Thus, what we enjoyed mostly were hot springs and Japanese-style dinners.

At Yamaguchi Prefectural Museum of Art, we saw The 69th Yamaguchi Prefecture Art Exhibition. We were interested in an ink painting work rather than the grand prize work. The former was made of many drawings that depicted landscapes of domestic and foreign mountains and cities and were pasted on both sides of a few folding screens. (End)

2015年10月16日金曜日

北九州と山口へ -1- (Trip to Kitakyushu and Yamaguchi -1-)

 10 月 8〜10 日、妻とかんぽの宿を利用して、北九州と山口への旅をした。スケッチと写真で簡単に紹介する。(つづく)

From October 8 to 10, my wife and I went on a trip to Kitakyushu and Yamaguchi using Kampo Hotels. Sketches and photographs below describe about our trip briefly. (To be continued)


10 月 9 日朝、かんぽの宿北九州の部屋からのスケッチ。見えている海は響湾。
Sketch of the view from the room of Kampo Hotel Kitakyushu, made in the morning of October 9. Hibiki Bay is seen.


10 月 8 日夕方、宿の窓から見えた日の入り。
Sunset we looked at from the window of the hotel on October 8.


10 月 9 日午後、小倉城庭園を訪れる。まず、展示ゾーンで常設展示「贈る」と「味わう」、企画展示「日本と西洋の御装(おめかし)」を見た。
In the afternoon of October 9, we visited Kokura Castle Japanese Garden.


小倉城庭園内の書院棟。
Shoin Building in Kokura Castle Japanese Garden.


小倉城の復興天守閣。
Kokura Castle.

2015年10月13日火曜日

コバノセンナ (Climbing Cassia)

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 近くの笠池公園(堺市)に、いままでに見たことのない黄色い花が、木の小枝に房状になって咲いていた。近寄って見ると、一つの花は直径 3 cm ほどで、2 本の雄しべが大きく、八字ひげをたくわえた顔のようである。帰宅後インターネットで調べると、「コバノセンナ(小葉のセンナ)」という名と分かった。英名は climbing cassia、Christmas cassia、Christmas senna、cassia shrub など。学名は Cassia coluteoides Coll.

2015年10月1日木曜日

京都へ (To Kyoto)

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京都嵐山オルゴール博物館。
Kyoto Arashiyama Orgel Museum.


『ルーヴル美術館展』の広告を掲げた京都市美術館。
Kyoto Municipal Museum of Art advertising Louvre Museum Exhibition".

 さる 9 月 24、25 の両日、妻と京都を訪れた。その前の週の日曜まで、準備の日を入れて 5 日間、大阪・上本町西で長女と『水彩画とキルト 親子展』を行った疲れを癒すためである。

 京都での初日には、JR 嵯峨嵐山駅近くの京都嵐山オルゴール博物館(1 枚目の写真)を訪れた。親子展の会場だったギャラリー風雅のオーナーから、先に同じくそこで展覧会をしたドールイラストレーター・金森菖子さんという人が目下オルゴール博物館内ギャラリーで開催中の『アンティークドールとアンティークドールのイラスト展』(アンティークドールサロンと共催、9 月 27 日で終了)案内状を貰ったからである。

 その案内状で、建物2階の博物館見学も無料になった。博物館には、世界最高級のスイスのオルゴールメーカーの社長でオルゴールコレクターだったギド・ルージュ夫妻から寄贈された、見ごたえのあるオルゴールのコレクションが展示されていて、館員による説明が常時繰り返し行われていた。オートマタと呼ばれる西洋のからくり人形の幾つかの実演もあり、さらに、館内のオルゴールカフェ利用者は、そこに陳列されているオルゴールの紹介も別途聞くことが出来、2時間半ばかり、大いに楽しんだ。いくらの入場料が無料になったのだろうかと、帰宅後インターネットで調べると、大人 1 人 1000円だが、シニア割引 1 人 700 円の他、カップル割引 2 人で 1500 円、そして、ラブ割引 2 人で 1000 円(頬にキスしたカップル、友人同士でも可)という奇抜な割引も掲載されていた。

 2日目には、京都市美術館で『ルーヴル美術館展:日常を描く—風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄』(これも 9 月 27 日で終了)を見た。連休後の週日にもかかわらず、結構混んではいたが、ゆっくり鑑賞できた。美術館の建物に取り付けられた広告(2 枚目の写真)にもあるヨハネス・フェルメールの『天文学者』、バルトロメ・エステバン・ムリーリョの『物乞いの少年(蚤をとる少年)』、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの『鏡の前の女』、さらには、クエンティン・マセスの『両替商とその妻』、フランソワ・ブーシェの『オダリスク』など、幾つかの絵について、前に見たことがあるように思ったのは、テレビでこの展覧会の紹介番組を何ヵ月か前に見たからのようだ。最近のテレビ画像は、美術館で見たのと変わらない、あるいはそれ以上の、鮮明さでの絵画鑑賞を可能にし、記憶にもよく残るようである。

2015年9月28日月曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -5- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -5-)

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『水彩画とキルト 親子展』会場風景、その 3 と 4。
A View of "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition" Nos. 3 and 4.

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -5-

5. その他

 多くの台風に見舞われて天候不順であった梅雨時から観測史上猛暑記録が日毎に更新された暑さの夏に、3 回の小旅行(「諏訪と磯部への旅」、白浜への旅(7 月 24 日付け記事を飾る写真として記載)、郷里・金沢と七尾への旅(「旧友への手紙1」中に記載)をして、美しい風景や街並みなどの写真やスケッチと合わせて語られています。元気にお暮し様子に感服したしました。「諏訪と磯部への旅」では帰途、「東京ステーションギャラリーで開催中の金沢出身の画家・鴨居玲の展覧会、『没後 30 年 鴨居玲展 踊り候え』(北陸新幹線開業記念)を鑑賞し[…]具象を超える具象の域に達したと思える作品は見応えがあった」とのこと。私はこの言葉に気を引かれました。どのような絵だろうかと。

 「午睡の友」には、昼寝中のパンダの写真を掲げ、「暑い日が続く。このところ、岩波の『図書』誌 8 月号を友として午睡をした」として、同誌から翻訳家・石井登志子、作家・髙村薫、作家・高橋源一郎、地理学者・諏訪兼位の 4 氏の文章を選び、それらを簡潔に興味深くまとめています。髙村薫が、「私のような還暦を過ぎた独身者には、集団的自衛権の行使も[…中略…]、影響は限られているが、代わりに直接の影響がある自衛隊員[…中略…]の不安に思いを馳せ、[…中略…]政治への真剣な怒りを募らせる。これが真面目に生きるということだ」と述べていることを紹介し、筆者はこれを「戦争法案」に対する鋭い批判を展開したものと評価しています。粋な午睡だと思いました。(完)

2015年9月27日日曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -4- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -4-)

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『水彩画とキルト 親子展』会場風景、その 2。
A View of "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition" No. 2.

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -4-

4.「平和を求める人たちは幸いです」、そして与謝野晶子の言葉
 友人 A 氏からの暑中見舞い葉書には、毎年『聖書』の一節が毛筆で記されている。先般届いた今年の葉書には、「マタイ 5 章 9 節」の「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは『神の子』と呼ばれるからです」の言葉があった。A 氏にはこのところ何年も会う機会がないが、彼がいまこの言葉を選んだのは、保守的な考えの持ち主のように見える彼も「戦争法案」には懸念を持っているからだろうと想像している。
という書き出しで、さる 7 月に堺市で開催された『戦後 70 年 平和をつなぐパネル展・堺〜戦争をふりかえる〜』展のパンフレット最終ページに掲載されている、歌人・与謝野晶子の「何故の出兵か」という文を紹介しています。晶子は
 日本人の上に今や一つの大問題が起っております。[…]それは西比利亜(シベリア)へ日本の大兵を出すか出さないかという問題です。[…]
 さて我国は何のために出兵するのでしょうか。秘密主義の軍閥政府は出兵についてまだ今日まで一言も口外しませんから、私たちは[…]想像する外ありませんが[…]
と、わが国が第一次世界大戦当時、日英同盟に基づき連合国の一員として参戦したことに関して、意見を述べています。

 筆者は
「簡略な説明」に対して抜粋を重ねても、晶子の炯眼が十分に伝わるであろう。そして、シベリア出兵[…]前夜の状況が、いまの「戦争法案」国会提出の事態に酷似していることにも注目しなければならない。いくつかの言葉を書き換えれば、晶子の文はそのまま「戦争法案」反対に適用できる。敗戦から満 70 年、わが国の外交政策を武力に頼る方向に逆戻りさせてはならない。[引用時の注:「戦争法案」は 9 月 19 日、参院で可決し成立した。私たちは今後、違憲の法案を多数の力で成立させた安倍政権の打倒と、同法の廃止を目指すことが必要である。]
と記しています。全くその通りと思います。

 このような歴史的事実に照らして、私たちは安倍首相の「積極的平和主義」が何を意味するか深く考えることが重要です。8 月 26 日の朝日紙オピニオン欄に、積極的平和主義という言葉の元祖である、ノルウエーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士へのインタンビュー記事(北郷美由紀・記者)が掲載されていました。記事には、「軍事同盟は不必要。東北アジア共同体創設に向け協力を」、「米国追従なら植民地主義加担。独自外交で臨め」という見出しが掲げられています。ガルトゥング博士は、
私が日本に初めて来たのは 1968 年ですが、9 条を『安眠まくら』にしている点は今も変わりません。そうしているうちに安倍政権による解釈変更で 9 条 1 項の精神が破壊されようとしています。『安眠まくら』はもはや存在しないことを自覚すべきでしょう。
と指摘しています。また、
国際紛争を解決する手段として武力を放棄した憲法 9 条 1 項を堅持すると、国連総会の場で表明することです。条文と矛盾する政策は改め、攻撃力の高い武器は手放す。そのうえで各国に 9 条の採用を呼びかけてほしい。1928 年のパリ不戦条約を実現することにつながるからです。
と、具体的な提案をしています。北郷記者は「取材を終えて」の文を、「博士の指摘や提案を理想に走りすぎ、浮世離れしている、と遠ざけてしまうことは簡単だ。その方が頭も心も乱れないですむ。けれども、それこそが思考停止なのではないかと思う」と結んでいます。(つづく)

2015年9月23日水曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -3- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -3-)

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『水彩画とキルト 親子展』会場風景。
A View of "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition."

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -3-

3. 藤岡由夫から荒勝文策まで政池君の調査が朝日紙記事「湯川博士の手帳、何語る:原爆研究史に向き合う学者たち」に

 「藤岡由夫から荒勝文策まで」には、「先般、インターネットの質問サイト Quora で、アメリカのフリー・ジャーナリストから私へ、藤岡由夫が唱えた原子の fluid drop model がなぜ "ekiteki" と呼ばれるかという質問があり、それに答えたところ、次つぎに質問が来た。後日、同ジャーナリスト氏から、『荒勝はベルリン大学で、アインシュタインのもとで学び、その親しい友人仲間の一人となった』と記された本があるとの、追加の連絡があった」というようなことが述べられています。

 液滴模型に関しては、古くから物理の学習書には原子核の統計的模型の項に気体模型と原子核を液体のしずくになぞらえて取り扱う液滴模型の二つの模型についての説明がありますので、私は今更どうして上記のような質問がなされたのかと思っていました。[引用者注:藤岡が唱えたのは「原子」についての模型で、のちに提唱された「原子核」の液滴模型とは別のものです。]

 「政池君の調査が朝日紙記事に」のブログ記事には、
先日「藤岡の原子液滴模型からアインシュタイン・荒勝関係まで」という記事を英語版のブログサイトに載せた折に、政池君にそれを知らせたところ、彼から忠告の電話を貰ったばかりである。彼も以前、その記事に登場するアメリカのフリー・ジャーナリストから接触を受けたが、日本でも原爆研究が行われていたことを喧伝して、アメリカの原爆投下をあくまでも正当化しようとする修正派歴史家の一人と思われるので注意するようにとのことだった。いわれてみれば、そのジャーナリストと私のやりとりの間にもそうした危険性が確かにうかがわれた[…]。
と付記されていました。これを読んで私は合点が行きました。

 米国においては原爆投下の正当化について、一部の退役軍人の間で強く主張されています。1995 年にワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館で被爆資料などを含めた展示が計画されましたが、退役軍人らの反対にあい、事実上中止されたとのことでした。7 月 30 日の朝日紙に「原爆投下何を伝える マンハッタン計画跡地公園化案を公表 米『歴史見せ方』意見募る」という記事が掲載され、以下のように解説がなされていました。
米国の国立公園局とエネルギー省は 28 日、第 2 次世界大戦での原爆の製造・投下につながった『マンハッタン計画』の跡地に関する『基本計画書』の案を公表した。年内に国立公園が正式に誕生するが、[…]マンハッタン計画を歴史的にどう位置づけるかなど『歴史の見せ方』は今後も広く意見を集めていくという。
核抑止力、核廃絶などの相反する考え方がある中、これらの施設を見て正しく歴史を認識できることは大切なことです。

 「政池君の調査が朝日紙記事に」では、
大学研究室の同窓生で友人の政池明君(京都大学名誉教授、高エネルギー物理学)は、かねてから核開発の歴史について調査しているが、このほど、ウラン 235 の遠心分離装置開発に関する資料を、清水栄・京大名誉教授の遺品のノート中に見つけたことが報道された。『朝日新聞』大阪版 8 月 4 日付け夕刊記事に政池君は朝日紙記者の取材に対して、「真理を探求すべき科学者が、原爆開発にどうかかわったのか知りたい。すべての科学者は、自分の研究がどう使われるのか真剣に考える必要がある」と語っている。
と述べられています。この点について以下にコメントします。

 政池君は「第 2 次世界大戦下の京都帝大における原子核研究とその占領軍による捜索 (3) 原爆研究の記録―その1」(『原子核研究』Vol. 57, No. 1, Sept. 2012)の「4. ウラン濃縮」の項に、米国公文書館で極秘から公開となった文書を引用して、
 その後ファーマンの報告では前述のように「荒勝は実験用の遠心分離器を設計したが、その遠心分離器を建設していた工場が破壊され、建設中の装置が失われた。」と記している。フィッシャー[Y 君の注:少佐、GHQ 経済科学局。ノースウエスタン大学物理学教授、分光学の権威]も「日本海軍の原子エネルギーとウラニウム資源」の報告の中で京都大学と東京計器で建設中だった遠心分離機についてふれている。木村毅一の話によると「ウランの分離には遠心分離法を採用することにした。ウラン[Y 君の注:フッ化ウランガス]を容器の中で回転させると U238 は外側に、U235 は内側に集まることを利用した。」
と、遠心分離機の内容を述べています。さらに、「清水栄によると荒勝研でも独自に遠心分離機を設計した」とも書かれ、「図 1. 京大で設計された遠心分離機の上部(清水家蔵)」として、遠心分離機の上部の手書きスケッチが示されています。したがって、今回の新聞報道は、清水京大名誉教授の遺品のノートからウラン 235 遠心分離装置開発に関する資料多数を見つけたのを機会に、上述の事実の確実な裏付けが得られたということだろうと思います。

 最後の「真理を探究する科学者云々」に関しては、荒勝京大名誉教授編(荒勝先生の配下の当時の原子物理研究に関連した諸教授が執筆)『近代物理学』(1954年、培風館)には「§13・8 原子炉」の後に「§13・9 原子爆弾」の節があり、
 原子力利用の発見は二十世紀科学の一大革命である。単にそれは科学のみならず政治経済など人間生活のすべての方面に著しい影響を与えている。その最初のものが原子爆弾という非常に破壊的な形で現われ、現在においてもその主力は軍事的方面に向けられているが、[…]"これが常に善に用いられ決して悪に用いられることのないように" しなければならない。
と、強い反省の意を込めて結ばれています。政池君は上述論文の最終回「(4) 原爆研究の記録―その2」の「7. まとめに代えて」で、
 大戦中に世界の原子核理論の研究者の多くが原爆研究に全力で取り組む中で、湯川が原爆の研究よりも中間子論の研究に力を注いでいたことは事実のようである。とはいえ京大の荒勝、湯川はもとより、荒勝、湯川両研究室の多くの研究者が原爆研究に関与したことは看過できない事実であり、彼らの「科学研究至上主義」を現代においてどのように捉えるべきかについてあらためて論ずる必要があろう。
と述懐しています。過去の事実を探求して、朝日紙記者に語られた「すべての科学者は、自分の研究がどう使われるのか真剣に考える必要がある」との政池君の真摯な言葉は、世界中の人びとに重く受け止められなければなりません。(つづく)

2015年9月18日金曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -2- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -2-)

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私と長女が『親子展』を開催した「ギャラリー風雅」の前景。
Front view of "Gallery Fūga, where I and my elder daughter held "Father–Daughter Exhibition."

2. 旧友への手紙 12
 さる 7 月 14 日に郷里・金沢へ墓参に行ったついでに、私が小学校入学前から小 3 の夏休み末まで住んだ七尾を訪れるとともに、そこから穴水までの「のと鉄道」の短い旅を楽しんだ。七尾では、いまやそこに在住する唯一の知人である N 氏宅を訪れ、旧・御祓(みそぎ)小学校同級生の何人かの消息が分かるだろうかと、七尾高校の同窓会名簿の私と同じ卒業年度のページを貰って来た。そうして知った 3 人の旧級友たちに電話したところ、その中の女性 1 人は私を覚えていてくれたが、男性 2 人、O・T 君と S・Y 君は私を思い出せなかった。彼らに私のことを思い出して貰う一助にと、長文の手紙を後日書き送った。[…略…]
O・T 様
 炎暑の候となりましたが、お元気でお過ごしでしょうか。
 先日は突然電話しましたのに、長時間、思い出話に付き合って下さり、ありがとうございました。貴君が私のことをご記憶でなかったのは、同じ教室で共に学んだのが 70 余年も前という遠い昔のことで、無理もありません。[…略…]
 時折脳裏を去来する懐かしい思い出の一端を書き留めておきたい気もあって、長文の手紙になり、失礼いたしました。
 では、くれぐれもご自愛下さい。ごきげんよう。
と、長文の手紙を紹介した記事です。手紙には、筆者を思い出してくれる一助になればと、御祓小学校を去って間もない頃の写真[大連嶺前小でのクラス集合写真(1945 年 2 月撮影)からとったもの]を同封しています。70 年余前の、時折脳裏を去来する断片的な懐かしい学校や日常生活の思い出が記され、O・T 君のみならず、私たちが読んでも、筆者の小学校低学年の、学校を中心とした当時の生活の有様をうかがい知ることができる興味深い内容だと思いました。また、古くからの友だちとの交友を大切にされる筆者の、不断の努力に感銘を受けました。

 女性の同級生 E・O(現姓 M)さんは、筆者の住む堺から比較的近い高槻市に住み、筆者を覚えていてくれて、俳画を趣味にしているというので、9 月に大阪で開催する水彩画とキルトの『親子展』の案内状を送り、「『親子展』会場で、古い級友と 70 余年ぶりに再会するという、珍しい経験が出来そう」との期待が記されています。これを機に、O・T 君、 S・Y 君、E・O さんたち、御祓小学校 1~3 年夏休み前までの友だちとの絆が強められることを願って止みません。

 [引用者の注]E・O(現姓 M)さんは『親子展』の最終日に来てくれた。電話での思い出話に続いて、再度、思い出話を語り合った。70 年あまり前の彼女は活発なお嬢さんだったが、いまは膝に人工関節を入れた身となっていた。テニスのやり過ぎのせいだそうだが。彼女と仲のよかった、私が小学校入学時に隣の席にいた、そして、わが家の長女と同名の同級生、Y・S (現姓 W)さんは、夫を亡くし、いまは高齢者施設に入っているとか。長い時の経過を改めて感じた。
 私は『親子展』の案内状を送った E・O さんへの手紙の中で、「いともしとやか」な性格だった Y・S さんには、活発な性格だった E・O さんに対するように気軽に電話出来ない気がするので、ついでの折によろしく伝えてほしい旨を書いた。E・O さんのいうには、Y・S さんは決して「いともしとやか」ではなく、木登りなどもする、おてんば娘だったとのことである。私の観察が行き届かなかったのだろうか。しかし、再会することのないだろう Y・S さんの「いともしとやか」という印象は、幼い木登り娘のイメージ(「山賊の娘ローニャ」のような)が新たに重なりながらも、私の記憶中で改まりそうにない。

2015年9月8日火曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -1- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -1-)

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8 月下旬から雨の日が多く、わが家の庭のヒメクチナシが季節を勘違いしたのか、一輪の花を咲かせた。2014 年 9 月 7 日撮影。
It has rained much since late August, and the tree of bush gardenia in my yard now has a blossom, probably by misunderstanding the season. The photo was taken on September 7, 2014.

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -1-

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 表記期間分への感想を 2015 年 9 月 1 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 『水彩画とキルト 親子展』のお知らせ

 「来る 9 月 10 日(木)から 13 日(日)まで、大阪・上本町西のギャラリー風雅において、私と長女の親子展を開催する運びとなりました」と、意匠をこらした開催案内が掲載されました。いよいよ『水彩画とキルト 親子展』が開催される運びとなりましたね。心からお祝申し上げます。妻が『星に願いを』のキルト作品を一目見て、色彩がとても素晴らしいと賞賛していました。

 この親子展については、2015 年 4 月 22 日付記事「三つの絵画展へ」の中で、次のように開催の趣旨が説明されています。
この旅は、私が 17 日に 80 歳の誕生日を迎えた記念の小旅行でもあったが、堀文子さんは 96 歳を超えて、また、郷倉和子さんは 100 歳を迎え、どちらもなお描き続けている人たちである。彼女たちの止まらない創作意欲にあやかりたいものだ。なお、長女が私の傘寿を記念して、私の水彩画と彼女のキルト作品で親子展をしようといってくれている。その際に共通の題材の作品を一組出そうということになり、私はいま、長女のドクダミのキルト作品に似たドクダミの絵を描いている。郷倉和子、堀文子両展にもドクダミを描いた作品が一点ずつあったのは興味深かった。どちらも他の野草と一緒に描かれていて、私が描いているようにドクダミだけを取り上げた作品ではないのだが。
 出展されるドクダミの絵については、6 月 7 日付け記事「水彩画『草の根の力』」に、
ドクダミは、地下の根をどこまでも伸ばして、たくましく広がる。折しも、安保法制の名の戦争法案が国会で審議されている。9条を破壊するなという、人々の草の根からの運動が今こそ盛り上がらなければならないという思いもあって、この作品を『草の根の力』と名付けることにした。
と述べられています。また、7 月 27 日付け「水彩画『自然エネルギー』」には、
「2012 年の春、オランダとベルギーの運河をクルーズする旅で訪れたときに撮った、オランダ・キンデルダイクの風車の一つの写真を基に描いたもので、題名『自然エネルギー』には、福島第一原発の事故がもたらした住民への甚大な被害や、廃棄物処理が未解決な原発技術の不完全性にもかかわらず、なおも原発推進を図る政府への抗議を込めてある。
と説明されています。

2015年9月5日土曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -6- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -6-)


紅葉七分:京都・高雄(2011年)
Maple Leaves before Full Autumn Color: Takao, Kyoto (2011)


草の根の力:ドクダミ(2015年)
The Power of Grass-Roots: Lizard Tail (2015)


自然エネルギー:オランダ・キンデルダイクの風車(2015年)
Watercolor Renweable Energy: Windmill in Kinderdijk, Netherland (2015)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、6回に分けて掲載した。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(完)
(End)

2015年9月4日金曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -5- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -5-)


水都の一景:大阪・中之島(2010年)
A View of "the City of Waterways": Nakanoshima, Osaka (2010)


夏木立:堺・大仙公園(2010年)
The Summer Grove: Daisen Park, Sakai (2010)


木もれ日:大阪・住吉公園の汐掛け道(2011年)
Sunbeams Shining through Branches of Trees: Shiokake Road, Sumiyoshi Park, Osaka (2011)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて掲載中。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年9月3日木曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -4- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -4-)


欧州の水都:イタリア・ベニス(2003年;2009年再着彩)
The City of Waterways in Europe: Venice, Italy (2003; Re-colored 2009)


『アルプスの少女ハイジ』の山村:スイス(2009年)
The Mountain Village of "Heidi": Switzerland (2009)


夏の小漁港:富山県氷見市(2009年)
The Small Fishing Port in Summer: Himi, Toyama (2009)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて掲載中。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年9月2日水曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -3- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -3-)


卒業予定だった母校:旧大連嶺前小学校(2006年)
The Alma Mater: Former Dalian Reizen Elementary School (2006)


反戦の旗のある風景、または、雨後の街並み:イタリア・ブラーノ島(2006年)
The Landscape with the Anti-War Flag, or The Street after Rain: Burano, Italy (2006)


古風&現代風:金沢・別院通り(2003年;2009年再着彩)
The Old Street and the Modern Building: Betsuin Street, Kanazawa (2003; Re-colored in 2009)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて掲載中。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年9月1日火曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -2- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -2-)


市庁舎と市電のある風景:オーストリア・グラーツ(2004年)
The Landscape with the Town Hall and the Tram: Graz, Austria (2004)


教会の見える街角:オーストリア・バートイシュル(2005年)
The Street Corner with the View of the Church: Austria Bad Ischl (2005)


昔の大連:1920年代のモノクロ絵葉書から(2005年)
Old Dalian: From the Black-and-White Postcard of 1920s (2005)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて掲載中。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be presented there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年8月31日月曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -1- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -1-)


初夏:カトリック芦屋教会(2003年)
Early Smmer: Catholic Church of Ashiya (2003)


盛夏:京都市美術館(2003年)
Midsummer: Kyoto Municipal Museum of Art (2003)


レンガ造り:大阪市中央公会堂(2004年)
Brick Building: Osaka Central Public Hall (2004)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて本ブログに掲載する。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年8月15日土曜日

「平和を求める人たちは幸いです」、そして与謝野晶子の言葉 ("Blessed Are Peacemakers," and Akiko Yosano's Words)

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タカサゴフヨウ(高砂芙蓉)。ヤノネボンテンカ(矢の根梵天花)とも呼ばれる。
2015 年 8 月 14 日撮影。
Pink pavonia; taken in my yard on August 14, 2015.

「平和を求める人たちは幸いです」、そして与謝野晶子の言葉

 友人 A 氏からの暑中見舞い葉書には、毎年『聖書』の一節が毛筆で記されている。先般届いた今年の葉書には、「マタイ 5 章 9 節」の「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは『神の子』と呼ばれるからです」の言葉があった。A 氏にはこのところ何年も会う機会がないが、彼がいまこの言葉を選んだのは、保守的な考えの持ち主のように見える彼も「戦争法案」には懸念を持っているからだろうと想像している。

 さる 7 月 25 日から 30 日まで、堺市のサンスクエア堺ギャラリーで、『戦後 70 年 平和をつなぐパネル展・堺〜戦争をふりかえる〜』が開催された。私は 481 人の賛同人の一人として、ささやかな賛同金を納めながらも、パネル展を見に行く機会を得なかった。しかし、昨日、同展実行委員会から礼状と会場で配布したパンフレットが送られてきて、その内容がよく分かった。

 上記のパンフレットの最終ページには、歌人・与謝野晶子(1878–1942)が 1918 年 3 月 17 日付け『横浜貿易新報』紙に書いた「何故の出兵か」という文の抜粋が掲載されている。それを以下に、さらに抜粋してみる。
 日本人の上に今や一つの大問題が起っております。[…]それは西比利亜(シベリア)へ日本の大兵を出すか出さないかという問題です。[…]

 さて我国は何のために出兵するのでしょうか。秘密主義の軍閥政府は出兵についてまだ今日まで一言も口外しませんから、私たちは[…]想像する外ありませんが[…]

 しかし私たち国民は決してこのような「積極的自衛策」の口実に幻惑されてはなりません。[…]独逸(ドイツ)が[…]その武力を割いて西比利亜に及ぼし、兼ねて日本を脅威しようとは想像されません。我国の参戦程度を手温(ぬる)しとする英仏は、種々の注文を出して日本を戦争の災禍の中心に引き入れたいために、独逸勢力の東漸を法外に誇大するでしょうが、日本人はそれを軽信してはならないと思います。

 […]戦費のために再び莫大の外債を負い、戦後にわたって今に幾倍する国内の生活難を劇成するならば、積極的自衛策どころか、かえって国民を自滅の危殆(きたい)に陥らしめる結果となるでしょう。

 以上は紙数の制限のために甚だ簡略な説明になりましたが、この理由から私は出兵に対してあくまでも反対しようと思っております。
 「簡略な説明」に対して抜粋を重ねても、晶子の炯眼が十分に伝わるであろう。そして、シベリア出兵(注参照)前夜の状況が、いまの「戦争法案」国会提出の事態に酷似していることにも注目しなければならない。いくつかの言葉を書き換えれば、晶子の文はそのまま「戦争法案」反対に適用できる。敗戦から満 70 年、わが国の外交政策を武力に頼る方向に逆戻りさせてはならない。

 注:対ソ干渉戦争、1918–1922。ソビエト政権と、反革命勢力および革命に干渉するため出兵したイギリス・フランス・アメリカ・日本などとの間の戦争。日本は 10 億円(当時)の金を使い、7 万 3 千の兵を出し、3 万 5 千人の死傷・病疫者を出して、対ソ干渉諸国の中で最もみじめな形で撤兵—敗戦—した(加藤文三ほか『日本歴史 中 改訂版』新日本出版社、新書版、1978)。しかし、軍国主義時代の学校では、この敗戦について教えられることがなかった。

2015年8月11日火曜日

『水彩画とキルト 親子展』のお知らせ ("Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition")

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上:『水彩画とキルト 親子展』案内状の表面の一部。下:同案内状の裏面。
Upper, part of the front side of the post card to tell about our "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition"; lower, the back side of the same post card.

 来る 9 月 10 日(木)から 13 日(日)まで、大阪・上本町西のギャラリー風雅において、私と長女の親子展を開催する運びとなりました。詳細は上掲の葉書イメージをクリック・拡大してご覧下さい。ご興味のある方はご来場いただければ幸いです。私は 9 月 11 日と 13 日に在廊の予定です。

2015年8月6日木曜日

政池君の調査が朝日紙記事「湯川博士の手帳、何語る:原爆研究史に向き合う学者たち」に (Masaike's survey was reported in The Asahi Shimbun Article "Scientists Mining New Trove of Information on Japan’s Wartime A-Bomb Program")

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朝日紙・大阪版 8 月 4 日付け夕刊記事の一部。
Part of the article appeared in The Asahi Shimbun.

 大学研究室の同窓生で友人の政池明君(京都大学名誉教授、高エネルギー物理学)は、かねてから核開発の歴史について調査しているが、このほど、ウラン 235 の遠心分離装置開発に関する資料を、清水栄・京大名誉教授の遺品のノート中に見つけたことが報道された。『朝日新聞』大阪版 8 月 4 日付け夕刊記事(上掲の写真)、『朝日新聞デジタル』8 月 5 日付け記事「湯川博士の手帳、何語る:原爆研究史に向き合う学者たち」(見出しは異なるが、内容は前記夕刊記事と同じ)、同英語版記事、『産経ニュース』7 月 26 日付け記事「戦中日本、原爆研究の新図面:京大でウラン濃縮装置、「完成 昭和 20 年 8 月 19 日」と記載」などである。

 政池君は朝日紙記者の取材に対して、「真理を探求すべき科学者が、原爆開発にどうかかわったのか知りたい。すべての科学者は、自分の研究がどう使われるのか真剣に考える必要がある」と語っている。

 『朝日新聞デジタル』の記事は、「湯川博士の手帳」を見出しに取り上げているが、こちらは記事の後半に述べられている、小沼通二・慶応大名誉教授(素粒子論)による調査のことで、「最近も湯川博士の自宅で三十数冊の手帳が見つかった」ことが報じられている。

 私は先日「藤岡の原子液滴模型からアインシュタイン・荒勝関係まで」(下記の修正後の題名の和訳)という記事を英語版のブログサイトに載せた折に、政池君にそれを知らせたところ、彼から忠告の電話を貰ったばかりである。彼も以前、その記事に登場するアメリカのフリー・ジャーナリストから接触を受けたが、日本でも原爆研究が行われていたことを喧伝して、アメリカの原爆投下をあくまでも正当化しようとする修正派歴史家の一人と思われるので注意するようにとのことだった。いわれてみれば、そのジャーナリストと私のやりとりの間にもそうした危険性が確かにうかがわれたので、政池君の忠告を尊重して、その記事の一部を削除するなどの修正をした。

 なお、政池君の今回の調査結果の記事を検索している間に、彼の「戦時下の日独の原子核研究」と題する講演(NPO 法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」主催「サロン・ド・科学の探索」第 2 回、2015 年 1 月 25 日)のスライドが、こちらから、文末の「政池資料」をクリックしてダウンロード出来ることを知った。スライドは三千代夫人との共著になっている。

2015年8月2日日曜日

午睡の友 (Friend of Afternoon Naps)

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昼寝中のパンダの子ども。2015 年 7 月 7 日、白浜のアドベンチャーワールドで。
Child panda taking a nap. The picture was taken in Adventure World in Shirahama on July 7, 2015.

 暑い日が続く。このところ、岩波の『図書』誌 8 月号を友として午睡をした。

 同誌に翻訳家・石井登志子が書いている「リンドグレーンの生涯」は、児童文学作家という肩書きからは想像しがたい、アストリッド・リンドグレーンの一生を教えてくれた。18 歳で未婚の母となったこと、原発反対、子供への暴力の禁止、女性の権利、人口問題、動物愛護などについて積極的に意見を発表したこと、彼女の主張で法律が変えられたことも幾度もあったこと、など。

 作家・髙村薫が連載しているエッセイ「作家的覚書」の今月号記事「真面目に生きる」も、なかなかよかった。「健康のためにほぼ毎日馬に乗る」と始まる。作家の日常の話かと思って読み進むと、「私のような還暦を過ぎた独身者には、集団的自衛権の行使も[…中略…]、影響は限られているが、代わりに直接の影響がある自衛隊員[…中略…]の不安に思いを馳せ、[…中略…]政治への真剣な怒りを募らせる。これが真面目に生きるということだ」として、「戦争法案」に対する鋭い批判を展開している。

 作家・高橋源一郎の「見える戦争と見えない戦争(下)」では、引用されているスーザン・ソンタグの言葉、「意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだ、ということである」が気に入った。科学上の論争でも注意すべきことだ。

 地球科学者・諏訪兼位(すわ かねのり)の文、「時代を超える『学生に与ふる書』」の末尾には「[…]六九年ぶりに『学生に与ふる書』を読み、今なお色褪せていないことに二度目の驚きを覚えた。戦争中に書かれた書だが、今、ぜひ再読されたい」とある。(一度目の驚きは、諏訪が旧制高校時代に、同書の著者・天野貞祐の共訳書『プロレゴーメナ』の岩波文庫版を読み、いくつかの誤植を見つけて岩波書店に葉書を出したのに対し、天野から丁重な礼状が来たことである。)引用した末尾の一節がなくても、『学生に与ふる書』を一読したいと思わせるエッセイである。

2015年7月31日金曜日

旧友への手紙 2 (Letter to an Old Friend of Mine -2-)

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私が住んでいた頃とはすっかり様変わりした JR 七尾駅前の風景。
Landscape in front of JR Nanao Station. The view has completely changed from the days when I lived there.

 貴君も級長を務められたのではなかったでしょうか(私は自分が級長に選ばれた記憶はあっても、他に誰がなったのか覚えていないのですから、記憶も身勝手なものです)。級長になると軍隊式の赤い筋の入った腕章(服の腕の部分に縫い付けるもの)を貰ったと思います。夏用には胸につける布の徽章(ピンクの桜の花型の中に緑色の級長の文字があったと思います)を貰ったようです。

 屋外での朝礼か何かの折に、隣の松組の級長・H 君[注]と私とが、各組の先頭に立って並んでいました。その二人を比較して、松組の先生(お名前を忘れました)と私たち竹組の O 先生が、H 君は帽子を少し傾けて洒落っ気を出しているが、タバタ君は生真面目にまっすぐにかぶっていると話していらっしゃいました。

 E・O さんは電話中に、S・Y 君という級友がいたことを思い出させてくれました。それで、彼にも電話しましたが、貴君と同様に、彼も私のことを思い出せないようでした。私も彼については、ある日の休み時間に相撲を取ったところ、私はスポーツが苦手だったにもかかわらず、いい勝負だったということしか覚えていないのですから、不思議ではありません。それでも長時間、互いに思い出を語り合いました。

 馬出町のわが家のあった通りの角には、医者の息子の故 H・H 君がいました。彼とは、紙芝居のようなものを一緒に作って遊びました。小さな箱の底部を観音開きの扉のついた窓のように切り開き、箱の側面近くの両端に、底部に平行に割り箸を突き刺し、そこへ長く貼り合わせて幾つもの絵を描いた紙を巻きつけ、割り箸を回して、絵を次々に窓の部分に出すのです。「紙芝居」のテーマは「サイパン島玉砕」など、軍国少年的なものでした。その工作道具一式を入れて彼が持参した紙袋に「工作ぶくろ」のつもりで「作さくぶくろ」と書いてあったことを、いまでも覚えています。中学時代、金沢兼六園球場で県下の中学野球大会があった折に、彼の名を御祓中学の選手の名として北國新聞紙上で見て、懐かしく思ったものです。

 私は幼稚園へ行かなかったので、小 1 の時に水疱瘡やハシカにかかった上に、しばしば風邪も引いて、よく学校を休みました。ある時しばらくぶりで登校すると、父君が銀行勤務だったと思う女児(T さんといったでしょうか)が、「タバタさんはこんなの知らないでしょう」といって、♪ターデターデガキツー/イールマイールマイルマンマー/…♪と、文部省唱歌「月」を器用に逆さまに歌ってみせました。しばしば欠席しても先生の質問によく答えていた私に、彼女は仕返しをしたつもりだったのだろうか、などと思っています。また、私が前方の席に移して貰ったときの隣席が彼女だったのかとも思います。

 私が先生の質問によく答えていたといっても、何を答えたのか一つも覚えていませんが、そのことに関係する思い出があります。ややだぶだぶの黒い学童服を着ていた、腕白な児童(名前を思い出せません)が、「タバタはお母さんみたいに、なんでも知っとる。あだ名を "お母さん" にしよう」といったことです。そのあだ名は定着しませんでしたが…。

 時折脳裏を去来する懐かしい思い出の一端を書き留めておきたい気もあって、長文の手紙になり、失礼いたしました。

 では、くれぐれもご自愛下さい。ごきげんよう。

 引用時の注
  • H 君は金沢大学附属高校へ進み、私の住んでいた家の比較的近くにいて、その頃再会した。彼は大阪大学理学部物理学科という、私と似た大学進学をした。彼の就職した会社名も聞き知ったが、その後の消息を知らない。彼の七尾の家は大きな屋敷だった。それがどうなったか分からないだろうかとインターネット検索してみると、 "七尾の財閥・H 家にあった茶室は七尾城史資料館の玄関前に移設され、「日本一小さい茶室」として知られている" ことが 分かった。合わせて、 H 家の屋敷が戦後進駐軍に接収されていたということも知った。